西川攻のブログ

西川攻が日本を斬る!!

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」 <69> -それでも私はなぜ出馬するのか-  西川攻著     

2012-09-17 17:06:22 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

   強力政治家不在の今こそ、出番

 

 

 第十章 我、日本の柱とならん!  ・7・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

          <69>

 --それでも私はなぜ出馬するのか--      西川攻著

 

 

 

 

  第十章 我、日本の柱とならん!

 

 

  7・強力政治家不在の今こそ、出番

 

 

 勝負師の迫力とは異なるにしても、ひとつに賭ける意気込みと緊張感を瞬時に集中させる殺気立つ雰囲気が政治家には時として必要です。

 然るに解決すべきを先送りし場当たりで調整的なことのみに終始する場面が多すぎます。

 汲々として御身を大切にする風潮と相俟って、ここ一番斬った、張ったの局面でさえも使命を貫く大胆な行動力と勇気を今の代議士は欠いているのです。 

 魂を奮い立たせるだけの毅然としたものを遥か彼方に忘れ去っているのです。

 これがまさしく今の永田町の実態です。

 国難が凄まじい速さで忍び寄よってる時だけに「極めて由々しい」の一語に尽きます。

 

 問題解決に向けての気迫もなんとしても果たすとの使命感も既成の政党・政治家から窺い知る事はとてもできません。

 

 目先のことやその場しのぎの言を弄して切り抜けることが彼らにとっては精一杯なのです。

 

 こんな輩が明日の日本を切り拓くビジョンや信念も況や哲学などは持ちあわせている訳がありません。

 

 例えその原因が民度の低さとマスコミの誤った煽動の結果の所産であったとしても、本来の政治家としての使命を全うする基礎資格を欠落した卑怯者集団に堕してしまっている事はまぎれもない事実です。

 見識層の大半はかれらに絶望してしまっていると思われます。

 2009年のマニフエスト合戦に終始した総選挙の結果はマスコミやそれに煽動された選挙民の余りにも表層的な選択眼を反映したお粗末な顔ぶれが顕著な結果になってしまいました。

 

 政権交代の選挙だったとは申せ、その実は、4年間の不作為責任の責めを負うことなく、今後4年間で実現のできるか否かも判らないもので争うなど核心から逃げてしまいました。

 不況にあえぐ国民の血税を浪費して政治ごっこをしてるに過ぎません。

 既得権に胡坐をかいた一蓮托生の卑怯者どうしが姑息な手段を弄したものでしかありませんでした。

 その結果、今日の国民不在の政治が闊歩し決められない政治が定着しつつあります。

 廃頽堕落の永田町の温床はまさに茲にあるのです。

 このように政党に異常な有利な特典を与えた形になっている現行選挙法の弊害はあらゆる局面で国益を損ねる結果を招来する元凶となっています。

 既成議員・政党は、真っ向勝負を恐れ、自己保全の目的のために社会の多様化の時代の流れに逆らい、更に支持政党なし層の増大化を黙殺できればとの狙いを持っております。

 之を裏付けるかのごとく政党中心の選挙の大義、名目を楯に、之を政治改革と称し強引に改ざんし続けております。

 今の政局一辺倒の一連の動きは本質的な問題にメスを入れられないわが国一般国民の選挙に対する民度の低さに由来しています。

 

 先ず解決すべきは、公明且つ公正な選挙を実践するに必要な選良を国政の舞台に押し上げるシステムを軸に法整備考えた改正を急ぐことが肝要と言えます。

 しかる後に、漸く、強力政治家の出番の到来となるわけです。

 

 率直に申し上げて、今、国会を構成しているメンバ-は、もともとその手続き上、国内外の政治を切り開く能力の有無の判断内容も選択肢も有権者に正しく与えずして議席を確保したに過ぎません。

 この視点に立脚する限り、実質的には無効と言っても差し支えありません。

 

 一票の格差の問題よりも根本である本問は、選挙の根源的なものであり、この過ちをこれ以上放置することは、確実に日本丸沈没の危機を早める事になると気付かなければなりません。

 にも拘らず、次期総選挙が切迫していても依然として従来の不毛の選挙の愚を繰り返す様相が濃厚で改革の兆しは一向に見えてきておりません。

 

 反面、日本は国難の今こそ、自主自立の逞しい国へと飛躍する時としなければなりません。

 

 見識ある人々が決起、結集し日本国民の底力を掘り起こし地殻変動を起し潜在している人材を発掘し、国政に進出させることが必要です。

 

