松村知也、猫が大好きな爺さん

自身の忘備録です、日記風の記述だが政治的な意見や専門領域(電子工学・品質管理)の記述は意図的に避けています。

休日出勤

2013年09月29日 | 中国

9月28日、29日と休日出勤している。中国の会社だから土曜日の稼働はしかたない、しかし日曜日も出勤して働かなくてはならないのには少し困る、今は成果払いだから休日に働こうが夜中にデーターをまとめようが、時間を売っている仕事ではないので気楽なのだが、休日がないというのは精神的に疲労がたまる。現役だった1970年代から80年代終わりのころまでの製造業にとって休日出勤は当たり前だった。おまけに平日も4時間以上の残業で月間残業時間は100時間を超えることも普通で、それでも処理しきれない仕事に疲れ果てていた。今だったら厳重に処罰される「残業費不払」が企業と労組が結託して堂々と行われていた。労組は「組合員の健康を守るため残業時間は月間30時間以下とする」と公言する。企業は中間管理職を介して30時間以上の残業時間は記録しないむね指導する。トップはトップで「企業は人生の道場であり諸君はお金のために働いているのではない」とお説教を垂れる、やむを得ずしかるべき機関に申し出ると「記録がない」ためと企業側は否定する、労組は「残業時間が規定をオーバーするなんて話は聞いたことがない」とすっとぼけている。結果としてサービス残業が蔓延してしまうわけだが、仕様書作成などの仕事量は今よりも圧倒的に多くパソコンなど自由に使えない時代だったから想像を絶する残業時間だった。記録をとったことがあるが、年間で捨てた残業時間だけで700時間を超えていた。30%増しの深夜残業や50%増しの休日労働を入れると年間で軽く100万円を超える、このような状態が10年は続いた勘定だから会社には1000万円以上の貸しがあることになる。現在ならブラック企業と言われてもしかたないのだが、周囲の上場会社を見ると似たような状況であった。少し年齢を重ねて管理職になると残業や休日出勤は当然のことのように継続して、というよりますます管理すべき課題は増えてきた、日本の企業や日本の家電製品が世界をリードした理由は「サービス残業」にあったのではないかとの意見は今でも信ずるに足る名言である。


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