「縁と絆が救った一命」
西川攻(さいかわおさむ)の小説
「孤高」⑯
--闘うは、われ、ひとりなり--
小説「孤高」
⑯
--闘うは、われ、ひとりなり-- 西川攻著
「縁と絆が救った一命」
裕樹は
「再び茲には生きて戻ることはできないかもしれない」と
観念せざるを得ない心理状態に陥っていた。
「無念だが、之が自分に与えられた宿命だったのか!?」
「結局は、
政界に蔓延してるのガンも、
己自身を蝕んでいる癌も
成敗できず、使命的野心を発揮することなく
逆にこの二つのがんに敗れ、侵襲され生涯を終えるのか・・・。」
後ろ髪を引かれる思いで
病院に向かうべく事務所を出発した。
3年前に不安と恐怖に苛まれたまま手術を待った八階の外科病棟の4人相部屋室に案内された。
しかし依然として心の悶々さは募るばかりで決して消えることはなかった。
更に「今回ばかりは退院が叶わぬまま一命が終わりかねない事態となる」との心細さと不安も払拭できなかった。
事実、3年前に入院していた4ヶ月間の間に
手術の甲斐なく命を亡くした遺体搬送の場面を何回か目撃してしまったことが
恐怖心と諦め感を一層強めるに至っていた。
翌早朝。
若い担当医が肝癌摘出当否を判定する為の最後の血液検査を行うべく病床に来た。
裕樹は内心「否」の結果が出ることを望んでいた。
然し「このままでは絶対、死にたくない、死ぬわけにはいかない!
やらなければならないことが!」との思いが
3年前と同様、再びこの局面で強く湧き出し
生に対する執着心が脳裏を席巻していた。
気持ちが昨日までの弱気を強気に転じ、確実にそれは高まってきていたのである。
所謂、所期の目的達成に向けての使命感が異常に高揚してきた。
この闘病の3年間、幾たびか死に直面したにも拘らずこうして生きているそのこと自体に対し、本人も周囲も一様に摩訶不思議感を抱いていたことはまぎれもない事実である。
裕樹は自らが之を敢えて価値的能動的に解釈・把握し,一晩で生に対する意欲を以って心理学上のバランスを摂らざるをざるを得なかったのである。
「なんとしてもやらなければない大事がある、その為に自分は生かされているに違いない」と
確信するまでに元気は回復していた。
夕方、検査結果を基に
「肝癌摘出手術を三日後に行う」旨が
主治医から裕樹に告げられた。
「こと、茲に至ってジタバタしても始まらない、運を天に任せるしかない・・・。」
覚悟を決めた
その日から三日三晩、眠りにつくや否や決まって枕元で、
今まで滅多に夢には見たことは無かった筈の雪乃が裕樹の夢に間断なく現れた。
夜毎、夢に出て来る雪乃は決まって次のように裕樹を励まし続けた。
「西園寺さんは、このまま死ぬような人ではありません。
私によく言っていましたよね、必ず僕はやってやる、
この日本を変える迄は死なないと・・・。」
「西園寺さんの
志の高い信念を貫く勇気と
決して怯まない心。
やると決めたときの突破力に
勝る人は
他にはいないと
今でも思っております。」
「永年にわたる政治の啓蒙活動こそ貴重で大切なものであり、艱難辛苦の途であっても誰かがやらなければならないことです。
でも、こんなに身を挺して30年間も実践してきたのは西園寺さんただひとりです。」
「これだけの事をやっていながら志半ばで成就せずして朽ち果てるは西園寺さん自身納得できないでしよっ!」
「大学時代から誰もやれないことをやる、それが西園寺さんの真骨頂でしたし、私にとっても西園寺さんの最大の魅力でした。」
「大丈夫、西園寺さんならやれます、之からが本番です。
焦らず先ずはその為にも思い切って今後一,二年は闘病に徹することです。
その間に確り養生し
”少し休む”との勇気ある決断が大切と思います。」
「北条早雲は82歳から頭角を現し、5年間で北条家100年の礎を築いたといわれています。
志と使命達成に向けての意欲が年齢を凌駕することはよくあることです。」
「西園寺さんも自分は大器晩成型と認識すると少しは楽になれるかもしれません」
「今、民度の低い不毛な選挙と廃頽堕落の政治の渦中に身を置き命を縮めることは愚の骨頂です。
そしてその事は逆に西園寺さんの本来の生き方に悖る事のように思えてなりません」
「寧ろ、之を近い将来断ち切り、日本の国家国民に夢とワクワク感を与えられる
逞しい政治実現の唯一の担い手となる、との
一点に集中してください。
そのときに備え、ときをおき、西園寺さんが御自分をもっともっと愛しみ、肩の荷を降ろし少しは休む、そう、今は休むことが一番大切です。」
「西園寺さんなら、体調が回復しだい一気呵成で充分やり抜く事ができると確信しています。
決して遅くありません!
そのとき一気に執ればいいんです!」
「雪乃は西園寺さんをいつも見守っております。
茲まで来たんだから、
焦ることは決してもうなさらないで・・・。」
夢から覚めるたびに今更ながら雪乃が裕樹に対し聡明感溢れる情熱を以って身体全部で如何なるときも強い愛情でつつんでくれていた過ぎしの彼女の姿を回想していた。
その存在の必要を遅ればせながら痛感していた。
お陰で3年前に感じた恐怖と不安は今回、はるかにやわらいでいた。
「あの時どんな事があったとしても別れるべきではなかったのかも知れない」との想いを述懐していた。
然し今となっては時が経過し過ぎ、悔やむしか手立てがなかった。
更に恰も霊魂不滅説を立証するかのごとく
今は亡き雪乃の余りにも熱き想いが軸となって医学会に冠たる地位にある
名外科医滝川父娘を振るい立たせ
一命を救うべく
背後で奔走せしめるに至ったのである。
当の裕樹は無論この事は
全く知る由もなかった。
次回は
「このままでは日本が危ない」
です。
平成24年10月22日
西川攻(さいかわおさむ)でした。
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