もう我慢できない
第十章 我、日本の柱とならん ・4・
自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」
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--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
第十章 われ、日本の柱とならん
4・もう我慢できない
30年に亘る浪人生活は自ら覚悟の上でのことでした。
しかし之ほどまでに長期に及ぶとは予測を遥かに超えるものであったことは否めません。
但し、5度の落選とその獲得票数の余りの少なさに対しては、私自身決して恥ずかしいなどと一度としても思ったことはありませんでした。
寧ろ、逆に従来の候補像とは一線を画し,全くの徒手空拳の戦いを実践、選挙民に媚びず微動だにしない政治道開拓の使命感を純粋に貫き通していることが政界刷新の意欲を一層燃えたぎらさせることとなって参りました。
蓋し、"その国民のレベルに値する政治家しか持ち得ない”そのものを如実に反映している悪しき現状の票数結果に過ぎないことが手に取るように判ったからです。
言葉は悪いが、馬鹿が、馬鹿を選び馬鹿な政治に喘ぎ苦しんでいる様は将に自業自得という他ありません。
「あの程度の票しか西川攻に投ずることができなかった正しき判断力が欠落した選挙民こそ恥ずかしいと思うべきである」
との捉え方が私のこころを支配しておりました。
まさしく血税をむさぶる政治ごっこ選挙ごっこそのものなのです。
そんなものに一喜一憂して大局観を見失っては、本末転倒です。
しかし、
国難の現時点に於いても、
尚且つ
誤ったメデアや
パフォ-マンスにあいも変わらず
振り廻された選挙を
繰り返している
悪しき現状から我々は
いい加減に目を覚ます事が
先決です。
私はこのような衆愚政治と衆愚選挙と決別すべき方向に大胆に転回すべく地道な政治啓蒙活動に挺身しております。
之は国民の政治意識改造を主眼とする、云わば国家100年の大計そのものです。
従って一朝一夕にして為せるせるものではありません。
この難題且つ重要な問題解決をめざしての活動に一早く着手し、継続せんとする不屈の情熱と意欲は自分に大きな誇りと気負いすら感じさせるものでした。
その充実の度合いは年を覆うごとに益々強まってきております。
現行の小選挙区制は、真に信を問う結果とは成り得ないのみならず、政党中心のまやかしの産物以外のなにものでもありません。
その異常格差のひどさは憲法14条に著しく違反し選挙の公平性欠くこととなっております。
その事は、最高裁大法廷15人の裁判官中5人が夙に指摘しているところです。
こんな選挙を何回やっても国民不在の政治が加速するだけで全く変わるわけがありません。
更に潜在する多くの人材を封じ込めている原因となっております。
しかし私は、時が来ればこの解決こそ政治改革の根本であるとの理解できる層が次第に増え、いずれ私の出番がくるとたかを括っていたものです。
然るに変革期且つ、国難の今に至っても画期的改革の動きの気配の片鱗もうかがい知ることができません。
世上云々言われている政治改革は既成議員,政党が自らの保身のため根本をすり替え、あたかもそれが全てであるかの印象を与えています。
問題は、そのことを鵜呑みにしている一般国民の見識と監視能力の無さです。
このような平和ボケに対して怒りを禁じえません。
所詮、衆愚選挙そのものから逃れられず、このレベルのところをぐるぐる回りながらお互いに馴れ合うすべしか為しえないとしたら、
次世代に
大変な禍根を残すこと明白です。
高齢化社会を支えてゆくのは、若きこれから過酷が予想される荒波を生き抜いていかなければならない次世代人々です。
彼らに責任を我々が負うべき義務は生半可なことでは履行できません。
その意味に於いても目先の利害や、自己保身のために無節操な政治家が大半を占め、国民不在の政治を繰り返している今こそ、之を刷新するには如何にすべきかを真剣に考える良識と判断力が選挙民には要求されているように思えてなりません。
"踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん”はよく理解できます。
しかし30年間阿呆になって選挙民は神様ですなどとはとても私の信念上言えませんでした。
加えて、そういうやり方の候補者や悪しき後援会に正面から戦いを挑む事が私の選挙民対する政治意識覚醒の唯一のやり方、自身の真骨頂であった訳です。
いつかは一緒になって踊るためにはどうしてもその前に一掃しなければならないことが山積されている悪しき現状がたちはだかっています。
志の高さが勝利し、逞しい国家国民へと躍進するか、
姑息な駆け引きを武器とした輩が依然として台頭し国民不在の人災政治を続けるか、
天下分け目の戦いがこれからの総選挙という形で国民の前に提起されてくることになります。
理不尽に対する積年の怒りは頂点に達しつつあります。
負けては居れないしもう我慢できません。
勝つための全知全能とあらゆる手段を弄しても然るべく次回こそ雪辱を晴らさないわけには参らぬとの決意の下、
一日一生の意気に燃え駒を進めていくつもりです。
平成24年7月13日
西川攻(さいかわおさむ)でした
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