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PADDY PHIELD RETURNS!

1977年、パンクロック勃発直後のロンドンへ渡った日本人ドラマー、パディが駆け抜けた激動の日々を記録するページ(管理人)

日本上陸(3)

2007-02-28 23:30:21 | Reminiscence
 1979年秋、カドリー・トイズは日本先行デビューが決まり、音楽誌に載る回数が増えてきます。これは当時のパンク/ニューウェイヴ雑誌『ZOO』で、バンドのプロフィールとアルバム『倒錯のギロチン・シアター』(日本盤)のレビューが2ページにわたって掲載されたもの(執筆者・鈴木佳行さん)です。長いので何回かに分けてご紹介します。 (資料提供/FUNTIME)
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『グラム・ロックにパンクの味付けをしたグループ、カドリー・トイズ登場!!』

★Part 1
 カドリー・トイズのデビューは今をさかのぼること約2年、ロンドンにニュー・ウェイヴ旋風吹き荒れる1977年のことだ。当時は、レイプトというショッキングなグループ名と共に、ドラマーに日本人が参加しているということで日本でも2、3の雑誌に取り上げられ、少なからず話題になった。また、1978年3月にリリースされた彼らのデビュー・シングル「プリティ・ピードフィルズ」がニュー・ウェイヴのチャートを上昇したこともあって、彼らの存在は日本のみならず、本国イギリスでも一躍注目を浴びた。しかし、その後は更にシングルを一枚出したものの、これといった話題にはならず消息も途絶えがちで、浮き沈みの激しいブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ・シーンの中で、荒波にのみこまれてしまったのではないかという危惧さえ抱かれる昨今であった。
(この項つづく)

【ZOO / NO.24 昭和54年10月25日発行 p20-21】


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日本上陸(2)

2007-02-24 21:00:07 | Reminiscence
 前回はRAPEDがリアルタイムで日本の音楽誌に紹介された記事でしたが、今回はRAPEDからCUDDLY TOYSに改名したニュースです。掲載誌は、当時のユース・カルチャーの発信元として一世を風靡したマガジンハウスの『ポパイ』。大貫憲章さんが担当していた音楽ページで紹介してくれています。
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『レイプトかカドリー・トイズか?
どっちもよくない、なんて言わないでね。』

 ロック小僧なら、名前くらいは記憶の片隅にとどめているに違いない、あの、日本少年の在籍するロンドン・パンク・バンド、レイプトが、いつまでもマイナーのパンク・バンドでやってるわけにはいかないってことで、最近、大幅なグループ改造をした。
 まず、グループ名を変えた。レイプトというのは、彼らとしては“レイプト・バイ・ソサイエティ”のつもりで名づけたのだが、そういう事情を知らない人からは、きわめていかがわしい悪印象でしかみられないようで、あっさりこれを放棄し、カドリー・トイズ(Cuddly Toys)つまり、“抱きしめたくなるようなおもちゃ”という名に、コロッと変えちゃったのだ。
 サウンドのほうはといえば、従来のパンク・パターンから脱して、よりハードに、しかもかつてのグラム・ロック的なキッチュさを加えた、ポップなものへと練り上げつつある。T・レックスやD・ボウイー、クイーン、ジャパンなどがお気に入りの彼らとしては、当然の変化といえなくもない。
 とはいえ、今のところ大手のレコード会社と契約することがなによりの大問題で、今回のイメ・チェンはそのためのデモンストレーションでもある。日本少年パディくんのさらなる奮闘に大声援をおくろうではないか。

*写真の説明文*
上が現在のスタイルで下がレイプト時代。あんまり変わっとらんのね

【POPEYE /1979年6月10日号の大貫憲章さんのページ】



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日本上陸(1)

2007-02-19 00:38:38 | Reminiscence
 ここではRAPED/CUDDLY TOYSが活動していた当時の、主にイギリスでの写真や記事などを掲載していますが、今回は日本でRAPEDがリアルタイムで紹介されている貴重な記事! MUSIC LIFE/1978年6月号『ロック界のホット・ニュース / NEWS OF THE WORLD』というページで、5?×16?ほどのモノクロ記事(写真付き)です。外国のロックバンドに日本人がいることが珍しい時代。パディさんの存在が注目されていたのがわかります。画像が見づらいと思うので、全文そのまま掲載します。(資料提供・FUNTIME様)
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『ジャパニーズ・パンク・ボーイが海の向こうで大活躍!』

