松村知也、猫が大好きな爺さん

自身の忘備録です、日記風の記述だが政治的な意見や専門領域(電子工学・品質管理)の記述は意図的に避けています。

松村光生の仕事

2018年03月12日 | 親戚
このブログで何度かご紹介している私の末弟松村三生(ペンネームは光生)の仕事についてご紹介する。なぜこのタイミングで?と疑問も出ると思うが、今年早々某大手出版社の翻訳の出版部門からご連絡を戴いた。お申し越しの内容は光生が昭和61年にサンケイ文庫から上梓したスティーヴン・キングの「骸骨乗組員」を再録して新たに刊行されるとのことだった。当ブログで再三ふれている様に光生は5年前に他界、独身だったため著作権の継承者が判らず、たまたまこのブログで私の存在を確認されてコンタクトしたとのことであった。刊行の時期など詳細はこのブログで追って公表しますが、ぜひ買って下さい。写真はオリジナルの文庫本の表紙です。

短命なご先祖様のこと

2018年02月26日 | 親戚
結婚と同時に本籍を山口県光市室積から神奈川県に移動した、そして金婚式を迎える一昨年になると前述の本籍に関わる人は誰一人存命するものはいなくなり寂しくなった。せめて菩提寺とのご縁でも切らさずにいられたら救いもあったのだろうが、救いとは自分のご先祖さまが何処から来てどこに住みついたのか、くらいの事を明確に伝えることは生き残った人間の務めではないかと思うからである。そこで松村家であるが、その素性は明確ではない。まあ日本のほとんどの家では4代遡って先祖が何をしていたかなど明確にできる家など多くはないと思われるが、私の祖父は植民地に移住して彼の地で夭折したのだが彼の素性や先祖のことなど戸籍謄本の除籍簿の記載を見ても3代前までしか辿れない。先祖の悪行の報いなのか、あるいは遺伝子のせいなのか松村家はみな短命で古稀を迎えたのは私が最初の人物だ、ちなみにご先祖様親兄弟の寿命とその死因を列挙すると、祖父の松村芳太郎は事故死で52歳、父の松村俊雄は上顎癌で62歳、叔父の松村正は事故死で43歳、弟2人はともに癌で65歳と69歳で逝っている。そこでここから先は想像というか創作であるが当家の宗旨が西日本では極めて少数派の曹洞宗という事から室町時代末期に関東から安芸国(広島県)に大挙して移住した野伏の一団ではないかと思う。いやというか前述の事象は頻繁にあったらしい、かの菩提寺の過去帳などから推察すると水先案内や船による戦闘を生業とし戦国時代、我が松村家の先祖は五軒屋五人集と言われる海賊グループの親玉で海岸を通行する船から金品を巻き上げたり、一攫千金を夢見て江戸時代初期には小舟で日本海を経由して蝦夷地の探検などもやっている。曹洞宗の人々の分布を俯瞰すると圧倒的に関東以北が多数派だ、某電子機器メーカーを60歳で定年退職して70歳までの10年間は全国を出張して回る仕事をした。また前述のメーカー勤務のころも転勤で東北地方を転々としたが、東北地方の宗旨は曹洞宗が圧倒的に多い。という事は仏教に帰依したがらない多神教の神信心の母系種族で肉食の遊牧民か大陸の騎馬民族を遠い先祖に持つB型の血液型の要素が多い蝦夷の分布がこの地域では多数派だったのであろう。そして東北や坂東を食い詰めたこれらの種族の一部が米作の肉食を禁ずる温和な人々が暮らす西日本に移住して傭兵として周囲からは厭われながら戦闘を生業とする集団を形成していたのではないだろうか。

続けていてよかった

2018年02月09日 | 親戚
拙い文章で誠に恥ずかしいかぎりだが、このようなブログだって続けていてよかったと思う、またこのブログの題も何度か変更しているが、個人情報の保護という名目で仮名で通してきた。
しかしながらFacebookでは本名を出しているのでこの機会に思い切って題名も変えておく。
何故続けてよかった?に関しては追ってまたこのブログに記述する。

松村光生

2014年01月10日 | 親戚

改めてわが弟「松村三生」ペンネーム松村光生のことを駄文にしたためておこう。1948年8月3日山口県宇部市生まれ、少年時代を山口県で過ごした。細かく追えば宇部市、光市、下松市を転々と親の気まぐれな転職に合わせて移動している。1966年県立下松高校を卒業して早稲田大学文学部へ、のちに政治経済学部に転向したが、若年のころから文学に関心が強く高校生の頃には短編「修治」を発表していた、このことは誰も知らないと思う、本人が無視してほしいとのことで今回初めて書くのだが、太宰治の少年時代の物語である。太宰の本名は津島修司であることから題名をつけたらしいが世間からは全く顧みられなかった。早稲田に入ってからは勉強はせずに好きな本と音楽に熱中してさして強くもない酒を飲んで無頼な生活を送っていた。当時運刻斎は結婚して千葉県松戸市に住んでいたがよく我が家に遊びに来てはレコードを紹介してくれたりまた大切な「サティ」のLPを持ち帰り?されたこともあった。その後大学を中退して出版関連の業界に身を置いてイラストを描いてみたり、映画評論のようなものを売文したりしていた。それでもそこそこの収入にはなった様で金に困った様子は見られなかった。そして1989年10月に小説のデビュー作「グッドバイロリポップ」を上梓することになるのだが、ここまでの彼の逸話は数限りない、まあ亡くなったことだしそこら辺りは包み隠して彼の作品の一覧を挙げてこの駄文のおわりにしておく。コメントを頂いた光生のお友達の方々へ本当にお世話になりました。

アーマゲドン2000 悪い夏 (ハヤカワ文庫ハィ!ブックス 1992/4)

目醒めの時 (ハヤカワ文庫ハィ!ブックス1992/10)

グットバイ・ロリポップ (ハヤカワ文庫JA 1989/11)

わが母の教えたまいし歌 (ハヤカワ文庫JA―伊栗慎太郎事件ファイル1991/2)

アーマゲドン2000 怒りの日 (ハヤカワ文庫ハィ!ブックス1992/5)

 


デジブック 『明孝陵』

2013年12月23日 | 親戚

明孝陵(みんこうりょう)は中国の南京の東にある紫金山の南麓に位置する明の太祖洪武帝朱元璋と后妃の陵墓。世界遺産に登録されているが、外国人観光客は少なめである。しかし、見学者は多く、中国各地から団体で観光客が訪れる。周辺には中山陵や霊谷寺といった観光地があり南京の主要観光地となっている。

デジブック 『明孝陵』