人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

絵画鑑賞で松戸へ

2017-11-02 09:06:00 | 日記
6時50分起床、起床時室温15℃。
体重70.2 血圧131 74 脈拍54
 レンタルしている介護用品の「起き上がりバー」の保守点検。作業を迎え入れるために室内わさわさの早朝。
 10時~14時30分
【FBF宮田聡画伯の個展「宮田聡・小品展」を鑑賞しました】
 日頃から、FBで絵画制作に関わる記事をアップしておられる宮田聡氏が千葉県松戸市の画廊「ギャラリー宇」で個展を開いておられる。11月1日から11月5日まで。

 落ち着いた、しかし絵の具の合わせ方・キャンバスへの乗せ方が味わい深い氏の画風がとても、幸せな心を呼び起こしてくれる。なかなか絵画展などへは脚が重いのだが、会場が松戸駅から歩いて5分という近さがぼくを、氏の個展へと誘ってくれた。
 一点一点のぞきこんで鑑賞。2順巡ったところで画伯がお昼ご飯だろう買い出しからお帰りになったので、しばらく談笑の時をいただくという幸せを味わった。ぼくのことばかりお話ししてしまったなあ、という強い反省をしている今である。
 画伯の絵を是非自宅に飾りたいと、1点譲っていただいた。ぼくの手元にこの作品が来るのは個展終了後。作者とともにある絵画写真を2点添付。そして展示風景(一部)。




 夕食は孤食になるというので、ごく簡単に、エビスープカレー。野菜具を多くしすぎたため、おおきなどんぶりにめいっぱいのスープ。これを一人で食べるというのも、孤食という名にふさわしくはあるが、いかにもわびしい。量が多くなると、時間が掛かる、そうするとわびしさを覚えるのです。どうしようか、と考え、非行食行動にした。自室でDVD鑑賞しながらスープをいただく。DVDはバーナード・ショー原作の「ピグマリオン」。なんども見返してしまう。要は、言語矯正ならぬ「身分」を数階級も上昇させる言語使用者創造の話。「発音」訓練がすざましい。しかし、コミカルに描かれているので、苦痛ではない。

【左半身不全者の診察ベッドからの起き上がり話】
 昨日の検診。2度、安全柵(手すり)無しベッドに横になる機会があった。MRIと動脈硬化検査
 これがけっこう手間取る。登るとき、上向きに寝っ転がるとき、起き上がるとき、降りるとき。
 で、もたもたしていると、看護師または検査技師が時を「もてあそぶ」。時間予約が厳密な検査なので、彼らは、心は決して「遊んでいない」だろうと、思う。
 ・・・と、かき始めると、ダラダラと情景描写が続くので、検査されるぼくの内面も含めて、「定点観察」描写を。
 「検査は以上で終わりです。」
 「ありがとうございました。」と発声と同時に、体を起こしにかかるが、これがまあ、ぼくなりの表現で言えば、ゴキブリの断末魔状態。手足バタバタ、頭もその状態に参加する。捕まるものが無いから両手は使えない。つまり、腹筋、背筋、脇腹の筋肉を動員するわけだけど、片側が麻痺した筋肉は体全体を不能な方に統制してくれる。入院中は検査技師などが起き上がりを手助けしてくれたが、今は「時をもてあそぶ」状態でおられるから、自力で、床に立ち上がらねばならない。
 自室内だとどんなに時間が掛かろうとも不格好であろうとも「何、これも、訓練さ。自立に向かってゴキブリしよう!」となるが、検査室ではそうはいかない。次の人の検査が押しているのだから。
 「歩けるようになった」「少しは走れるようになった」「手でものを握ることができるようになった」は、嬉々として綴るが、「まだ、起き上がるのに難渋している」という実態を抱えているこの身。断末魔のゴキブリ状態から早くさようならをしたいのだけどなあ。