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PADDY PHIELD RETURNS!

1977年、パンクロック勃発直後のロンドンへ渡った日本人ドラマー、パディが駆け抜けた激動の日々を記録するページ(管理人)

新たな扉が開いた夜 ~2005.8.21~【Part 5/最終回】

2006-05-27 09:30:01 | Column
★証言コメント集「あの日、私は……」★
2005年8月21日、パディさんが楽屋に突然現れた時の状況を、ヤングパリジャンの皆さんに語っていただきました。
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あの日……、楽屋で準備が完了した時、一人の人が訪ねて来ました。

「ホームペ-ジ見て今日ライブに来ました。」

普段本番前に人なんて来ないし、なんか知らない人が見に来てくれたんだなぁ、
嬉しいな~、なんて思ってると、

「昔カドリ-トイズと言うバンドでドラム叩いてました、パディです」と!

一瞬なんの事が良くわかんなくて、唖然としてたら、ツネさんが「誰?」と。
「カドリートイズのパディさんですって」と伝えた時の、
ツネさんの驚き様ったらなかったです!

あの日一番覚えてるのは、ツネさんが凄い嬉しそうだった事です。
あんなに嬉しそうなツネさん見てたら、こっちまで嬉しかったですよ。
あ~バンドやってて良かったなと、その日は特に思いました。

もうすぐまた会えるのですね。
一緒にプレイ出来るのが楽しみです! 

★KEIJI RONSON (YOUNG PARISIAN/GUITAR)
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あの時は……、正直誰なのか分かっていませんでしたが、いつもと違う楽屋の雰囲気にただならぬものを感じ、かつてないテンションが・・・そう、体の奥底からエネルギーが湧き出てきてやたら熱かったのをはっきりと覚えています。まさにパディさんから力をもらったのだと思います。またあの感覚が欲しくて仕方ありません」
 
★HERO THE KNACK (YOUNG PARISIAN/DRUMS)
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あの時、私は……、化粧を終え、楽屋の出入り口で緊張とたたかっていました。
そこへパディさんがやって来て大騒ぎに!
一緒に写真を撮ってもらったり、握手してもらったり。
そして急遽、MADMANを演奏することに。
緊張して当然の様にイントロを失敗してしまいました・・・。
まさかパディさんが僕たちのバンドを観に来るなんて。
とんでもなくビックリした一夜でした。

★MARSHA (YOUNG PARISIAN/BASS)
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あの時、私は……、

確かパディさんが最初に僕に声かけてくれまして、

「カドリー・トーイズでドラムやってたパディーですが....」 仰天!!

「ツネさん!!カドリートイズのドラマーの人が...」

ツネグラムサムの「えっ!」

普通の「えっ!」ではなかったですよ!
人が本当に驚くところを目の当たりにしました

★CAR ALL (YOUNG PARISIAN/GUITAR)
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あの時わたしは・・・・出番直前のメイクの仕上げ中。

そこで楽屋にふらりと現れた男性。
年齢不詳、正体不明ながらも、ただならぬオーラをまとう。

「ヤングパリジャンですか?」

そ、そうですが・・・・(誰?)

「ぼくパディです。むかしカドリートイズやってた」

パディ? カドリートイズ?


・・・ぇええええええ!!!


キツネにつままれたような気持ちとはまさにこのこと。

「なんでここにパディさんがいるんだろう・・・????」

緊張というより、突然すぎるこの出来事の意味が理解できず頭が真っ白になったままステージにあがりました。

だって、僕はこの人の行方を探していたんですもん。
それがまさか向こうからたずねてくるなんて。

いまだに信じられません。

あの日のライヴはもともとかなり気合がはいってたんですが、パディさんの登場で、より焦点が定まりました。あの日のライヴ写真をみると全員カオツキがいつもと違うのです。

また会えるのが楽しみでしかたないです。

★TSUNEGLAM SAM (YOUNG PARISIAN/VOCAL)
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【END】

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新たな扉が開いた夜 ~2005.8.21~【Part 4】