 ロンドンではあい変わらず、パンク・パワーがロック・シーンを圧巻し続けているが、ここにちょっとユニークなバンドがいる。レイプトという強烈なグループ名もさることながら、濃厚にメイクをほどこしたメンバーの顔には迫力がある。
 さて、このレイプトのドラマーが日本人だということで、少々評判になっている。彼の名まえはパディ。1年程前にイギリスに渡り、ロンドンのキングス・ロード周辺にたむろしていた、レイプトのメンバー達と知り合って、一緒にやり始めた。
 レイプトはパロール・レコードというマイナーのレーベルから「Pretty Paedophiles」というEPを発表しており、ライヴ・ハウスなどで演奏活動をしているということだ。レイプトに興味を抱いた方は下記の住所に連絡してみよう。---以下、Parole Recordsのアドレス 
 
*写真の説明文*
レイプトの四人。右下がジャパニーズ・パンク・ボーイのパディ

【MUSIC LIFE/1978年6月号・274p】



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思い出写真(17)

2007-01-14 16:17:25 | Reminiscence


初期のRaped。パディさんの髪が黒い!



GAY NEWS誌に載ったRapedの記事。

(☆=管理人 ★=パディさん)
☆上の写真のパディさん、髪の色がまだ黒いし、あんまりメイクもしていませんね。いつ頃ですか?
★この写真は すごおおおく 最初の頃で ぼくが まだ 完全に punkに 染まってない頃 写したの。下はLutonってところのPan clubというゲイ・クラブでやったギグ。そこではパンク・バンドが出演したのが初めてで、"PAN'S PUNKS"ってタイトルの記事がGAY NEWSに載ったんだよ。そこのオーナーは僕らをけっこう気に入ったみたい。
☆記事の中に「sweet and niceって書いてますね。Rapedという(過激な)バンド名からは予想できない」みたいな。これが1977年10月~11月くらいでしょうか。
★Rapedの最初の1ヶ月くらいはロンドン市内ではやってなくて、ロンドンでの 1番最初のギグは kings roadにある world endで stiff little fingers と いっしょでした。
☆本当にいろんなバンドと一緒にやってますね!
★あの頃は いろんな punk bandsと ギグしたし、レコーデイング、インタビューなんかで とっても 急がしかったの。Raped、Cuddly Toys といっしょに ギグやったバンドは;
x-ray spex, adam & the ants, boys, dark, theatre of hate, andy & sex gang children, adverts, the pack, mo-dettes, pretty british, physchodelic furs, gary glitter, bauhaus, classix nouveaux, cowboy international, howard jones, lurkers,dumb blond, crass, poison girls, slits, dance society,neon hearts, 、、、まだ 思い出せないのが いくつかるけど、 けっこー あるでしょー!!!
  (ハワード・ジョーンズも!……と驚きつつ、次回へ)


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思い出写真(16)

2006-11-25 15:10:31 | Reminiscence
1970年代後半のMarquee Club


前にも載せましたけど、Cuddly Toys@Marquee


“カドリートイズって、レイプド?”という見出しの記事


(☆=管理人 ★=パディさん)
☆正式にCuddly Toysとしてスタートしたのが、正確な日付けがちょっとわかんないですけど、1979年1月のMarqueeでのギグからなんですね。上の記事によると、その時すでに日本から取材が来ていたようです。……で、なんでギグが荒れたんですか?
★僕たちの気持ちはもう切り替わっていたので、Cuddly Toysとして作った新しい曲をプレーしたんだよね。そしたら、Rapedの曲を全然やらないもんだから、オーディエンスが怒り出しちゃって。
☆あ、みんな Rapedのつもりで見に来ていたんですね。
★イギリスのオーディエンスは、気に入らないとハッキリ態度に出すからね。もう、すごおおおく いっぱいの ビールのカップがとんできたの。それに『ブーイング』の アラシで プレーできなくなっちゃたの。けっこう恐かったんだよ。だから、僕たち一度演奏を中断して引っこんだの。それで、もう一度ステージに戻って、Rapedの曲をやったら、今度は ものすごーく盛り上がったんだよ!
☆バンドの変化に、最初はお客さんも戸惑ったんですねぇ。
★そうかもね。そのかわり 中断後は オーデイエンス すごおおおく 乗ってたよ!
☆Marqueeって楽屋口がなくて、バンドもお客さんのいる店内を通って出入りするんだ、って言ってましたよね。会場が荒れたままじゃ、恐くて帰れない!
★でもね、雰囲気のいい時はお客さんが飲み物おごってくれたり。そのほかにも“いろんなお誘い”があったりね!(笑)
☆なるほど。鍛えられますねぇ、いろんな意味で。
(……感心しつつ、次回へ)

