Burning Pavilion Part3

日常のもろもろ

It was twenty years ago today. STRANGLE HANDS started playing Paul McCartney songs!

2022-11-16 20:35:22 | バンド活動を振り返る
STRANGLE HANDS、初ライブからちょうど20年となる今日、記念に振り返ってみたいと思います!。

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2002年、ポール・マッカートニーはリンダ・マッカートニーの死後初となるワールドツアーを始めました。
前回のツアーから実に9年ぶり。
初めはアメリカツアー(DRIVING USA)から。

時を同じくして東京で、ソロ以降のポール・マッカートニー(ウイングスを含む)しか演奏しないバンドSTRANGLE HANDSが結成された。

当時20代の4名で結成され、メンバー交代もありながら、そのバンドは春から秋にかけて練習を重ね、ついに9年ぶりに来日を果たし11/11から始まったポールのジャパンツアーDRIVING JAPAN、東京公演と大阪公演のはざまとなる、11/16(土)に大阪にて初ステージを踏む。

私は社会人になってからバンド活動を始めたので、正真正銘の初ステージでした。
感想は今よりも記憶が新しい頃に何度か書いたと思いますが、今時点では、なかなかの度胸だなと思っている。
この日演奏したのは以下だったかな?。

 1. FIGURE OF EIGHT
 2.STRANGLE HOLD
 3.NO MORE LONELY NIGHT
 4.BIG BARN BED
 5.MONKBERRY MOON DERIGHT
 6.EAT AT HOME
 7.DON'T GET AROUND MUCH ANYMORE
 8.BIRTHDAY

相変わらずすごいセットリストだと思う。
このラインナップは時が経つに連れて凄みを増しているように思える(笑)。
なぜこうなったかは色々とエピソードはあるのだが割愛する。

度胸云々より、この日は6バンドくらい出演したのだけど、集結した人達が、出演者・オーディエンス、皆ポールが好きという状態が、北海道から出てきた私としては新鮮かつ異常事態でした。
ポールのことならなんでも聞いてくれ!とすげぇ自信だったと思う。そんな人がゴロゴロいるというね。なんかよくわからない興奮状態だったと思う。
そして、この数日前、11/13(水)14(木)の2日間休暇をいただき、初ポール公演を見た後なので、まさに興奮覚めやらぬ状態。

共演した皆さんはまだそのライブイベント翌日からの大阪公演に参戦するということで、前哨戦的雰囲気も漂っていたように思います。
片や全て終わった私は少し寂しい思いで、17(日)大阪公演も観ればよかったと思いながら、帰路につきました。大阪でも観た場合は翌日休むことになりますが、前週ド平日に2日休んでるのでさすがにその勇気は無かったですね
今なら間違いなく休んでますけども。

後年のことを思うと、ポールもまだ元気いっぱいだったなーと思います。
イエー!イエー!とうるさかった我々のブロックまで、ステージの端まで駆け寄り、イエー!!と叫び返してくれたり、ビートルズ1のLPジャケットをかざしたら指さしてくれたりと。まだメッセージボードをそれほどみんな持ってきてなかった頃と思うので、自信ありますが、そう思ってる人はきっとたくさんいるんだろうな(笑)。
この時にいろんな人と出会ったけどもっと皆さんとゆっくり話したかったな。

ちなみに私はMONKBERRY MOON DERIGHTとDON'T GET AROUND MUCH ANYMOREのヴォーカル、EAT AT HOMEとBIRTHDAYのハーモニーを歌った。
MONKBERRYが私のライブキャリアのヴォーカル一曲目で本当に良かった。誇りに思っている。
また、真の一曲目はFIGURE OF EIGHTだが、これも私の世代のポールファンには象徴的な曲だろう。

この後、私は10年バンド活動を行った。
初めの2年はSTRANGLE HANDSのメンバーとして活動したが、幸せだった。

本当は20周年にあたり、メンバーと何かお祝い的なことを、大袈裟なことではなくwebトークとかでもしたかったのですが、それはいつでもいい事なのでまたの機会にでも。


比較的STRANGLE HANDSのバージョンに忠実な、私1人によるMONKBERRY MOON DELIGHTです。

バンド活動を振り返る① 2002年

2011-06-25 23:10:00 | バンド活動を振り返る
※メンバーについての話は、実名を出すのは憚れるので、基本的には、現在も所属している(と考えているものも含む)バンドはハンドルネーム等または呼び名またはイニシャル、現在は所属してないバンドについては楽器パート名で書かさせていただきます。