 新しいリ-ダ-のもとでこの国を変えなければ、解決能力ゼロ評価の無能政治家・政党に席巻され、国民不在の政治を未来永劫に断ち切る事はできなくなってしまいます。

 

  あいも変わらず居座っている世襲、官僚、タレント、パフォ-マンス各議員は

 政治家としてのどうしても果たさなければとの使命感と信念を貫く気迫の面で無理があるとの認識が必要です。

 

彼らの役割は、既に過去のものであると考えるべきです。

   

 これから歩むべき自主自立の逞しい日本を創るには、地方の活力と底力を奮い立たせることが不可欠です。

 地方は今まで東京を始めとする都市中心の頭脳の手足としての役割しか担えず、その持てる強靭な潜在能力を永い間、封じ込められてきました。

 地方の人材が蜂起し日本を変える為あふれる解決能力発揮の時が到来したと見るべきです。所謂、出番がきたのです。

 

 同時に、報道機関には従来の如く、単なる興味度や勢いに押されて浮ついて誤った部分にのみスポットをあてるやりかたをこの機会に換えるとの猛省が求められます。

 更に、有権者に対し自立心を育み確固たる信念に基づき然るべき政治参画を切望しないわけには参りません。

 

 

  西川攻は、

政治社会に蔓延してるガン、

己自身を蝕んでいる癌、

 この二つがんの成敗・克服に全力投球。

 最期直前にいたるまで

残り少ない余命を

この国の未来に捧げる覚悟です!

 

 

 

 

 

 

 

平成24年9月23日

  西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<68>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-08-31 06:40:49 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて
西川攻(さいかわおさむ)が
  総理にならない限り
     日本は変わらない!

 

 

  第十章 我、日本の柱とならん!  ・6・

 

~総理に向けて訴える

     西川攻の三大国家目標~

 自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

             <68>   

 --それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著

 

 

 

第十章 我、日本の柱とならん!

 

 

 6・西川攻(さいかわおさむ)が

   総理にならない限り

    日本は変わらない!

 

 

   ~総理に向けて訴える

     西川攻の三大国家目標~

 

 

 真の改革は、今の既成政治家によって一方的に改ざんされ異常格差120パ-セント出鱈目で公平を失している馴れ合い選挙で当選した連中の場当たりの手腕ではとても実現出来る道理がありません。

 解決能力の機能が既に麻痺し、その結果実績ゼロに等しい決められない永田町の現状が如実に之を証明しております。

 況や、彼らの下で次世代に誇れる逞しい政治を達成などは望むべきもないことです。

 与野党を含め彼らの頭の軸には、自己保身を筆頭として法案の更なる格差維持とその拡大に血眼になっています。

 その志の低さとおぞましさと醜さは余りにも露骨です。

 之を裏付けるが如く、国民に向けて果たすべき人災責任、不作為責任はなにひとつなされておりません。  

 自ら身を切るに妥当ともいえる歳費5割削減、之の動きもありません。

 支持政党なし層の超増大化によって、既に大義を失った政党交付金を廃止、これもしません。

 口では国家国民の為とは申しても、事実は、このように何もせず、ただただ、不況下の日々に喘いでいる国民不在の政治ごっこに奔走しております。

 口を拭って自分たちの取り分だけはがっちり確保の我利我利亡者の恥を知らない単なる給料泥棒、サラリ-マンになってしまったのです。

 その姿に対し我々は憤怒の念をもっと強く持ち厳しい審判を下さなければなりません。

 さらには、定数削減云々の枝葉の部分にのみ、関心を向けさせております。

 それは、最も選挙で大切な正しい競争原理導入の必要の本質から国民の目を逸らさんとの魂胆がみえみえです。

 真っ向勝負をする勇気が萎え、これから逃げ、しかし議席だけは絶対手離すまいとの悪意に満ちたものです。

 加えて、そのまま解散に雪崩込もうとする手法は卑怯千万極まりないと断ぜざるを得ません。

 また国民もマスコミも之に疑念を抱くことも抵抗することも無い全くの衆愚政治・選挙がくり返され、定着してしまった感さえあります。

 之に対して、怒りをあらわにし、空いた口が塞がらない見識層の数は、決して少なくない筈です。

 1945年8月15日敗戦直後の日本のリ-ダ-の責任の取り方とはその心組みにおいて格段の違いがあります。

 その責任のとりかたの重い意味とは全く逆を行っているやに思えてなりません。

 実に、恥ずかしいことです。

 当時一流といわれてるリ-ダ-はことごとく終戦日当日に自らの責任をとるべく割腹自殺しました、そしてGHQの東京裁判中の人はまもなく絞首刑や獄中死されました。

 潔く武士道を貫き日本の魂を堅持しつつ後世に対しその拠りどころを不滅たらしめんとした行為と私は、見ております。

 それと比較するには余りにも礼を失することと知りながら、現在の廃頽堕落の極みである既成議員既成政党の無能とその醜態を見るにつけ何と評してよいものやら言葉を失ないます。

