西川攻のブログ

西川攻が日本を斬る!!

☆小説 「孤高」26 --闘うは、われ、ひとりなり--  西川攻著

2014-09-07 22:49:59 | ☆ 小説「孤高」

 新党結成を急げ!

  無能政治家国家からの脱出>

 

 

 西川攻(さいかわおさむ)の小説

   ☆「孤高」26 

   --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 ” いくどとなく死の淵を彷徨(さまよ)い、 

 刻一刻と迫りくる死を前に、

  今、なお、果たさなければならない使命が・・?

 

  だったらなぜ、なぜ、もっと!もっと!

 早くから再会しょうとは思われませんでしたの・・。

 

  西(さい)ちゃんたら!     

    ンもう、わたし知らないから・・・。” 

 

 と、待った無しで切迫した激闘の日々を送ってる裕樹への思いをあらためて胸の奥深く巡(めぐ)らせ、おもわず心の中で叫んだ。

 その瞬間、期せずして、、さすがに気丈な千賀子ではあったが、その目には次第に涙がこみあげてきた。

 こらえることができず、感極まって更には、嗚咽などによって取り乱すまいと必死に堪えるのが精一杯であった。

 無常にもそんな女性であるが故の健気(けなげ)な感情の起伏をも、遮断するかのように「あっ」という間に千賀子を乗せた新幹線は目的地、京都に到着した。

 裕樹との言語不要の時空をも超越した阿吽(あうん)の絆は、先般の30余年ぶりの再会によって熱き青春時をよびもどしていた。

 そして冒頭の如く思いの丈(たけ)を心で叫んだ言葉・内容とは裏腹、寧(むし)ろ逆に一途な愛しさを甦らせ、再燃させていた。

  そもそも裕樹と千賀子の関係は、互い各々が抱く夢を達成するまでは・・、との謂(い)わば、「孤独の賭け」を誓い合って別れた特殊な間柄ではあった。

 が、しかし、怯(ひる)むことなく死へのカウントダウンを覚悟の上、自己の人生を全うせんとの裕樹の鬼気迫る壮絶な姿と、貫く使命感の強さに接しおもわず感涙した一条千賀子がそれに応えんと起した行動は実に素早かった。    

 蓋(けだ)し、文字どうり一世一代の大いなる決断を胸に秘め、余命の全てを賭して今尚、挑み続ける裕樹の積年の使命的野心を成就させるために速やかに動かざるを得ない、居ても立ってもおられない心境に陥ってしまったからである。

