Burning Pavilion Part3

日常のもろもろ

鈴の雨の日

2010-04-05 23:57:00 | 日常
たまに日記書いたと思ったら日ごろの愚痴なのでうんざりという方もおられるかもおられるかもしれませんが、頭の多くを占めるのは仕事か、それにまつわる愚痴なのでそれしか書けないような感じなのですわ(笑)。最初から見せる気もなく書いてますが。

年度を越えて人がそろわず体制も確立されていないのにあれこれオーダーがあります。無理だっつーの。
たぶん5月末までは引きずられるのでしょうな。
音楽のことを考えていると、楽しかったり、幸せな俺ですが、あんまり音楽のことも何やりたいとか考えられない状態でもあります。
先月はインド音楽とかAC/.DCとか松田優作の映画とか書いてましたが、自分の好みもあまりに移り変わりが激しすぎで。もうなにがなんだか、、、という感じです。

バンドも、趣味でストレス解消といきたいところだけど、趣味もそれはそれで、人と人とが関わる以上、前向きなだけでもないところがあるとそこでエネルギーを使うわけで。そう感じ始めたら息抜きでもなくなるし。
ライブもやりたいけど、やるとすればまだ先かな~。次の曲を挙げてはみたけど反応もなく、みんなやりたいのかな~?わからないし。さて練習開始となった時に初められるんだろうか・・・?。みんなが曲を覚えるまでは練習を始める気もないけど。

さておき、次のライブでは原点に戻ってごっつい音を出したいと思ってます。そのためにバンドを始めたわけで。それがやりたくないものなら一緒にやりたいとも思わないでしょ。そこが合わさってないと。

やっぱ、たまに思い起こす、なぜあのお客さんがほとんどおらず、歓声も、リアクションもほとんどないあのステージがいまだに、楽しかった記憶があるのか、、、
自己満足ではなく、演奏家としての喜びがあそこにはあったからという、単純にそれだけなんだろうけど、あれを数人しか見てないのは本当にもったいない。CANNONBALLが初めにやりたかったことはあの場で初めて達成して、それは誰も見てないという。でも今だからそれをまた今の技術でやってみたい、そしてお客さんも含めて楽しみたいなという、ただ単純にそれだけなんだよね~。いまになって思うけどあの時、聴かせたいものができた、と感じたんだろうね。

いずれにせよ、現在いただいているご愛顧はその上に成り立っていることを忘れていないです。
だから、それを次のライブでやりたいと、でなきゃやる意味がないし。そしてそれを共感できる人とやれればそれに越したことはないなと。
バンドという形態にこだわらなくてもいいし。演者お客さん共々楽しめれば形はなんでもよいなという心境ですかね。

コピーだからといって一回一回全く同じにやる必要はないけど、曲を民生がやっているような育て方をしたいです。それこそ俺がやりたいコピーのやりかたなので。

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