 かって、三島由紀夫、司馬遼太郎両氏が死の直前に至るまでこの国の明日を憂いつつ去っていきました。

 しかし、世の現状は、物事の本質や根本にきずかず、いつまでも目先のことに振り廻され、大局観が欠如の傾向は寧ろ強まっているとの感は否定できません。

 次期衆院選はメデアに扇動されっぱなしの国民による、新たなパホ-マンス政治家・新党の躍進が予想されているようです。

 然しあの程度の中身と、メンバ-の器と力量では、とても今の国難を克服し明日の日本を切り拓くことを望むに値しないものです。

 惰性とぬるま湯の血が全身に流れている輩に擦り寄られ、政党の有利を早々と確保するため一体化し融合せんとの安直且つ安易な道を選択したようです。

 初段階から既に変革の覚悟が脱落している証です。

 所詮は一過性で屋上屋を重ねるだけで、決して多くを期待できるものとは思えません。

 従って3年前私が病床で危惧していたと全く同じ不毛な選挙が齎す愚を再びこの国は今回もおかそうとしています。

 マスコミに煽動され、馬鹿が馬鹿を選び馬鹿な政治によって馬鹿な目にあっています。  

 更に、この馬鹿なことをまたしても次期衆院選で繰り返そうとしているのが実態です。

 

 「西川攻が総理にならない限り、日本は変わらない!」 との

確信を持つに至ったのは、縷々述べてきた「このような先行き危険な状況を一変しなければ大変なことになる。」との

 危機感が募り、燃え滾る正義感と使命感を抑えることができなくなったことが決定的要因でした。

 加えて、3年間の闘病生活を送っていた中での冷静沈着な目でにあらゆる視点から今日を検証した結果から導き出された事柄、

 

  「日本には政治家が一人もいなくなった!」

 

               と心底から痛感したからであります。

 

 そして私がかねてより考え予測してきた国内外の諸情勢全てがことごとく的中してきている事実です。

  そんな折、余命5ヶ月の宣告を主治医からの受けました。

 之を打ち消すかの如く、生きてきた証を残しておかなければ・・・。

 との思いからブログを立ち上げました。

 昼夜を分かたず気が狂ったように必死に100件の政策の提言・主張・自書・小説を書き殴り投稿し続けてまいりました。

 之が功を奏し、とりわけ提言に対し、さる大物から支援の声等も日を覆う毎に増えて参りました。

 「本当に貴方しかいないことが漸く判りました」という人がとうとう現れるようになりました。

 世は我が起つを待てるなりとの感を日々を抱くまでに至りました。

 

 変えられるのは西川攻しかいない!

 西川攻が総理にならない限り、日本は変わらない!

 内政外交の優先順位と之が解決の秘策と手順が判っているのは西川攻をおいて他にいない!

 

 西川攻には見えます。

       明日の日本が、世界が。

 

 そう思い詰めるに至った訳は、政治の啓蒙活動に挺身して来た苦節30年の間に培われた、喜怒哀楽の生々しい体験で否応なしに育まれてきた、大局観に基づく血の叫びに他ならないと悟りました。

 更に、いくたびかの死の淵、生死を彷徨ってきたが故に会得しえた、ものを遠望する己の力が強烈に進化してきたことを自らも納得するに至っておりました。

 これら一連の事が爆発的な機能となって始動した充実感に大きく由来しているとも思いました。

 

  しかし、限りある余命です。

 

   「西川攻には、もう時間がありません! 

       急がなければ・・・。」

 

 

 だからと言って、正しい競争原理が大きく制約されたばかげたままの今の選挙制度の下ではもうやりたくありません。

 それは戦うに値しないものに堕してしまったからです。

内容の不毛と

時間の無駄と

徒労そのもでしかないからです。

 

  然しこの廃頽堕落の元凶である制度の改正を始め、私には決着すべき緊急且つ大事があります。

 これ等を始め果たさなければならないことが山ほどあります。

 無価値のものに関わりあっている時間がありません。

 

 自論である、

「日本民族改造論」と

「積極的民主主義の理論」をバックボ-ンとして、

所期の目的達成をめざし、故に従来の発想を大転換する必要が生じて参りました。

 