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思い出写真(15)

2006-11-18 16:55:10 | Reminiscence
(☆=管理人 ★=パディさん)
☆前回フライヤーを載せたRainbow Theatreのギグ(1978.12.20)、Rapedの『さよならコンサート』って書いてあります。Last English Gig as Raped ……と。そのあと、RUDIとアイルランド(ベルファスト)にツアーしてコワイ目にあったんですね。

RUDI


★そう。これ取材でも話してるけど、僕とショーンが過激派(IRA)メンバーの彼女に手を出したって誤解されて「探して殺せ!」ってことになって……。IRAが「殺す」って言ったらホントにやるからね。12月のベルファストなんてすごく寒いのに、真夜中に外に逃げて隠れ回って……。どこかの工場かな、入り口の警備員の詰め所に明かりがついてたのでトントンたたいて、警察呼んでもらったの。警察では留置所に泊まったんだけど、そこの壁や扉がすごく分厚い鋼鉄なの。なぜだかわかる?
☆えぇっと、脱走できないように?
★違うの。たとえ警察に駆け込んでも IRAは爆弾投げ込んで殺そうとするから。収容者を「保護」するために頑丈にできてるらしいよ。
☆こわいですねぇ! ちなみに、このギグは Cuddly Toys 名義になってたみたいですが?
★ああ、たぶん1978年の終り頃は Rapedの名前では ギグが ぜんぜん出来なくなってたので、 いくつかのギグでは Cuddly Toysの名前を 使いはじめたのかもしれないの。でも オフイシャルには1979年の Marquee から正式に Cuddly Toysになったはず。でもねぇ、その時が1番 荒れたの……。 (それはなぜ?! 答えは次回に)


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思い出写真(14)

2006-11-14 01:43:55 | Reminiscence
RAPED--Live at Roxy



(☆=管理人 ★=パディさん)
☆Roxyでの写真、見てるだけでバンドのエネルギーが伝わって来ますね! 『PUNK DIARY』って本によると、RapedのRoxy 初登場は1977年12月1日。その後、12月25日にもたくさんのバンドといっしょに出演してますけど、クリスマス・イベントだったんでしょうか?
★Roxyのクリスマス・ギグだね。あれは 48hrs none stop party だったの。
☆2日間、ぶっとおしで? 見るほうも演るほうも大変……。あ、みんな、○○○○やってるから平気なんだ?
★うん!(笑) あとねぇ、Generation X といっしょにギグしたのも Roxyだった。Roxy のほかにも Marqueeや Rainbow Theatreに出演できた時は、すごおおおくカンゲキしたんだよ!!! あーあっ、あの時ビザでトラブルにならなければ、がんばってWemblyまで行きたかったなあ。。。



☆ これは(↑)1978年12月20日のフライヤー。Rainbow Theatreで Adam & The Antsとやってますけど、彼らと対バンすると荒れるって言ってましたよね。仲悪かったとか?
★えーとね、ギグが荒れたのは バンド同士の 問題じゃなかったの。その頃のAdam & The Antsのファンって、ちょっと Sham69のファン(註/硬派で戦闘的な愛国主義者が多かった)みたいなところがあって、なぜかぼくたちを嫌ったの。それでギグがちょっと荒れたの。 
☆軟派と硬派のブッキングだったんですね。Rapedのファンは不利かも。逃げろ!(笑) (脱兎のごとく次回へ)

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思い出写真(13)

