池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(2)

2024-05-23 14:43:40 | 日記

 先日、手こずっていた仕事がようやく終わり、ほっとしたら頭がぼーっとしてきた。外出して、ぼーっとしながら歩いていると、腹が減ったので中華料理屋に入り、冷やし中華をぼーっとしながら食べていると、テレビで詐欺事件のニュースをやっており、K市の映像が流れた。それをぼーっと眺めていると、急にK市に行きたくなり、その晩、風呂上がりのぼーっとした頭でN氏に電話した。N氏は今でもK市の近くに住んでいるのだ。

 明日の夜K市で一緒に飲まないかと誘うと、N氏は「ああ、いいよ」と答えた。なんだかぼーっとした声だった。大丈夫かなとも思ったが、こっちもぼーっとしているのでおあいこだろう。

 K市は、都心から電車で一時間もかからない郊外の町。次の日、約束の時刻にK駅の改札口の前でぼーっとして待っていると、いつまで経ってもN氏はやってこない。時計を見ると三十分も過ぎている。携帯電話でN氏を呼び出すと、家で寝ていた。やはりぼーっとしていたようだ。

「すまん、すぐタクシーで駆けつけるから」

 十五分ほどでN氏はやってきた。走りながら両手を顔の前で合わせていた。ごめんなさいの合図だ。普通の老人なら、すぐに転んで病院行きになりそうな体勢だが、この男は転ばない。いまだにテニスのシングルスの大会に出るくらい元気なのだ。

 二人で駅前の居酒屋に入り、ビールを飲み始めた。K市には二十年以上もご無沙汰である。N氏とも六年ぶりくらいだ。N氏は私より少し年上で、会社の元同僚だ。私もサラリーマンだった時期があるのだ。ジョッキを傾けながらN氏の顔を見ていると、その時代のことが頭に浮かんでくる。

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