 30余年の空間があったにも拘らず、永久不変の恋とも云うべき、奇異で斯(か)くもドラマチックな二人の熱烈な関係がスタ-トしたのは・・・。

 裕樹が代議士秘書になったばかりの自信過剰と傲慢(ごうまん)さが目立った24歳のときであった。

 当時、政権を担っていた党主要派閥の長や大幹部20名(一見、場違いとさえ思われる若すぎる裕樹も代理出席)の宴席が赤坂の某料亭で秘密裏に開催されていた。   

 一方、周囲から新進気鋭の芸姑として大いなる期待をされ当日デビュウする千賀子も赤坂芸者・千鶴香と名乗り、お座敷勤めの初日であった。

 偶然か、必然か、奇しくもその日その席が裕樹とのはじめての会話、出会いの場となった。

 「今は、秘書に過ぎませんが、いずれは政権を担って、自分の思いどうりの色この国を変えて見せます!変えなければなりません。」

 「西(さい)ちゃん、あっ!馴れ馴れしっくってごめんなさい、さきほどお名刺を交換させていただきましたので早速そう御呼びさせていただきますね。

 アノ、私ね!芸者として今晩初めてこの席に足を踏み入れた途端、西ちゃんお一人だけが私の目を釘付けにしてしまいましたのよ。

 だって、あえて語らなくてもお顔の表情から秘めてはいるもののギラギラする野心みえみえ。

 更にご列席のお偉いさん全てに対して、恰(あたか)も小物を見下(みくだ)しているかのような途轍なき逸材ぶりが、透(す)けて見えたんですもの・・。

 で、瞬時に、この人こそ、”只者(ただもの)ならぬお人!”と思い込み確信してしまったんです。

 表現し難いなんともいえない強烈なオ-ラが全身から漂っているんですもの、当初から言わずもがなです、わたしには、すぐわかりました。 

 でも、今日ご出席の先生方全員、西ちゃんのように、お「近い将来は・・」と虎視眈眈、天下執りをめざしておられる面々とお聞きしております。

 其の中であからさまに、剥(む)き出しの、”やはり”と思いました、、そして同時に、半面、失礼ですがまだ若いな-っとも・・」

 「そんなことより、周りの所謂(いわゆる)お偉いさん方の眼も、僕と君のお酌のやり取りをみて苦々しい形相でジ-ッと釘付けになってるみたいだよ。」

「あら、そうですの、お叱りが・、大変!今日が初めてのお座敷ですのに」

「そうだよ、先刻からとぎれることなく嫌な視線を感じる、早くセンセイ方のほうに、おもてなしを集中してよ!飲んでいても気が楽じゃない、はやく、はやく!

 チョッと!その前に、一言、言葉を返すわけではないけれど、察するに、僕よりも君のほうが遥かにまだまだ若く未熟だ、もっと勉強してください、千鶴香おねえ様」

 その言を聞き思わず「クスッ」と笑い、より一層裕樹に関心を深め嬉々として、淡いがあきらかに艶(なま)めかしい眼差(まなざ)しで誘いを籠(こ)めるかの様に、かるくウインクし、

「あら、西ちゃんに早くも一本やられましたわ、ひとまわりお酌したらまた来ます、では、」

  裕樹は立ち上がった彼女のスラ-っとしたうしろ姿や、お酌に廻る際の会話をはじめとする折り目正しい立ち居振る舞い・筆舌に尽くし難いうなじの美しさにすっかり魅了されていた。

 単なる芸者としてのそれとは異なり、いかにも気品と気高さを醸し出す一連の動きが凛としていた。

 「育ちの良さ」と「生まれついての天性」が合した所産に相違ないと裕樹は思った。

 確かに、他の芸子とは明らかに、理屈なしにその美しさは群を抜き、見事さを際立たせていた。

 したがって、頭脳明晰・回転力の早さも加わって、後に、赤坂芸者ナンバ-ワンとして一世を風靡するまでに成長するのにそれほどの時間を要しなかった。

 

 <過去は兎(と)も角、話を現在・本論に戻そう>

 ホ-ムに降り立って、歩き出すと同時に千賀子の着物姿の艶(あで)やかさ美しさに、乗降客の多くが未練がましく足早に振り返りながら去っていく、、。
 昨今、全くお目にかかれなくなったため息が出そうな理想の女性として注視されていた往年の見事さは今も、観る人をして眩(まぶ)しい輝きを放っていた。
 
 「御疲れさまでした、一条千賀子様ですね?、田知花先生のご指示によりお迎えに参上致しました森岡と申します。
 先生は、今晩、大文字焼きの景観をご一緒に見ながらお申し出のお話をお聞きしたいと申され、しかるべき別荘にてお待ちしております。
 只今からご案内させていただきます。」
 
 戦中戦後の日本に於ける政界の黒幕と称する中で、田知花大爾(たちばなたいじ)はあらゆる分野・方面においてその名前は出てきた事は無い。
 従って、勿論一般にも過去現在を通じなんぴとにも全く知られていない人物である。
 
 が、嘗(かつ)て、多くの科学者たちの反対を押し切り、広島・長崎に強引に原爆を投下したアメリカ大統領トル-マンが最も怖れていた日本人が、ただ一人だけ存在した。
 
 昭和の激動の時代に世界をまたにかけ極秘に神出鬼没の限りを尽し、いち早くウラン濃縮の核化学の鍵を握り、大東亜戦争を土壇場で日本を勝利に導くべく画策奔走した人物・・、それは昭和・平成両時代最大の黒幕となって、今、茲に登場する、田知花大爾、まさしくその人である。
 
  彼は、千賀子の祖父で世界で最も先進的な物理化学者・一条孝臣(たかおみ)に心酔していた。
  更に、孝臣には自分がどうして果たさなければならない一つの夢を抱いていた。
 
