西川攻のブログ

西川攻が日本を斬る!!

☆小説 「孤高」⑲--闘うは、われ、ひとりなり--  西川攻著

2013-04-29 23:26:26 | ■■ 記事一覧 ■■

「天下大乱の

   今こそ・・・。」

 

 

西川攻(さいかわおさむ)の小説

   ☆「孤高」⑲ 

  -闘うは、われ、ひとりなり- 

 

 「7時の待ち合わせ、間に合いますよね、山田さん!」

 「大丈夫、充分余裕があります。お気持ちはわかりますが、少し落ち着いててください、純子お嬢様」

 20年前から菊川家の専属運転手となっていた山田は

 返答するや否や後部座席で浮き足立ってる純子の様子をつぶさに捉え、いけないと知りつつ思わず「フフッ」と、笑いが込みあがるのを抑えることができなかった。

 それに「ハッ」と、われを取り戻した純子は、いつもの冷静さを欠いてる自分に気づいた。

 「ソワソワしてるかに見えるかもしれないけど、そんなんじゃないんだから!・・・。」と

 頬が少し火照ってることを見透かれまいと必死に否定した。

 その慌てぶりと初々しさが車中に間断なく入り込む都会の夕暮れのネオンの明かりで女性としての愛くるしさをクロ-ズアップさせ彼女を一層美しく照らしていた。

 かつて財界4天皇の一人として一世を風靡していた菊川準之助の孫娘として溺愛されてはいたものの人生上、自立に対する厳しさは容赦なく純子も躾けられ誰の目から見ても聡かに気丈に育っていた。

「二十歳になったら理由の如何を問わず親からの全ての援助を断つ。

 依ってそれ以後は成人として一切自分自身の力のみで自立し、己の判断で逞しく人生を歩むこと」 

 之が菊川家の家訓として今日に至るまで代々引き継がれてきた鉄則だった。

 従って純子もその例に則り、二十歳の三年生以降は奨学金とバイトで大学生活の四年を無事卒業せざるを得なかった。

 お陰で実社会の厳しさを始め物事に当たっての真剣さ、緊張感、人情の機微、大局観など自立への大切なものが磨かれて来たと純子はその事については寧ろ感謝していた。

 反面、世間一般の最近の風潮の如くいつまでも親離れできない、子離れできない、欠陥人間が増えていることに辟易していた。

 之が原因となって次々と惹起されている社会の悪しき諸現象に対し深刻且つ由々しきことと常日頃考えていた。

 そんな折、あいも変わらず

いかなる状況下にあっても

志を高く以って

信念を貫き

決して怯まない

裕樹から一週間前三度目の電話で漸く、今日三年ぶりに互いに逢える事となった訳である。

 

 死の淵を幾度となく彷徨う裕樹の口からほとぼしる電話での一言一句の不屈の魂に新たな感動すら憶えた。

 純子の心の中で「西園寺さんと自分とは3年前、あの、出馬断念記者会見席上での質疑応答を通じ、今日こういった形で会うべくして会う運命であったに違いない」との思いを次第に強く抱くようになっていた。

 更に、裕樹の下記、ⅠⅡの内容に全く同感するに至って、その思いは今では急速に確信へと高まっていた。

 << Ⅰ今日の国際的緊張と国難の大半は、敗戦後67年を経過してもいまだに解決できない無能な日本政治家の不作為と優先順位を誤ってる事が大きく影響している。

 同時に、戦後政治の総決算はなんら為されていない。

 その意味からも 

 Ⅱ直ちに北方領土四島を一括返還させる事により国際社会の理不尽な現状に対し理の政治を毅然として命がけで遺憾なく実現する。

 交渉前から腰がひけ、相手ぺ-スに乗ってしまっている現状にすら気付いていない歴代の総理大臣を筆頭に、平和ボケの既成政治家政党の一掃が急がれる。

 彼らに代わり、国民が賢く決起、然るべき新しい力を創りそれに基づく、正義を貫く自主自立の逞しい日本国にチェンジする。

 唯一の被爆国日本であるが故に、国際世論を喚起する強烈な発信力を駆使、核問題に対し何処の国よりも強い絶対的発言力を確保する。

 以上の大義を命がけで実現することが最優先すべき課題である。

 しかしこれが出来る真の政治家が敗戦から今日に至るまでひとりも「誕生できない、育たない」あまりにも哀れな日本の風土になってしまったこと。

 加えて、事は之に留まらず、昨今政治家の小粒化が加速する不毛な選挙が繰り返される事態に陥ってしまったこと。

 結果、日本を切り拓くことがますます困難になり将来の危険と不安は、従来の比ではなくなってきてること。

 従って、天下大乱の今こそ自分が主張しているような戦略を以ってこの国を根本から転換しなければならない。

 その担い手に成り得るのは、今の日本で、ただ一人われをおいて、他になし!” >>

 

「だからこそ、今、何としても!」

 

と訴える裕樹の

”命あるうちに!”との切迫した

使命的野心と

気概を

正しく理解していた。

 

  そして、逸る裕樹の焦る気持ちを慮り、ときに

は涙するほど納得していた。

 

 「私が西園寺さんを必ず、何とかしなくては!」

 

と純子は真剣に考え、その決意は

揺るぎ無く、既に固まっていた。

 

 「お嬢様、着きました。」

運転手の山田の声で、外をみると池袋東口の中央に車は到着した。

 

 そのとき純子の胸はなぜか

「ドキッ、ドキッ」と

 音を立てるが如く異常に高揚していた。

 

 次回は、「何を優先すべきか!」です。

 

