松村知也、猫が大好きな爺さん

自身の忘備録です、日記風の記述だが政治的な意見や専門領域(電子工学・品質管理)の記述は意図的に避けています。

個展開催について

2011年09月14日 | 文学事評
2011年9月13日(火)
9月13日個展の初日を迎えた。昨日の搬入作業でやり残した展示の残り作業である題名の表示や、表看板の掲示などを8時30分から開始してなんとか9時の開場前に準備を終えた。開場早々というか開場前に散歩のついでに寄ったというおじさんの来客、散歩のついでといいながらも絵画に対する並々ならぬ見識に少し警戒、続いてもう一人、こちらは駐車場の利用の理由付けと言う感じだが、10時前に2人のギャラリーで、このまま増えるかと思いきや以降は閑散としている。結果として初日の来訪者は34人であった。
市民ギャラリーの開催予定を見ても、圧倒的にグループでの開催が多く個展というのは私だけの様子、考えてみればプロでもないのにこれだけの壁面を埋めるだけの作品を制作する人がいるとは思えない。という事は当初計画していた新作だけでの個展開催など最初から無理があったと改めて自覚する。個展は来場者のレベルというか相手が持っている鑑識眼を把握することが大切である、それが無理でも来場の意図を見極めることが必要である。来場者の事は置いて、自身の画業に対する姿勢のあり方、何はさておいても感性を磨く事、そして基礎技術の向上、特に技術的なレベル、デッサン力の強化など展示した作品を俯瞰してみた結果課題が山積みである。絵の難しさを感じる今日この頃、そもそも絵画の制作とは何か?なにを目的として絵を描くのか?と問いつめたときに本音を正直に言う人は少ないだろうが、私にとっては間違いなく「功名心」あるいは「自己顕示欲」はたまた「好奇心」というか好奇心の対象の追求の手段としての絵画制作、この3点が主たる目的ではないだろうか。希望的な観測だが夏場だけでもフランスへ移住する方法も一つの解決策になるのかもしれない。パリは不思議な魔力のある街で、たとえ1週間の滞在でもツアーやビジネスで短期滞在する人間には理解できない不思議な感性を導きだしてくれる、少なくとも私には内面の変化が生じてくる事は間違いない。
2011年9月14日(水)
個展2日目である、昨夜思いついてポスターを制作した、Photoshopでバックグラウンドを造り文字入力でA3サイズにプリントアウトした。コピーは熟慮の上「パリの哀愁を描く」「夏村富也個展」とした。市役所第2庁舎前の掲示板に貼る、少しはキャッチ効果があるか?期待して客を待つことにする。今日は照明を変更してスポットライトで作品を照らすように工夫してみた。下手な絵も少しは上手に見えるのではないだろうか?と自問自答している、10時前に3人の来訪があった。その後パソコン教室でご一緒したボランティアのFさん、事務のKさんが来訪された。午前中に同好会の代表でボランティアで絵を教えている方が来訪された、来年2月にグループ展を開催されるとの事だったが、技術的な話に終始した、絵の解る人が見に来るのは覚悟しているが、勉強になる反面精神的なプレッシャーになるのは苦痛である。本日は31人の来客であり昨日よりは低調である。