千鳥ヶ淵に桜を撮影しに行ってきた、いつも言うことだが、爺さんたち、かならず1人か2人婆さんも混じるのだが数人のグループで押しかけてズラリと三脚の上に一世代前の例えばNikinD700とかCanonEOS5Dにこれまた一世代前の少し長めのズームレンズをつけて皆が同じ構図で撮っている様は異様である。百歩譲ってまだ撮影するのならいいが、古き良き機材を自慢そうに展示する(まさか展示しているわけでもないだろうけど)そして写真もとらずに古いカメラを眺めている。アナログ時代なら3年前のカメラでも最新機種で自慢(何を自慢するのか知らないけど)出来ただろうけど、良い悪い、好き嫌いは別として今の時代3年前のデジタル一眼なんて中古で売りに出しても1万円台ですよ!!
まあそんなことどうでもいいですが邪魔なんですよ、特に人出の多い千鳥ヶ淵では、昨日のグループは東北からいらっしゃたのかな?「つんどりがふず」と発音されてましたっけ。
そして彼らの撮影スタイルはリーダーと思わしき古老?がいろいろご指導されたあと皆で三脚を担いで「つんどりがふず」植込みの場所に移動して撮影するのだが、三脚撮影の諸問題としてよく言われるように先生が言う通りの構図にするためにはカメラの位置が固定出来てそれはそれで有効です。しかし先生の言うとおりに撮影して楽しいのですか?
もっと言えば、三脚を抱えて動く為、機動力に欠ける(おまけに他人の邪魔をする)ここで爺さんたちに申し上げたいのは三脚を使う撮り方は現代の撮影技法ではほとんど必要ない何故ならば三脚を使うメリットは「手ぶれしにくいこと」と「水平(垂直)が出しやすい」これだけです。
まず、三脚を使うのは失礼だが爺さん婆さんがほとんどである、若い人は三脚はあまり 使わない。それは、銀塩時代の「古い常識」がいまだに古老の人たちの頭脳の中ではまかり通っているからである。古老の若かりし時代のフィルムはISO400が最高でかなり手ぶれの危険性があった、そして古老の時代のレンズは、絞り開放でのシャープネスが甘くてF値も大きくて、絞って使わなければならなかったのでよけいに手振れの危険があった、さらには古老の頃のカメラはAFやAEが発達しておらず、臨機応変な撮影条件の変更に対応できなかった為三脚でカメラを設定する必要があった。さらには古老の時代はフィルムや現像代が高価で撮影枚数そのものが最大で36枚とデジタルとは比較にはならないのだ。
まあ云っても無駄だけどそろそろ三脚をやめたらどうですか?
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