2002年 ライブ;2回

STRANGLE HANDSの話

2001年、私は茨城県にある職場へ出向になった。
それまで寮暮らしをしていた私は、ここで色々な生活用品を買わなくてはならなくなった。また、職種が変わり、この職種の経験は0のため、給料が下がり生活は困窮していた。
また、周りに知り合いが誰もおらず、職場環境も全く異なるもので、とても寂しい日々を過ごしていた。貧しさからまず削ったのは食費。体重はみるみる減っていった。
生活にも慣れたころ、時間だけは持て余すようになった。特に週末は悲しいほど長く感じられた。土地勘のない場所でドライブに出かけては目的地にたどり着く前に日が暮れた。26歳のことです。

最悪なことに、前の年に買った車を駐車場でぶつけられたり、自転車乗ってて轢かれたり、共同浴場だったので水虫がうつったり、轢かれた後遺症で週末ベッドから全く起き上がれなくなった日がありました。それでもコインランドリーで洗濯せねばならなかった。
クライマックスは寒い冬をしのごうと一生懸命節約して貯めた金をスピード違反で持って行かれたこと。俺が悪いんだけど、その日は残業で午前様になったのだが、何も食べてなかったので、早く家に帰って何か食べようとスピードがちょっと出てしまったのだった。

そんな1年が過ぎようとした頃、インターネットで見つけたバンドメンバー募集記事。
週末はとにかく暇だったのでバンドでもやろうかなと思っていたので、しょっちゅうメンボを見るようになっていたと思うけど、新規にポール・マッカートニーコピーバンドをやりたいというメンバー募集記事を発見した。確か全パート募集していたと思う。なんでもよいから一緒にやりたいと思った。それは俺の長年の夢だった。
2001年にはポールの新作が発売され、しばらく行っていなかったライブ活動がまた行われるようになり、アメリカでツアーも開始した時期だった。

メン募をしていたのは年は近いが比較的最近ファンになったという人だった。既に何人か希望者がいるのでとりあえず音を出しましょうということになった。

たぶん5月くらいだったろうか。東京はえらく湿った空気だった。東京ではまだ行ったことないところが多かった。
秋葉原に集合してお茶の水まで徒歩で行くことになった。どこを歩いているのかさっぱりわからなかったが坂を上がったのを覚えている。後年同じところを何回か通ったと思う。

初対面なので緊張したけど、この人たちがみんなポールのファンなのかと思うと何から話してよいかわからないくらいワクワクしていた。まだ自分のマッカートニー論を全ては話せていないと思う。
スタジオに入ったら、自分の中でだけ完結していた曲たちが周りのみんなからどんどん出て来て次から次へと色んな曲を始めた。当たり前だが全部知っている曲だった。バンド経験がほとんどなかったので皆に圧倒されたし、どんな音を出したか思い出せないけど、ギターやドラムを(ほとんど叩いたことがなかったが叩けるということにして・・・)叩き、あっという間に時間は過ぎて行った。
みんなそれぞれやりたい曲がたくさんあり、まとまらないほどのアイディアが出たと思う。

数回の後、最初に思っていた形と違うと、メンボをしていた人が去って行った。みんなが歌いたい曲を歌い、弾ける楽器を弾くスタイルになっていたからだ。
しかし俺にはそのスタイルが楽しくて仕方がなかった。残った3人で夏を乗り切り、再度4人になった。ゴロピカさん、モンマートニー、FUZZYさん、俺。きっかけを作ってくれたメンボをした人には感謝の言葉しかない。辞めていったことを責めるつもりは全くない。これを経て11月~12月にかけてのライブが決まり、それまでの遊びモードが猛特訓になっていった。
結構な期間があったと思ったけど、今にして思うと結構密なスケジュールだったのかもしれない。

そういえば後年、メンバーが茨城に遊びに来てドライブに出たりした。音楽を聴きながらたくさんの事を語りつつ、温泉に行ったり飲んだりした。
このころには目的地に着く前に日が暮れることはなくなっていた。


さて、夏から秋へと進み、2週に一辺は練習していただろうか。
このころの俺は記憶をもとにやっていたので個人練習というものは全くしなかったと思う(笑)。良くも悪くもならないという・・・。

11月、ついにあのポール・マッカートニーが来日、初めてライブを見に行くことになった。月・水・木で東京で3公演、日・月で大阪で2公演というスケジュールだった。2日休暇をもらい東京の2・3日目を見に行った。出向に感謝した。よほどテンションが高かったのか、妹に東京1日目のチケットをプレゼントするから見に来いと北海道から呼びつけた。
この2日間はまさに夢のような出来事だった。素晴らしいライブや楽しいライブは数多く見てきたけど、人生に大きな衝撃を与えた人物のライブであり、重要度ではこれを超えるライブはないし、今後も見ることはないだろう。

Figure Of Eight
Strangle Hold
No More Lonely Night
Big Burn Bed
Monkberry Moon Delight
Eat At Home
Don't Get Around Much Anymore