2006-11-10 18:39:46 | Reminiscence
ひきつづき、RAPED--Live at The Vortex



(☆=管理人 ★=パディさん)
☆レイプドのCD『THE COMPLETE RAPED PUNK COLLECTION』に収録されてるライブ音源も、Vortexでのものですね。カヴァーも2曲(L-O-N-D-O-N、KNOCK ON WOOD)やってます。カヴァー曲は、ライブでよくやってたんですか?
★この他に、カヴァーでプレイしたのは(カドリー・トイズ時代も含めて)『You keep me hunging on』『I wana be ur dog』『Baby's on fire』くらいかなぁ。
☆ショーンの歌う『Baby's on fire』、聞いてみたかった! あ、『Madman』は作った方たち(ボラン/ボウイ)がリリースしてるわけじゃないので、カヴァーって言わないんですね。そういえば、Eaterもグラム系のカヴァー曲をよくやってました。彼らもパディさんと同じ15~6歳くらいだったんでしょう?
★Eaterとは 2、3度 ギグやった事あって、1番最初は たぶん『vortex』だと思うの。でも、あんまり覚えてなくて……。同じ頃、Roxyへの出演が決まった事の方が うれしくって、 Vortexの事は おぼえてなかったのかもしれない。
☆やっぱりRoxyって、パンクバンドにとっては特別な場所でした?
★うん、「Roxy club に出られる!!」って、すごくうれしかった。実際に出てみたら、思ったより小さいし、きたないので 少し ガッカリしちゃったけど。でも、 punkのメッカで プレーできるって事が、すごおおく うれしかったし、 テンションが すごく 上がった事を 今でも おぼえてます。 (Punk Venueの話、まだ続きます)

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思い出写真(12)

2006-11-06 18:07:37 | Reminiscence
レイプドのギグ。1977年後半or1978年。場所はロンドンのThe Vortex。



(☆=管理人 ★=パディさん)
☆これはレイプド時代のライブ写真ですね。当時はどんなところで演奏していたんですか。
★ぼくがレイプドに入ったのが、確か1977年9月の初めで、バンドの最初のギグは1か月くらい後だったと 思う。ロンドンの外で、何回かギグをした記憶があるんだ。ロンドンで プレイするよーに なったのは、10月の終り頃か11月の初めの頃だと思うの……。初めは roxy club, gay clubなんかで ギグやって、それから vortex, ding walls, marqee, moon light club とかに 出るよーになったの。
☆結成まもない時期に、けっこういろんな所に出てたんですね。
★Vortexでは けっこうプレイしてて、Boysとも対バンしたんだよ。あのね、お母さんがとっといてくれた ぼくのスクラックブックを見たら、77年の11月14日にSlaughter & Dogsと、そして12月13日にEaterと、Vortexで ギグ いっしょにやってるの。1978年にぼくのお父さんがロンドンに来た時も、ちょうどギグが あって、お父さんがVortexに 見に来たんだよ!!!
☆ホントに? お父さんの反応、どうでした?
★ええーとねえ、 お父さんのリアクションはね、『ポカアアアン』としてた……。きっと ソーゾー出来なかったんだと 思いまあああす。
☆レイプドのギグを目撃した数少ない日本人の中に、パディさんのお父さんがいたんですね!
(……っと驚きながら、次回へ続く)


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思い出写真(11)

2006-11-01 01:07:05 | Reminiscence
カドリー・トイズのギグ。オーディエンスの中には日本人ファンの姿も見える。


(☆=管理人 ★=パディさん)
☆カドリー・トイズの1stアルバム『Guillotine Theater』のプロデュースを、ウッディ・ウッドマンジー(グラム期のデヴィッド・ボウイのバンド、スパイダース・フロム・マースのドラマー)がやっていますね。パディさん、「自分はDIYドラマーだけど、ウッディにはいろいろ教えてもらった」って、言ってたでしょう。どんなことを学んだんですか?
★ウッディから ならったのは 『タイトな ドラミング』なの。彼は とっても 『タイトなドラマー』で、ぼく、その彼の『タイトなビート』を ならったの。でも、あまりタイトだと ダイナミックなドラミング、 重いドラミングが できないから、 いろいろ 考えて プレーしてるの。
☆下の写真、左から2番目がウッディですね。ちなみに彼は、トム・クルーズもはまってる新興宗教の『サイエントロジー』に傾倒していて、現在ではそちらの活動がメインらしいですが……。 (さらに、のんびり続く)



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