強力政治家不在の今こそ、出番
第十章 我、日本の柱とならん! ・7・
自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」
<69>
--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
第十章 我、日本の柱とならん!
7・強力政治家不在の今こそ、出番
勝負師の迫力とは異なるにしても、ひとつに賭ける意気込みと緊張感を瞬時に集中させる殺気立つ雰囲気が政治家には時として必要です。
然るに解決すべきを先送りし場当たりで調整的なことのみに終始する場面が多すぎます。
汲々として御身を大切にする風潮と相俟って、ここ一番斬った、張ったの局面でさえも使命を貫く大胆な行動力と勇気を今の代議士は欠いているのです。
魂を奮い立たせるだけの毅然としたものを遥か彼方に忘れ去っているのです。
これがまさしく今の永田町の実態です。
国難が凄まじい速さで忍び寄よってる時だけに「極めて由々しい」の一語に尽きます。
問題解決に向けての気迫もなんとしても果たすとの使命感も既成の政党・政治家から窺い知る事はとてもできません。
目先のことやその場しのぎの言を弄して切り抜けることが彼らにとっては精一杯なのです。
こんな輩が明日の日本を切り拓くビジョンや信念も況や哲学などは持ちあわせている訳がありません。
例えその原因が民度の低さとマスコミの誤った煽動の結果の所産であったとしても、本来の政治家としての使命を全うする基礎資格を欠落した卑怯者集団に堕してしまっている事はまぎれもない事実です。
見識層の大半はかれらに絶望してしまっていると思われます。
2009年のマニフエスト合戦に終始した総選挙の結果はマスコミやそれに煽動された選挙民の余りにも表層的な選択眼を反映したお粗末な顔ぶれが顕著な結果になってしまいました。
政権交代の選挙だったとは申せ、その実は、4年間の不作為責任の責めを負うことなく、今後4年間で実現のできるか否かも判らないもので争うなど核心から逃げてしまいました。
不況にあえぐ国民の血税を浪費して政治ごっこをしてるに過ぎません。
既得権に胡坐をかいた一蓮托生の卑怯者どうしが姑息な手段を弄したものでしかありませんでした。
その結果、今日の国民不在の政治が闊歩し決められない政治が定着しつつあります。
廃頽堕落の永田町の温床はまさに茲にあるのです。
このように政党に異常な有利な特典を与えた形になっている現行選挙法の弊害はあらゆる局面で国益を損ねる結果を招来する元凶となっています。
既成議員・政党は、真っ向勝負を恐れ、自己保全の目的のために社会の多様化の時代の流れに逆らい、更に支持政党なし層の増大化を黙殺できればとの狙いを持っております。
之を裏付けるかのごとく政党中心の選挙の大義、名目を楯に、之を政治改革と称し強引に改ざんし続けております。
今の政局一辺倒の一連の動きは本質的な問題にメスを入れられないわが国一般国民の選挙に対する民度の低さに由来しています。
先ず解決すべきは、公明且つ公正な選挙を実践するに必要な選良を国政の舞台に押し上げるシステムを軸に法整備考えた改正を急ぐことが肝要と言えます。
しかる後に、漸く、強力政治家の出番の到来となるわけです。
率直に申し上げて、今、国会を構成しているメンバ-は、もともとその手続き上、国内外の政治を切り開く能力の有無の判断内容も選択肢も有権者に正しく与えずして議席を確保したに過ぎません。
この視点に立脚する限り、実質的には無効と言っても差し支えありません。
一票の格差の問題よりも根本である本問は、選挙の根源的なものであり、この過ちをこれ以上放置することは、確実に日本丸沈没の危機を早める事になると気付かなければなりません。
にも拘らず、次期総選挙が切迫していても依然として従来の不毛の選挙の愚を繰り返す様相が濃厚で改革の兆しは一向に見えてきておりません。
反面、日本は国難の今こそ、自主自立の逞しい国へと飛躍する時としなければなりません。
見識ある人々が決起、結集し日本国民の底力を掘り起こし地殻変動を起し潜在している人材を発掘し、国政に進出させることが必要です。
新しいリ-ダ-のもとでこの国を変えなければ、解決能力ゼロ評価の無能政治家・政党に席巻され、国民不在の政治を未来永劫に断ち切る事はできなくなってしまいます。
あいも変わらず居座っている世襲、官僚、タレント、パフォ-マンス各議員は
政治家としてのどうしても果たさなければとの使命感と信念を貫く気迫の面で無理があるとの認識が必要です。
彼らの役割は、既に過去のものであると考えるべきです。
これから歩むべき自主自立の逞しい日本を創るには、地方の活力と底力を奮い立たせることが不可欠です。
地方は今まで東京を始めとする都市中心の頭脳の手足としての役割しか担えず、その持てる強靭な潜在能力を永い間、封じ込められてきました。
地方の人材が蜂起し日本を変える為あふれる解決能力発揮の時が到来したと見るべきです。所謂、出番がきたのです。
同時に、報道機関には従来の如く、単なる興味度や勢いに押されて浮ついて誤った部分にのみスポットをあてるやりかたをこの機会に換えるとの猛省が求められます。
更に、有権者に対し自立心を育み確固たる信念に基づき然るべき政治参画を切望しないわけには参りません。
西川攻は、
政治社会に蔓延してるガン、
己自身を蝕んでいる癌、
この二つがんの成敗・克服に全力投球。
最期直前にいたるまで
残り少ない余命を
この国の未来に捧げる覚悟です!
平成24年9月23日
西川攻(さいかわおさむ)でした。
。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます