今日、朝礼の前に行うラジオ体操中にわたり鳥を見た。
渡り鳥の話を初めて聞いたのはいつのことか覚えていないが、
その行動にあこがれを抱いた記憶はある。移動に伴う苦労があるとはいえ、
いつも快適な生活ができるなんて素敵ではないか。
大きくなったら渡り鳥のように、夏は涼しい高原へ冬は暖かい南の海へ出かけるのだ。
と心密かに誓ったものを思い出したのだ。
青年会での素人演芸での「雪の渡り鳥」にはぜひ踊って見たいと思ったものだった。
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この一行は関係ないだろう。(陰の声)
だがその思いは怠惰な生活へのあこがれに過ぎなかった。気づくのが50年遅かった。
おかげで人生をさまよい歩き、お天道さまと一緒に汗をかく生活を送っている。
だがほかからみれば、渡り鳥そのものだという人がいる。
半年は秋田にいて半年は他県で働く、考えてみれば渡り鳥の生活と同じだ。
その渡り鳥が奇妙な行動を取っているらすい。
夏場をシベリアで過ごした渡り鳥の話だ。冬場は暖かい南を目指して日本や中国に下る。
そのはずなのだがどうも南下していない鳥もいるらしいのだ。
きっと、ナンカおかしいという思いが渡り鳥の胸にあったのだろう。
また南下したままシベリア地方の帰らない鳥もいるらしい。
その理由の一つとして地球温暖化が考えられる。つまり北の冬の気候が緩み、
暖かいところに行かなくても繁殖できるようになった可能性があるのだ。
ましてや海を越えて危険を冒す必要もない、赤道直下の島々やアフリカでは雨量が減少し、砂漠化が進行しており、わざわざそこへ向けて旅立つリスクを負わなくてもいい。
あるいは鳥たちの食料事情も関係しているかもしれない。気温が一度あがることに鳥の
エサとなる虫たちは六日も早く飛び回るのだ。
「長丁場の旅ではとてもタイミングをあわせるのが難しい事態になっている」
と鳥類学者の私が考えるのである。
ここで一句「渡り鳥言葉はいいが出稼ぎだ」他県で働く派遣社員