 賢く逞しい国家国民を創設し、欧米列強による悪しき国際秩序の象徴とも云える「人種差別撤廃・欧米の植民地となっていたアジア諸国の民族解放」の実現を目論んでいた。
 
 その為、国際社会の著しい理不尽に対して日本が大胆な変革を主導出来る前提となる絶対条件として、手段として、否、寧ろ逆に最終目的・目標として
 
 防衛上、完璧に自主・自立した
   教育大国日本建設使命としていた。
 
 田知花は彼の訴えに痛く共鳴し、自らも人類の恒久平和を齎(もたら)す契機となるその意図実現・実行の為に全てを賭けて戦中戦後の動乱期を強(したた)かに生き抜き、歩んできた。
 
 更に両者は原爆の父といわれたオッペンハイマ-を始めとする世界の著名な科学者に原爆哲学論を説くなど、関係者の多くの中で崇敬の念すら抱かれていた。
 
 しかし、日本本土への原爆投下に対し猛反対の活動を展開した彼らアメリカの科学者たちの主張は退けられた。
 そして周知の如く日本への原爆投下は昭和20年8月6日・9日、実に2度にわたり強行された。
 
 マンハッタン計画を作成したル-ズベルト大統領は原爆製造は威嚇によって終戦を引き出す手段であってそれを投下、行使することは毛頭考えていなかったと仄聞している。
 
 要は焦った臆病者トル-マンの度量と大局観無き、所謂(いわゆる)無能政治家の為せる出鱈目な所業以外の何ものでもなかった訳である。
 
   ことほど左様に昨今の内外の不安定且つ緊迫した状況は
「国、一人によって興り、一人によって滅ぶ」との感を一層強めている。
 
 現在、解決すべき政治的根本問題の先送り、不作為により次々に発生してる政治責任からの逃げ等など、卑怯にも自己保身のみの権化に堕した無能な既成政治家・政党による廃頽堕落振りはあまりにも顕著である。
 
 加えて、より深刻なのは、国難の今にも拘らず
「日本には、政治家は一人もいなくなった」と云われてあまりにも久しい冷厳たる現実である。
 
 敗戦によって日本が侵略国家にされたままの誤った歴史事実すら未だに世界に向けて正すことができない赦(ゆる)されざる無能さには言葉を失う他ない。
 
 加えるに、之に留まることなく、今や、勇気と大局観欠落の不作為政治屋集団によって国会が席巻されている現状は衆愚政治を如実に反映している証左そのものである。
 
 以上を鑑みるに、日本沈没の危機と紙一重との緊張感を持って厳しく対処しなければならない由々しき事態が到来しているのである。
 
  この事を裕樹と千賀子は、早くから認識し共有していた。
 
 そして、いま、田知花と会うべく通された部屋で待つ間に、千賀子は思わず天を仰ぐように見上げて「ハッ!」とした。
 
 何と、苦節30年、政治啓蒙活動に挺身してきた裕樹がいつも色紙に好んで書いてきた
 
    「弘至道」
 
   (しどうをひろむ・まことの道をひろめるの意
 
 が墨痕鮮やかに立派な額縁に高々と掲げられ、表現し難い独特のム-ドを全空間に漂わせていた。
  そのとき突如、誰よりも裕樹の本質を理解していた今は亡き大谷憲璽のことが走馬灯の如く千賀子の脳裏をかすめた。
 
「西園寺裕樹君が
総理になれるような風土
にならない限り
日本は変わらない!」
 
 と生前、口癖のように酒席にて公言して憚(はば)からなかった日本医師会の天皇として長年権勢を振るい、君臨していた大谷会長。
 
 彼の言葉から発していた先見の明に初めて気付き改めて感銘、そのもつ意味の深さを噛み締め、心を引き締め、会談に臨む千賀子であった。
 
 
  ”でも、西(さい)ちゃんには
      もう時間が無い、
         急がなければ!”
 
 
 
 開口一番、千賀子は
 
 「時局はご承知のように切迫しております。
 是非、先生のお力を以って一刻も早く、真の新党を、どうしても
 
 
 西(さい)ちゃんの手によって ・・・ 
 
 
   政界の黒幕、田知花大璽に向かって、
 
   真剣勝負で挑むが如く鋭く口火を切り、
 
 
   説得をスタ-トさせていた。
 
 
 
 
 
 
 次回は
 
  「人生はドラマだ!」です。 
 
 
 
 
 
平成26年9月7日
西川攻(さいかわおさむ)でした。