一気に天下をとる確実な方途を、速やかに探ってまいる所存です。

 

 

”次世代に誇れる

逞しい日本を

一刻も早く築くために・・・。”

 

   ~~~~~~~~~~~~~

 

 

 以上の熱き決意と経緯の下、

総理に向けての5ヵ年プランの活動に着手して参ります。

そして、

 

 西川攻が予てより訴え続けて参りました、

       (下記)の

 

 三大国家目標を

     実現します。           

 

 

 一、北方領土、拉致、東シナ海の根本的解決。

 

  「主権国家としての実を果たす」

 

 

 二、老後安心生活保障制度の確立。

 

  「全国民人生充実全う社会」

 

 

 三、エネルギ-と食糧を確保し、この二つを日本経済成長産業の柱とする。

 

  「教育、福祉を始めとする国内政策実現の財源捻出と国際指導力の強化を狙う」

 

 

 

 三大国家目標の初版は既に平成9年11月、4ヶ月に亘った第一回目の癌手術が終わっての退院直後に公表頒布していました。 

 その後間もなくして私が予測危惧していたことが次々と惹起しました。

 

 ①露首相の北方領土訪問、尖閣・竹島等の領土問題が俄然浮上して参りました。

 ②老若男女を問わず、行きの不安が募り内需はすっかり冷え込み国民は不況感を抱き萎縮した日々の生活に喘いでいます。

 ③東日本大震災によって原発に対する神話が崩れ、その恐怖から脱却するためエネルギ-政策の見直しが不可欠となりました。

 これ等の3つは、本来ならば政治家としての緊張感と危機感をもって、

 不断にその使命を実践していれば充分回避し得たことです。

 

 西川攻の訴える三大国家目標にその難題対処法や答えを主張として既に提言しております。

 私がやらなければ日本は変わらないと改めて、

 日毎その確信が強まってきていることを茲で再度申し述べておきます。

 

 

一、北方領土返還

 

 敗戦直後の東京裁判によりGHQの思惑どうり、誇るべき日本人の尊く美しい魂はすっかり骨抜きにされてしまい、心まで蹂躙する不当なものでありました。

 それにより日本民族は自虐的になり、総懺悔へと転げ落ちてしまいました。

 更にロシアの虚を突いた侵略、不法占拠され日本固有の領土である北方四島はいまだ強奪されたまま、今日に至っております。

 このような史上例を見ない残忍悪辣な歴史の真実を全世界に発信し国際社会に理と正義を喚起することが必要です。

 日本がアジアを結束させ、逞しい、理の政治国家として世界を主導する力を確保するチャンスとしなければなりません。

 その為にも北方四島返還実現は、最優先課題として秒読みで実現すべき事柄なのです。

 戦後67年間今日までいったい何をやってきたのか理解に苦しむところです。

 戦後政治の総決算はまさしく北方四島返還の成否にかかっているのです。

  之が実現できれば、他の領土、領海、拉致の諸問題等はおのずと解決され、「正義感溢れる逞しい国日本」としてクロ-ズアップされるようになります。

 そして当然の如く、国際評価は全世界から見直され、崇敬の念を以って賞賛されることと思います。

 

 かくのごとく、国家目標を何処におくかは、その国の未来を決します。

 とりわけ日本は主権国家でありながら、北方領土、拉致、東シナ海は前述の如くロシア、北朝鮮、中国によって、日本の領土が、日本人の人権が、日本の領海が強奪・不法占拠・侵害され続けられているのが、哀れなわが国の実態なのです。

 之に対する既成政治家・政党・現存する歴代総理の問題解決に必要な真剣さ・覚悟・能力が明らかに欠落しております。

 使命感が失せてしまった姿を観るにつけ、国政を担える資質がまるでない彼らの政界存在意義は既に無くなっています。

 況や、政治家としての存在自体を認めることも断じてできません!

 政治家と称して何を考えて今尚、平然と生きていられるのか誇りも、高い志も消え失せた彼らのことは全く理解できません。

 敗戦が色濃くなってきた頃、なおかつ若い命を祖国の未来の為に、と多くの青年が散っていきました。

 戦後67年経っても日本国民の人権も、国の主権も侵害され続けられていると知ったら果たして自分の死はいったいなんだったのかと愕然とする思いを強く抱くことでしょう。

 その面から見ても北方領土返還こそ全国民に日本人としての誇り・勇気・自信を取り戻す上に於いて、何としても果たさなければならない総理大臣の第一の責務であり使命と考えます。

 同時にこれは、何よりにも優先すべき、わが国存亡の威信に関わる最大の国家目標です。

 この実現のためには命をかける覚悟が必要です。

繰り返し断言します、之が解決できれば、拉致・東シナ海も自ずと決着します。

 要は、まず切り口を見つけることです。

 

 

 

二、老後安心生活保障制度の確立

 

 国民の多くは老後の不安を抱えております。

 そして過って日本ではなかったひどい精神的に萎縮した生活の日々に流されております。

 更には人間としての特質さえ危機に晒されていると思える社会的に深刻な事象が多く散見されております。

 このような国民の不幸を一刻も早く取っ払い、私たち全ての人々が活力と勇気に満ちた充実した暮らしをすることが求められます。

 その結果として内需拡大を巻き起こし、国力を大きく押し上げることになります。

 自らの人生に対し冒険心を以ってチャレンジする積極的な姿こそ国民の安心充実創設を目指す国家の最大目標とすべきは至極当然のことです。

世界で一番優秀な民族と評価されている本来の日本人の能力を、底力を取り戻すときです。

”国家は国民、国民は国家”です。

 

 私には見えます、

之が実現の暁には、

めざましい、

日本の躍進と飛躍が・・・。

 

 

 

 

三、エネルギ-と食糧の確保

 

 国際的争奪戦が始まっているこの二つは国の至上命題です。

 加えて無資源国日本にとってその持てる技術力やバイオ等の総力を結集し駆使して、之を更なる経済成長産業の柱にまで進化させるべきです。

 国策として協力且つ本格的に国家目標として攻めの施策として断行すれば、税収として恒久的に安心できるゆるぎない財源確保も達成できます。

 更に之を海外に供給することにより、エネルギ-・食料戦争を日本が回避させることも可能となります。

 それによって世界の安全と平和に大きく貢献する「頼れる大国日本への道」を歩むことになります。

 

 

    ~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 以上の三大国家目標の実現に向けて、苦節30年に培った全知全能を爆発させ,邁進、余命を捧げてまいります。

 本来、年齢・当選回数の多寡で標題の成否・良否は判断されるべきものではありません。

 明日の日本を切り拓く期待と夢をを抱かせることができるならば、圧倒的な支援を武器に一気呵成に総理と突っ走る戦略も考えられます。

 政治が混迷且つ漂流している今日こそ、従来考えれなかった特異な意表をつく強烈な人物の登場が求められてきました。

 新人物によって、国民の意識改造・躍動・決起へと、旋風を巻き起こすことが容易な状況下にあります。

 5年後には然るべく、自らの全てを振り絞り、あらゆる戦略を組み立て之ができるよう全力で頑張って参ります。

 

 不可能を可能にする人物こそ、内閣総理大臣としてその職務を全うすることができるものであると確信しております。

 従来、不可能と言う口実で如何に歴代総理が命がけでやるべき国家目標を回避・先送りしてきたことか!

 其の事が、今、日本に大きなつけとなって、国家国民を萎縮させている現実を私たちは直視しなければなりません。

 

 不可能を可能にする男、

西川攻は、

今のでたらめな日本の政界に

地殻変動を起し、叩き潰し、

根本から刷新し、

次世代と世界に誇れる逞しい国へと

 

  日本を変えます!

 

 

 

 

 

平成24年8月31日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」 <67> -それでも私はなぜ出馬するのか-  西川攻著     

2012-07-31 23:01:39 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

  土俵に登ったら

    誰にも負けない。

 

 

第十章 われ、日本の柱とならん!  ・5・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

           <67>

--それでも私はなぜ出馬するのか--  西川攻著

 

 

 

第十章  我、日本の柱とならん!

 

 

 5・土俵に登ったら誰にも負けない

 

 

 私は過去10年余に亘り、中央の政財界の多くの方々とも何かにつけて折衝を持つことが屡でした。

 それだけに世の中の仕組や、権力の威力を直接肌で感じて来た経緯があります。

 従って、もし自分が代議士として議席を握ったらどれ位の事をやれるかは充分過ぎるほど認識できる立場にありました。

 その視点から見ると今の政治家は余りにもサラり-マン化し、かって一国の大名然とした風格や信念を貫くために命をかけるといった気迫が全く欠落した存在に堕してしまったかに見受けられます。

 人間の味わいと魅力の片鱗も失せ自己保身の既得権死守のみに汲々としてる卑怯者同士が群れあっているとしか表現のしようがないほどに質の劣化に加え小粒化してます。

 之が正しい競争原理を封殺した異常格差の小選挙区制が招来した弊害の実態です。

 さながら物や金や世間体のみに振り回される衆愚政治の代表選手であることを如実に物語っているわけで、実に情けない話です。残念なことです。

 こんな輩の、存在はもとより、莫大な議員歳費や政党助成金という名目で国民の血税をいつまで支給し続けるのか、おめでたい、お粗末な日本の有り様が問いただされなければならない局面にあります。

 道理からみても至極当然のことではありますが、今日の日本の経済繁栄の裏には数々の歴史があり気骨のある政治家の果たした役割の大なることは枚挙に暇がありません。

 然し今の永田町の既成議員は旧来とは様変わりし、廃頽堕落の極みにあり、日和見官僚臭が漂う真っ向勝負を回避、リスクを負わない勇気と信念を喪失した卑怯者集団に他なりません。

 之はとりもなおさず選挙民と候補者の悪しき馴れ合いの蓄積の結果であり、このようなシステムが継続する限り政治の活性は望むべくもなく、国民不在の人災政治が依然として続くことになる訳です。

 旧い話になって恐縮ですが、変革期に突入したにも拘らず、平成5年6月の解散、7月の総選挙はとても国民の信を問うなどとはほど遠い状況下にありました。

 種種悩んだ末、

 

  出馬するに値しないとの決断をしました。

 

 そして下記の声明文の如く出馬断念の記者会見を県庁で行い、おもな支援者に下記文書を送付しました。

 

    出馬断念と次回への決意

 

 「諸般の事情」と「次回に満を持すことに勝算あり」との同志の意見に基づきこの度の衆院選挙の出馬断念の已む無きに至りました。

 真の変革は本質的な問題にメスを入れることのない今のような政局一連の動きからは決して実現できるものではありません。

 選挙と政治に対する根本的問題を何よりも優先して早急に論議の俎上にあげなければ惰性と腐敗の政治は未来永劫にその根を絶つことはできません。

 私は、このことを軸に訴え注目の新潟3区が全国に先駆けて目覚めるための戦いを実践せんと真剣に考えておりました。

 半面、混迷の政局の現状から今後数年間はいつ解散があるか判らない不測の事態が間断なく起きることは必死であります。

 従って、今回は出馬を見送るものの早くも近く予想される次回のチャンスに万全を備え全てを賭け、皆様の長年のご支援にお応えすることを茲にお約束し出馬断念の弁と次回への新たな決意とさせていただきます。

                              以上

     平成五年六月三十日

                         西川 おさむ

 

 予期した如く上記の選挙は史上最低の投票率を記録。

 表層的義務感を抱く軽薄な選挙民と利害の絆で動く有権者と、事の本質を報道しないマスコミが一体となった狂騒劇のなにものでもない結果を将来したものでした。

 

 政党離れの現状を踏まえ、政治上のこ弊害拡大の元凶、政党交付金の即時を廃止するなど之の解決が先ず為される必要が迫ってきているやに感じます。

 国家国民のために無一物であっても命を賭けて真っ向勝負に向けて戦う勇気なきパホ-マンスやテクニック用いて議席にしがみつく政治屋が横行してます。

 既存の政党に留まらず、保身のために新党をつくり連立を組み交付金を 確保するためにまともな政策のないまま野合する卑しき姿を冷厳に見る目を私たちは失ってはなりません。

 永田町の廃頽堕落の現状一掃を担うだけの真の政治家が登場するには余りにも現在の政治を取り巻く全てがお粗末で情けないと言う他ないくらい多くの障碍が立ちはだかっております。

 もっと本質的問題にメスを入れることを優先することの重大さに立脚して今後の対応をしなければ取り返しのつかない出鱈目政治が今以上に日本にはびこることは明らかです。

 

 私が当時、「次回のチャンスに万全を備え・・・」としたのも、真の見識層の奮起と開拓に賭けていたからであります。

 そして必ず、惰性と衆愚体性を刷新し、変革の旋風を喚起せんとの燃え滾る熱い思いがあってのことでした。

 

 世界恐慌が予知されるにも拘らず、依然として国民不在の政治により老後の不安が高まり全国民が萎縮の状況下にあります。

 

 この時こそ、ぬるま湯や惰性に取って代わる真の力を発揮できる強力政治家誕生が希求されて参りました。

 

 将にしかるべきとき、

到来の時が、

今です。

 

 国民も

惰性と

ぬるま湯政治刷新に向けて

真剣勝負を挑み、

厳しい対応をする時なのです。

 

 

 

平成24年7月31日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<66>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-07-13 03:57:41 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

もう我慢できない

 

第十章 我、日本の柱とならん  ・4・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

            <66>

