西川攻のブログ

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自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<54>--それでも私はなぜ出馬するのか--    西川攻著

2012-04-19 23:51:36 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

武見太郎氏と田中角栄氏との二度の出会い

                            敬称略 

                                      

第九章 全青春を衆愚政治との対決に

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自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

            <54>

--それでも私はなぜ出馬するのか--  西川攻著

 

 

 

 

第九章 全青春を衆愚政治との対決に

 

 

2・武見太郎氏と田中角栄氏との二度の出会い

 

 

 この二人のを除いては、私の志を理解し、支援の示唆を与えられる人物はいないとの結論にに達しました。

 大野市郎の派閥の親分となった福田赳夫元総理始め同派の幹部級の議員とも度々面談したが話が遅々として進まず、新人S陣営の手回しの攻勢が背景にあることを確実にうかが得る状況に至っておりました。

 このままズルズルと不利な方向に時が経過するのを黙過する訳にはいかない!何とか何とか手を打たなければ・・・。

 そのとき脳裏に浮かんだのが両者でありました。

 田中氏とは既に私が石本茂の選挙参謀として、どうしても彼の力を借りなければ落選するとの判断から単身好物の鮭2匹を手土産に持って挨拶かたがたお願いに目白に参上しておりました。

 そのときは自分の衆院選出馬よりもまず、石本茂を何とか当選させさせなければの一念でした。

 事前にI秘書との電話にてアポイントをとっておいたゆえ、時間通りにとうされました。

 ”そんな金つかわなくていいのに、石本は昔からくさいほど知ってるんだ”そしてチンと合図をに鳴らしI秘書に参院自民党全国区の名簿一覧を持ってこさせ、そこになにやらメモを書き入れた後、”石本は大丈夫だ。心配するな、わかった。”

 と私のお願いの筋を「ウン、ウン」と聞いていましたが合間を見て,同じ選挙区であるせいもあり、しきりに「ところで大野君は?」を連発し、気ににかけてた様子でした。

 彼の面倒見の良さは徹底してました。

 其の後、地元旧3区で石本支援のお願いを越山会三島郡町村議員会議開催の席上にも私を出席させた上壇上での挨拶の場をセットしてくれていました。

 其のほか東京地区にもいろんな配慮をしてくれたおかげもあり、土壇場になって何とか当選に滑り込むことができました。

 事実、開票の終盤の夜、石本本人は落選すると思い込み参議院会館を引っ越すべく荷物くまとめようとしていたとのことでした。

 選挙とは総力戦であり、あらゆるものの力を借りなければ勝つことは難しい事をまざまざと知らされた次第です。

 福田元総理の要請により石本茂の選挙参謀に入り込んだものの、宿敵田中に私が石本のお願いに行かなかったら結果はどうなっていたかわかりません。

 決して私は信義にもとる行動をとったとは思っておりません。

 負けては何にもならないのです。

 同時に噂には聞いていましたが田中角栄のワカッタと言ったら必ず実行する人物であることに得心がいったものです。

 

 

 武見氏との初め面談は日本医師会の会長室で,実に1時間に亘りあらゆる側面から当時の政治について議論することが出来ました。

 

 彼は絶大なワンマン振りを誇る人物であったことは周知の通りです。

 

 特に各種業界が陳情せんが為、議員を招いて懇談をするホテル会場での朝食会、昼食会とは全く異るものでした。

 大勢の国会議員を前にしておいて独演会的なものであり、将にお言葉を議員が拝聴する感じのものでありました。 

 武見天皇とはよく言ったものであると思いました。

 しかし私が驚いたことには、彼は二度とも(もう一度は麻布の自宅で私の書生のY君と一緒に)「よくいらっしゃいました」と言ってお辞儀をして招き入れ、そして帰るときも「よくいらっしゃいました」とドア(自宅では玄関の)ところまで来て丁重なあいさつをする訳です。

 勿論会話の中では一方的な言い方もないではありませんでしたが、二回目自宅訪問のときも確か一時間余りは話に夢中になったものです。

 

 田中氏の場合は2回とも私が立ち上がる直前に手を差し伸べ本人は座ったまま力強い握手をするが、

 武見氏の場合は、話が終わり次第、一緒に立ち上がり、出口まで同道の上「よくいらしてくださいました」と頭を下げ一礼をしたものです。

 

 私はこの武見氏の、面談に来訪した者に対し一貫したした紳士的な応対振りに接し「素晴らしい人物」であるとの感を強く抱かざるを得ませんでした。

 

 それはそれ、之は之、と言った心組みと、大局的なものの見方が優れており、

 俗っぽい味噌もクソも一緒みたいな考え方や手法をひどく嫌っていたようでありました。

 

 しかし、

 私の悪い癖で両者ほどの人物に接すると

やたら議論したくなり、結局、

協力的なものを引き出すよりも、

議論だけに没頭し、

それに終始してしまい、其のことで

得るべきくチャンスを

逸したしたような気がしてなりません。

 

 

 

 

平成24年4月19日

西川攻(さいかわおさむ)でした。 


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