西川攻のブログ

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☆小説 「孤高]⑳ -闘うは、われ、ひとりなり-  西川攻著

2013-06-11 18:42:10 | ☆ 小説「孤高」

「何を優先すべきか!」

 

  

西川攻(さいかわおさむ)の小説

  ☆「孤高」⑳

-闘うは、われ、ひとりなり-

 

 

 山手線の池袋で下車した肝癌摘出術後の久方ぶりの東京の夜。

 裕樹にとっては、まさしく青春期を謳歌したふるさとそのものとの感を上京のたびにかみしめるのが常であった。

 いろんな人物との出会い・別れの場面の舞台となってドラマチックな数々の想いが今となっては哀歓を以って懐かしく脳裏を掠めていた。

 しかし純子とは、衆院選の関わりで記者会見の席上顔見知りになったに過ぎず、3年前の出馬断念の会見以後、今日まで一度も会うことも、指一本触れたこともなかった。

 にも拘らずかくも裕樹の心を捉える大きな存在になってしまったのは3年前の出馬断念の無念の心の傷が余りにも深かったからである。

 その際に見せた彼女のジャ-ナリストとしての素晴らしい対応さに救われた故のなにものでもなかった。

 裕樹が最初の手術を終え4ヶ月間の退院直後にかけたお礼の電話が第1回目であった。

 爾来、ごく数回の電話での会話のやり取りだけでかくも互いの心がひとつになった事は本質を思考する者同志のまさしく宿命としか理解できかねることである。

 強いて原因を抽出するならば人生に対する自立心の強さと常に主体的に生きんとする姿勢が余りにも酷似していることを感じ合う絆が遠く離れていたことにより、たがいのおもいを一層濃密に醸成させたのである。

 裕樹と同様、純子も誰よりも負けず嫌いで使命感と正義感が強く、自ら信ずる道を純粋過ぎるほど果敢に貫いて憚らない生き方にこだわりすぎることもその一因となっていた。

 

 「西園寺さん、西園寺さん・・ですよね!

 まえにお見かけした時より少しお痩せになり、若々しくなられましたので戸惑いました。」

 

 「大学生の雰囲気から一変して、すっかり美しい女性に、・・本当に菊川さん!?・・ですね」

 

 夕刻7時、乗降客でごった返す西武池袋線中央改札口で待ち合わせた二人は瞬きを惜しむかのごとく「ジ-っと」見つめ合った。

 そしてどちらとも無く当然の如く固く固く両手で握手したまま、われを忘れたようにその場で暫し、起ちつくしていた。

 それは、あたかも相思相愛の灼熱の男女が何年かぶりにやっと逢えた劇的瞬間の光景として周囲の目には眩しく映った。

 

 もとより裕樹も純子も以前から、「この国は国難の今、何を優先してやるべきか!」を持ち前の大局観に基づいて自らの的確な知見を既に構築し、その実現のため各々の行動に着手していた。

 裕樹は、癌転移も予測される残り少ない余命のなかで使命的野心を果たすにふさわしい「一気に天下を執る戦略」とその段取の実行を秘密裡に進めていた。

 純子は、今の不毛な選挙の中での国会詰め記者に見切りをつけ、一年まえに報道社を退職し、現在新進気鋭のフリ-ジャナリストとしてのゆるぎない地位を築いてきた。

 今国民の多くが老後の不安に苛まれ、冒険する勇気を失い、萎縮した人生の日々を強いられている感なしとしない。

 国民の活力を如何に育むかが本来の政治家として果たすべき至上命題である。

 然し之と全く逆の由々しき事態があらゆる分野で加速されている実状にある。

 依然として既得権益に胡坐をかき、血税を貪る詐言を弄するだけで何もしない何もできない既成議員・政党に席巻されてる今の永田町の限界は夙に見識層の多くが指摘してるところである。

 惰性とぬるま湯と卑怯者の血一色に染まってる廃頽堕落の政界の一掃が急がれる所以は将に茲にある。

 そのための前提として国民の政治意識の改造も求められつつある。

 裕樹自身既に30年前からそのことに思いを抱き政治の啓蒙活動に挺身し衆愚政治との対決に全てを賭け、今日までに至ったのである。

 従って「之の実現に向け、断じて志半ばで朽ち果てるわけにはいかない、死んでも死に切れない、たとえ幽界脱出してまでも・・・。」の一念で今日を生き抜いているといっても過言ではない。

  真の改革は緊張感を持って命がけで戦うとの覚悟なくしてはを叶うものでない。

 

 「急がなければ・・・!。」裕樹は、刻一刻と自分の最期が近づいていることを肌で感じてた。

 故に”存命のうちに”との鬼気迫る雰囲気を純子の前ではどうしても払拭することはできなかった。

 

 

次回は「”北方四島一括返還”こそ最優先課題!」 です。

 

平成25年6月11日

  西川攻(さいかわおさむ)でした。