--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

 

 

第十章 われ、日本の柱とならん

 

4・もう我慢できない

 

 

 30年に亘る浪人生活は自ら覚悟の上でのことでした。

 しかし之ほどまでに長期に及ぶとは予測を遥かに超えるものであったことは否めません。

 但し、5度の落選とその獲得票数の余りの少なさに対しては、私自身決して恥ずかしいなどと一度としても思ったことはありませんでした。

 寧ろ、逆に従来の候補像とは一線を画し,全くの徒手空拳の戦いを実践、選挙民に媚びず微動だにしない政治道開拓の使命感を純粋に貫き通していることが政界刷新の意欲を一層燃えたぎらさせることとなって参りました。

 蓋し、"その国民のレベルに値する政治家しか持ち得ない”そのものを如実に反映している悪しき現状の票数結果に過ぎないことが手に取るように判ったからです。

 言葉は悪いが、馬鹿が、馬鹿を選び馬鹿な政治に喘ぎ苦しんでいる様は将に自業自得という他ありません。

 

 あの程度の票しか西川攻に投ずることができなかった正しき判断力が欠落した選挙民こそ恥ずかしいと思うべきである」

との捉え方が私のこころを支配しておりました。

 

 まさしく血税をむさぶる政治ごっこ選挙ごっこそのものなのです。

 そんなものに一喜一憂して大局観を見失っては、本末転倒です。

 

 しかし、

国難の現時点に於いても、

尚且つ

誤ったメデアや

パフォ-マンスにあいも変わらず

振り廻された選挙を

繰り返している

悪しき現状から我々は

いい加減に目を覚ます事が

先決です。

 

 私はこのような衆愚政治と衆愚選挙と決別すべき方向に大胆に転回すべく地道な政治啓蒙活動に挺身しております。

 之は国民の政治意識改造を主眼とする、云わば国家100年の大計そのものです。

 従って一朝一夕にして為せるせるものではありません。

 

 この難題且つ重要な問題解決をめざしての活動に一早く着手し、継続せんとする不屈の情熱と意欲は自分に大きな誇りと気負いすら感じさせるものでした。

 その充実の度合いは年を覆うごとに益々強まってきております。

 現行の小選挙区制は、真に信を問う結果とは成り得ないのみならず、政党中心のまやかしの産物以外のなにものでもありません。

 その異常格差のひどさは憲法14条に著しく違反し選挙の公平性欠くこととなっております。

その事は、最高裁大法廷15人の裁判官中5人が夙に指摘しているところです。

 こんな選挙を何回やっても国民不在の政治が加速するだけで全く変わるわけがありません。

 更に潜在する多くの人材を封じ込めている原因となっております。

 しかし私は、時が来ればこの解決こそ政治改革の根本であるとの理解できる層が次第に増え、いずれ私の出番がくるとたかを括っていたものです。

 然るに変革期且つ、国難の今に至っても画期的改革の動きの気配の片鱗もうかがい知ることができません。

 世上云々言われている政治改革は既成議員,政党が自らの保身のため根本をすり替え、あたかもそれが全てであるかの印象を与えています。

 問題は、そのことを鵜呑みにしている一般国民の見識と監視能力の無さです。

 このような平和ボケに対して怒りを禁じえません。

 所詮、衆愚選挙そのものから逃れられず、このレベルのところをぐるぐる回りながらお互いに馴れ合うすべしか為しえないとしたら、

次世代に

大変な禍根を残すこと明白です。

 

 高齢化社会を支えてゆくのは、若きこれから過酷が予想される荒波を生き抜いていかなければならない次世代人々です。

 彼らに責任を我々が負うべき義務は生半可なことでは履行できません。

 その意味に於いても目先の利害や、自己保身のために無節操な政治家が大半を占め、国民不在の政治を繰り返している今こそ、之を刷新するには如何にすべきかを真剣に考える良識と判断力が選挙民には要求されているように思えてなりません。

 "踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん”はよく理解できます。

 しかし30年間阿呆になって選挙民は神様ですなどとはとても私の信念上言えませんでした。

 加えて、そういうやり方の候補者や悪しき後援会に正面から戦いを挑む事が私の選挙民対する政治意識覚醒の唯一のやり方、自身の真骨頂であった訳です。

いつかは一緒になって踊るためにはどうしてもその前に一掃しなければならないことが山積されている悪しき現状がたちはだかっています。

 

 志の高さが勝利し、逞しい国家国民へと躍進するか、

 

 姑息な駆け引きを武器とした輩が依然として台頭し国民不在の人災政治を続けるか、

 

天下分け目の戦いがこれからの総選挙という形で国民の前に提起されてくることになります。

 

理不尽に対する積年の怒りは頂点に達しつつあります。

負けては居れないしもう我慢できません。

