『倒錯のギロチン・シアター』雑誌広告(1980年)
前回に引き続き、アルバム『倒錯のギロチン・シアター』の雑誌広告ですが、これは発売から約1年後の1980年秋のもの。(資料提供/じょんこさん)
音楽専科(1980年9月号)

rockin' on(1980年10月号)

広告の中のパディさん

(メインのキャッチ・フレーズ)
“混迷のロンドン・ニュー・ウェイヴ・シーンに単独で殴りこんだ日本人がいる!”
……なんだかスゴイことになってます。ヤ○ザの出入りみたいです(笑)。単独で殴りこみ=高倉健orシュワルツェネガーみたいな人を想像しますが……、パディさんですから!
(↓こんなコピーも)
“湘南に生まれたということ以外、
何のインフォメーションもないが紛れもない日本人ドラマー
彼が率いる5人組が今ロンドンに燃える。”
率いてますよ! 殴りこんで「組」を掌握したようです! それにしても、アルバム発売から1年近くたって急にパディさんを大プッシュしているのは、なぜ? ……というわけで、本人に聞いてみました。
「あー、その頃ね、カドリー・トイズの日本ツアーの計画があったの! 日本側のプロモーターはドアノブってところで、日本でいろんなところを回る予定だったんだよ。神奈川大学の学園祭に出る話もあったみたい。だけど、ビザの問題で僕がバンドをやめなくちゃいけなくなって、日本ツアーも流れちゃった。本当に残念だったなぁ!」
なるほど、これはカドリー・トイズ『幻の日本ツアー』に向けての宣伝だったんですね。ロンドンに渡った日本人ミュージシャンがバンドを引き連れて日本に凱旋、という青写真が描かれていたのでしょう。1980年にそれが実現していれば、かなりセンセーショナルな話題になったはずです。
そして今、フロントマンのショーンは亡くなりましたが、パディさんとトニー、フェビアンは、カドリー・トイズを再結成して、27年前に果たせなかった『CUDDLY TOYS IN JAPAN』を、今度こそ実現させようとがんばっています!
前回に引き続き、アルバム『倒錯のギロチン・シアター』の雑誌広告ですが、これは発売から約1年後の1980年秋のもの。(資料提供/じょんこさん)
音楽専科(1980年9月号)

rockin' on(1980年10月号)

広告の中のパディさん

(メインのキャッチ・フレーズ)
“混迷のロンドン・ニュー・ウェイヴ・シーンに単独で殴りこんだ日本人がいる!”
……なんだかスゴイことになってます。ヤ○ザの出入りみたいです(笑)。単独で殴りこみ=高倉健orシュワルツェネガーみたいな人を想像しますが……、パディさんですから!
(↓こんなコピーも)
“湘南に生まれたということ以外、
何のインフォメーションもないが紛れもない日本人ドラマー
彼が率いる5人組が今ロンドンに燃える。”
率いてますよ! 殴りこんで「組」を掌握したようです! それにしても、アルバム発売から1年近くたって急にパディさんを大プッシュしているのは、なぜ? ……というわけで、本人に聞いてみました。
「あー、その頃ね、カドリー・トイズの日本ツアーの計画があったの! 日本側のプロモーターはドアノブってところで、日本でいろんなところを回る予定だったんだよ。神奈川大学の学園祭に出る話もあったみたい。だけど、ビザの問題で僕がバンドをやめなくちゃいけなくなって、日本ツアーも流れちゃった。本当に残念だったなぁ!」
なるほど、これはカドリー・トイズ『幻の日本ツアー』に向けての宣伝だったんですね。ロンドンに渡った日本人ミュージシャンがバンドを引き連れて日本に凱旋、という青写真が描かれていたのでしょう。1980年にそれが実現していれば、かなりセンセーショナルな話題になったはずです。
そして今、フロントマンのショーンは亡くなりましたが、パディさんとトニー、フェビアンは、カドリー・トイズを再結成して、27年前に果たせなかった『CUDDLY TOYS IN JAPAN』を、今度こそ実現させようとがんばっています!