 平成25年4月29日

 西川攻(さいかわおさむ)でした。


☆小説 「孤高」⑱--闘うは、われ、ひとりなり--  西川攻著

2013-04-10 20:57:47 | ☆ 小説「孤高」

 秘中の秘の戦略

 

 

 西川攻(さいかわおさむ)の小説

  ☆「孤高」⑱ 

 -闘うは、われ、ひとりなり- 

 

 本人も周囲も心配した肝癌摘出手術後2週間で退院した裕樹の姿は その3日後、早朝から上京せんと新幹線の中にあった。

 都内に着くや否や早速旧知の親友二人のところを各々訪ね挨拶を済ませた。

 両君のいつも変わらぬ心温まる対応に接し今更ながら"持つべきは友”を痛感。

 そのことが勢い、「存命中に必ず所期の目標を達成して見せなければ」との新たな意欲を漲らせていた。

”やってやる!いまにみておれ、しかし、急がなければ・・・。”

 同時に入院中に今は亡き、雪乃が夢の中で三日三晩病床の枕元に現れ、繰り返し必死に励ました言葉が裕樹の頭をよぎり、それを反芻していた。

 もう焦ることは決してなされないでください。

 まずはしっかり養生し、その間じっくり戦略を練り、ときを観て一気に執ればいいんです!

 西園寺さんなら必ずやれます。」

 「今は身も心も休むことが大切です.

何度も死を乗り越えてこられた西園寺さんの生命力は大事を果たさずして朽ちる筈がありません。

北条早雲がそうであったように超大器晩成型に徹してください。」

 

 しかし裕樹はいつまた大腸・肝臓・肺癌が再発し、更には、他の臓器にも転移し兼ねない状況であることは痛いほど認識していた。

「生涯自分には休息などもともと無縁だったようだ」と自分に得心させていた。

「雪乃・・・、兎に角、いまの僕にはもう時間が無いんだ!」

 心の中で大声で叫んだ瞬間、なぜか期せずして裕樹の眼から大粒の涙が一つ、「ポトリッ」と零れた。

 -このような一連の動きを見ると裕樹は、存外、咽喉もと過ぎれば熱さ忘れる類の典型的人物かも知れないとの見方もできる。しかし志を高く以って信念を貫く己の人生をまっとうせんとする純粋の強さが齎らしているとみるべきである。 -

 

 夕刻7時にマスコミで活躍中の菊川純子に逢うべく約束の場所、西武池袋線の改札口へと向かっていた。

「3年ぶりになるのか・・・。」と裕樹は思わず感慨深げに呟いた。

 彼女との出会いは、先回の衆院選出馬表明の記者会見の時が最初であった。

 その後の候補者説明会。そして、忘れもしない「選挙を取るか、命を取るか」と医師に迫られ即日強制入院させられた翌々日、断腸の思いで決断した、あの出馬断念記者会見席上   以来、今日は4度目の出会いとなる。

 当時報道部の記者であったが、彼女にはマスコミ特有の特権意識や尊大さは勿論、枝葉末節にとらわれることの片鱗も無かった。

 常に問題の本質の視点に基づいた質問をする実直で本来あるべきジャ-ナリストの鏡ともいうべき若いが相当な人物と裕樹は高く評価していた。

 医師の反対を無理押しして点滴をはずしてまで臨んだ出馬断念の記者会見中、彼女との当を得た充実した質疑応答があったが故に裕樹にとっては之が参戦を諦めた上で唯一、心の慰めにもなっていた。

 話は3年前に遡る

 そんなこともあってか、退院して暫らくしてから闘病生活の拠点ともなった事務所から会社に電話したが、「東京本社に戻りました」とのことであった。

 本社に電話をかけ直した。

 「覚えておられますか、県庁で出馬断念の記者会見をした西園寺裕樹です。」

「エ!西園寺さん、お体は回復されましたのね、それで次回は出馬なさるのですか?」

 純子は東京本社で衆院解散が取沙汰され政局が緊迫化する状況下で国会詰めの記者として東奔西走頑張っていた。

 裕樹は出馬断念の記者会見の場で

彼女の質問内容と存在が無かったならば

 4ヶ月間の入院生活の中で次期への意欲も萎えていたかもしれなかったこと。

 いつ再発するかも知れないし余命も残り少ないゆえ、急がなければならないこと。

 やらなければならないことが山ほどある。しかし従来のように飛び回ることが闘病生活のため制約され、之を補うのと、何としても生きてきた証を形で残すためにブログを立ち上げたこと。

 ブログに投稿した緊急提言「北方領土返還こそ、戦後政治の総決算!」及び「唯一の被爆国日本。世界唯一の核保有国に・・・。」が見識層の間で深く静かな反響を呼んでいること。

 いつまでも不毛な選挙を繰り返している愚を始め、事の本質に気付かないこの国を根本から変革しなければ早晩、無能政治家国家日本丸は沈没すること。

 之をくい止め、限られた命の限りを尽くし廃頽堕落の政界刷新を果たすことが自らの使命との心組みを以って一日一生の意気に燃え生きてること。など

 一気に自己の現況と今後の思いの丈を縷々述べた。そしてなぜそれほど親密な間でもないのに聞かれもしないことまで彼女に喋り捲ったのか裕樹自身も判らなかった。

 然し、彼女とのこの電話での会話がきっかけとなって、余命少ない裕樹にとって人生最後の重大なチャンスを導くスタ-トになるとは誰も予期することができなかった。

 「早速ブログを拝見させていただきますわ、西園寺さんは東京に来られる予定はありません?!」

 

   次回は「天下大乱の今こそ・・・。」

 

平成25年4月10日

西川攻(さいかわおさむ)でした。