勝つための全知全能とあらゆる手段を弄しても然るべく次回こそ雪辱を晴らさないわけには参らぬとの決意の下、

 

一日一生の意気に燃え駒を進めていくつもりです。

 

 

平成24年7月13日

西川攻(さいかわおさむ)でした

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<65>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-05-28 19:19:02 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

否定できない正義は力なり

 

 

第十章 我、日本の柱とならん! ・3・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

             <65>

      --それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著

 

 

 

第十章 我、日本の柱とならん!

 

    3・否定できない正義は力なり

 

 

 いくら高邁な理想を掲げてもそれを実行し実現できなければ絵に描いた餅に過ぎません。

 事を起す場合、理想と現実とのギャップからくる難しさが立ちはだかり、それを克服し浸透させるためには即効性のある手段と力を駆使しなければ理想実現に向けての進展は望むべきもありません。

強力なバックアップや活動資金がこの場合不可欠なものとなってクロ-ズアップされてくる訳です。

 人間の業は本能によるものであり、それは往々にして論理や倫理を抑圧し、選挙ともなると因習、情実、損得が輻輳する格好の対象として取り扱いされる例がいまだに田舎には根強く残っております。

 惰性と腐敗の温床は、将にこのような悪しき風土と因習によるものです。

 しかし、之を操作する力が無ければ事は何も進まないし、変革の勝負に勝つこともできません。

 力の伴わない正義は絵空ごとであり現実味なき無意味な結果に留まる例が大半です。

 正義は力なりと云わしめる所以です。

 本来から言えばひとり一人が自己の努力と研鑽によって所期の目的を達成できるか否かが人生の意義を左右します。

 一方、長いものには巻かれろ、勝てば官軍と言った平穏無事に生き、勝ち馬に乗るための処世術が一般には広く最優先されております。 

 冒険や、挑戦することは危険やリスクがあるとしてハンで押した如くひややかに対応するのが常であるようです。

 仮に、これに理解や応援するにしても背後にどれだけの力のある所謂、バック如何によって其の判断が為されるのが通例です。

 したがって無名の新人が未踏の道を切り拓き先駆的人生にかけることに対しての配慮や尊さに理解を抱く心は皆無であるのが現実世相の実態です。

 寧ろこのような行動を取る者については侮蔑や白眼視するといった非本質的な判断以外なし得ないのが大半です。

 結果として質よりも量を重視の選挙に際しては、此の点を留意しての力を行使できない限り、当選するだけの票の集積はありえないことなのです。

 総選挙等においては、誰がバックにいるのか、どこに所属しているのか、資金は潤沢かを軸に勝ち馬に乗るべく慎重に行動を取るのが利害集団化した後援会組織の体質となっています。

 昔、見られた選挙バカと称される純朴な類の人々は少なくなり、逆に全て目先の損得の計算ずくで選挙組織に参画するパタ-ンが地方に行くに従って依然として多く見受けられるようです。

 選挙時のうまみと後援会幹部になることによる利権が狙いの有権者と候補者の絆の輪は全国津々浦々の選挙に蔓延し世知辛くなった世間の風潮と相まって留まるところを知らない勢いで日本列島を汚染したわけです。

 このように金と権力を確保し、告発されない限りは正義を振りかざし世間を堂々然として通用することは極めて危険な錯覚であってもこれを否定することはできません。

 加えてそれだけの力を蓄積できる者は全ての信用度、発言力に格段に威力を発揮するわけであり、仮にそれだけの力無くして理想を訴えたとしても変人視されるだけで終わるのが世間の相場なのです。

 力の無いものは単なる犬の遠吠えで終わることになりなんら社会に影響力を発揮することはできません。

 しかし現在の如く見識や志の高さよりもぜにかねの力に異常に左右される現象は明らかに狂っているとしか言いようがありません。

 これを断ち切る為にはゼロからはいずりあがり,其のことの解決を実証する哲学と信念を貫くの新しい政治家の出現こそ明日に向けての躍進へと導くように思えてなりません。

 国際的にも理の政治を実現しなければならない時期に至っていることは明白です。

 これを実現するためにも日本は自主自立の逞しい力を育む正義力が必要です。

 

 この場合の

正義の意味は

西川攻の提言を

ご参照ください

 

 

平成24年5月28日

西川攻(さいかわおさむ)でした。