2006-05-26 15:45:54 | Column
 あの夜から約3カ月後、ツネグラム・サムによる「パディ・フィールド・インタビュー」が『DOLL』誌に掲載されると、パディさんは“初期UKパンクの渦中にいた唯一の日本人”として改めて注目を集め、それは翌年4月のレイプドの日本盤発売へとつながっていく。「レイプドは僕が入った最初のバンドだし、日本盤は出ていなかったから、このニュース、すごくうれしいんだ!」とパディさんは言う。小さな流れは、確実に大きくなっている。

 ヤングパリジャンとの出会いによって、パディさんのロック・スピリッツは再燃した。また、あの時期ちょうどデビュー・アルバムを制作中だったヤンパリに、パディさんが与えた影響も少なくないと思う。そのアルバム『ヤングパリジャン その華麗なる世界』の宣伝フライヤーには、“20センチュリーにロンドンで埋められたグラムロックの種が風にのって運ばれ、それがTOKYOの成分を吸い、21センチュリーのTOKYOで花開いた”という、パディさんの推薦コメントが載った。「機会があれば、彼らの次回作をプロデュースしたいなぁ!」とのこと。世代を超えたロックの相互作用。

 「僕、もう完全に冬眠からさめた」 あれからメールをやりとりする中で、パディさんは言い切った。「やっぱり、僕には音楽しかなかったんだ。一度死にかけてよくわかった。もう絶対やめたりしない。だって、死ぬ時に後悔したくないもの」 失踪、人間不信、ドラッグ、死の淵……。いろいろあり過ぎた年月を超えて、ずっと停まっていた彼の時計は、あの夜から再び動きだした。「ライブハウスの場所がよくわかんなくてグルグル歩いて、交番で教えてもらったんだ」とも言っていたパディさん。あの蒸し暑い夏の夕方、たったひとりで不慣れな新宿の雑踏の中を迷いながら、たどり着いてくれたんだ……。そして新宿でスパークした出会いの火花は、これからも新しい出会いを次々に誘発していくのだろう。 (なんとまだ、Part 5へ続く!)

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新たな扉が開いた夜 ~2005.8.21~【Part 3】

2006-05-23 13:15:49 | Column
 20年以上、パディさんは音楽からもバンド仲間とも完全に離れ、本人の言葉を借りると「冬眠していた」。あの日も「パナッシュのポール、今どうしてるか知ってる?」と聞かれたし、ショーンが亡くなっていることも知らなかったようだ。「ロンドンに帰ったらメールするね!」と帰って行ったパディさん。そして、ツネグラム・サムが動き出す。元カドリー・トイズのフェビアンに『パディ・フィールド、東京に現れる!』のニュースを伝えて橋渡し役に。驚いたフェビアンはトニーに連絡し、あの新宿の夜からわずか2~3週間後、カドリー・トイズの(故ショーン・パーセル以外の)オリジナル・メンバーは、四半世紀ぶりに再会を果たす。

 さらに、タイのポール・ハンプシャーからパディさんに、うれしいメールが! なんとポールは、パナッシュをやめて行方をくらましたパディさんを心配し、ずいぶん探したのだという。日本にも何度か探しに来たというから、本当に気にかけていたのだろう。タイミングよく、彼のバンド、FUTONのロンドン公演があり、10月上旬にはポールとも感動の再会! まるで、オセロゲームで一個置いたコマの周りがパタパタとひっくり返っていくようだった。

 「東京から戻って以来、夢みたいなことばかり起こる。なんだかコワイくらいだよ!」と、パディさん。その後、ロンドンでも積極的に出かけるようになり、元ガールのフィリップ・ルイス(現L.A.ガンズ)やジェリー・ラフィー、リー・ハート(元パーティー・フーラ)にも再会している。最近は、元カルチャークラブのジョン・モスとリハーサル・スタジオでよく顔をあわせるそうだ。こうして、昔の人脈がつながったり、若い世代のレイプド/カドリー・トイズのファンと交流を持ったりしながら、パディさんは新バンドを本格的に稼動させた。 (Part 4へ続く)

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新たな扉が開いた夜 ~2005.8.21~【Part 2】

2006-05-19 22:47:01 | Column
 予期せぬパディさんの訪問。ヤングパリジャンには相当の緊張とプレッシャーがあったと思う。しかし、彼らはこの緊急事態に素晴らしい底力を発揮して、最後まで見事な演奏を見せてくれた。さて、その伝説の人はどこに? 昔はスリムだったミュージシャンが太ったおじさんになった例はかなり多いので、そのつもりで客席を見回すがよくわからない。また、この日何組かいた外国人のお客さんと連れ立って来ているような気もしたり。「もしかして、ヤンパリが終わったら帰っちゃったのかな?」と思いながら他のバンドを見ていると、出番が終わったツネグラム・サムと遭遇。「パディさんって、あの?」「そうなんですよ!」「なんで?」「わかんない……」

 ツネ氏が壁際に立っているサングラスの人物のところへ連れていってくれた。あっ! さっき、あとから入って来た人! 全然、太っていなかった。「パディ・フィールドです」とニコニコ握手してくれる。よく見るとメイクしてるし(アイシャドーはピンク!)、服もピンクだし。そう、昔の写真もこんな感じだった。あまり変わっていないみたい。この夏、久しぶりに帰国して一カ月ほど滞在し、もうすぐロンドンに戻る予定だという。「今日見たバンドは、みんなすごくよかったよ!」と、とても楽しそうだった。

 後日、パディさんから聞いた話。「日本にいる間、いくつかのバンドをテレビの音楽番組で見たけれど、すごくつまんなかった。退屈して途中で寝ちゃったくらい。でも、あの日ライブハウスで見たバンドは、みんな素晴らしかった。上手下手に関係なく、個性的でエネルギッシュで。それに、僕のこと誰も覚えてないだろうって思ってたのに、みんな覚えていてくれたんだよね! ものすごく感動した。あの夜から、僕すごく元気になって、本気でカムバックを考えるようになったんだよ」  (Part 3へ続く)


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新たな扉が開いた夜 ~2005.8.21~【Part 1】

2006-05-18 00:08:56 | Column
 パディさんが私たちの前に突然現れた記念すべき夜のことを、そこに居合わせた一人として書き留めておきます。


 2005年8月21日。東京は熱帯夜だった。日が暮れても気温と湿度は高いまま。なまぬるい空気をかきわけるように新宿のライブハウスJAMに向かう。今夜は『東京ロック・ミーティングVol.6』。聴く者すべてを初期化し覚醒させるザ・ノウ(主催バンド)、ラメをふりまきグラム道を突き進むヤングパリジャン、スピーカーから宇宙の電波が出ているようなテレパシーズ、アンダーグラウンドの闇の香りがするDAVIDTIO、R&Rの強力な磁場を一瞬で築くKEEN MONKEY WORKなど、気になるバンドが勢ぞろいだ。ヤングパリジャンが最初の出番と聞いていたので、早めに到着。

 『その人』が、私のあとに続いて入って来たのを覚えている。髪をゆるく束ねてサングラスをかけ、ショートパンツで素足にサンダルという涼しげなスタイル。性別/年齢不祥に見える『その人』は、開場したばかりのガランとしたフロアに入ると全体をグルッと眺めてから、スタスタと楽屋へ入って行った。しばらくして、楽屋へ続く通路にヤングパリジャンのギタリストKEIJI RONSONの姿が見えたので、あいさつがわりに手を振ってみた。が、いつもにこやかな彼が、なにか挙動不審。目が泳いだままで奥に消えてしまった。その時、楽屋は大変なことになっていたらしい。

 開演時刻を過ぎ、ステージにヤングパリジャンが登場。3曲ほどやって、ヴォーカルのツネグラム・サムから驚きのMCが。「……信じられないことが起きました。僕らの大好きなカドリー・トイズのドラマー、パディさんがさっき楽屋に来てくれて……」 一瞬、意味がわからない。20数年前にイギリスで活動していた伝説の日本人ミュージシャンが、2005年の新宿に、この場にいるって、どういうことなんだろう? 「なので、急遽この曲を」 『Madman』のイントロを耳にした瞬間、事態を理解した。とにかく、マーク・ボランとデヴィッド・ボウイの共同作品でデビューした、あのバンドのメンバーが、今ここでヤンパリの演奏を見ているわけだ。これは、……大事件!  (Part 2へつづく)

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