Burning Pavilion Part3

日常のもろもろ

帰宅

2008-01-19 20:21:21 | インポート
今週は木金で東京出張があって昨日帰ってきた。今回は上司と共に茨城時代にお世話になった方と懇親会があったため友人には会えなかったが。

実は月曜に叔母が亡くなり、水曜に通夜があったため2泊3日の旅となってしまった。

叔母は室蘭に住んでいて、俺も子供の頃は室蘭にいたので他の親戚よりも親しかったし、相当お世話になったものだ。叔母は編み物が得意で、七五三(の5歳の時)で好きな漫画のキャラクターの絵が入ったセーターを編んでもらった覚えがある。
祭壇には編み物の師範代の免許状があった。泣いた。
駄菓子屋で売ってるような、火薬を巻いたやつを潰してパンパン音のする鉄砲があったんだけど、それを撃ってたら(5歳の時です)、外に出てきていい匂いだねぇと臭いを嗅いだりするような叔母さんだった。俺は仲良しだと思っていた。

葬儀には当然親戚達が集まった。うちの親は兄弟が多いのでそれなりの人数になる。
10年くらい前に祖母が亡くなった時を除いては、大勢いるいとこの結婚式で集まる機会が多いので、割とおめでたい席が続いたが、久しぶりに集まったと思ったら叔母の葬儀だ。
叔父、叔母達も歳をとったし、いとこ達も歳をとった。みんな子供がいる(なぜか一組につき3人以上づつ…)。

残る独身者達は俺も含めて割と年少の方なんだけど、さすがに肩身が狭い。と思いきや、、、
叔母がどんな子が良いの?と聞いてくる。世話してくれるのか!?。歳の近いいとこ達からはそんな話はないんだけども。とりあえず好みを伝えたけど。

同い年のいとこが、結婚してぇよ~と切実に言ってたので笑ってしまった。あと3年のうちに結婚したいそうです、相手はまだいないけど。俺も笑ってる場合ではないんだけどさ…。

親戚が集まる機会ってこんな感じになってきたんだな。
今から30年前、こんな感じだったと思う。両親の祖父母や親達が亡くなった年だ。あの頃は物心が付く前だったからいとこ達と広い寺で遊ぶのが楽しかったんだろうけど…。
こんな辛いことがこれから何度も続くんだろうな、と思った。

先週は祖父の法事もあって、3度目か、と思ったところだっただけに。こんなに早く喪服に袖を通すとは思わなかったよ。

叔母は去年の後半に癌が見つかった。相当悪い癌で、3ヶ月もつかと言われた。
ちょっと体調を悪くして病院に検査に行ったときのことだそうだ。本人も周りの誰も想像していなかったことだ。
最期も、容態が良くなったようなので、ちょっと会ってくると両親が出かけたと思ったら、「あと1時間ぐらいで…」という電話が来た。実際は10分もしないうちに容態が急変して亡くなったという。

ほんとに、いつ何があるかわからないものだ。





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