”戦後70年目を迎え、世は将に天下大乱、いよいよ本物の人材台頭のとき到来!”
西川攻の新春(2015)提言
私には見えます。明日の日本が、世界が。
次世代に誇れる自主自立の教育大国へと大きく舵を切れ
世界に先駆けて人間復権の先進国となるため無能政治家国家日本からの脱皮が不可欠(いつまでも政治ごっこに終始するのが精一杯の既成政治家・政党に対してなにひとつ望むべくも無く期待できるものゼロ)
~危機感なき国は必ず滅びる~
将に今「国、一人によって興り、一人によって滅ぶ」の感あり
大局観を以って、冷徹な判断・怯(ひる)むことなき、国民一人ひとりの信念ある行動力が明日の日本の鍵を握る
”新 春 所 感”
平成27年初春を迎えた
私の決意と心組み
闘いはこれからだ!
「超大器晩成のすすめ」②
長寿社会戦略考・82歳から頭角を現した北条早雲
西川攻著
2015年正月
初陣に用いたポスタ-には”闘いはこれからだ、34歳!西川攻(さいかわおさむ)”の文言を掲げ衆院選に挑みました。
素早く国政にデビユ-、一気に天下を執リ、この国を変えなければと将に、使命的野心を燃え滾(たぎ)らせておりました。
が、しかし大胆にして遠大な該計画は当初の思惑・目算とは大きく乖離(かいり)。
更に、衆院選5回の出馬歴は逆に苦節30年に及ぶ途方もなく長い浪々の身が続く原因となって今日に及んでしまいました。
そして、2009年8月12日体調悪化に抗し切れず受けたCT検査の結果、
”選挙を取るか、命を取るか”の、あの、忘れもしない慟哭の出馬断念の已むなきに至りました。
爾来5年、”生きるも地獄、死ぬも地獄”の日々が続く闘病生活真っ只中の現況にあります。
大腸・肝・肺癌摘出、再発などの手術だけでも計6回。
その前後、決まって間断なく襲ってくる激痛・震え・呼吸困難。
ひたひたと忍び寄る死の予兆と予感、それに伴う如何とも為し難い恐怖と不安は言語に絶するものでした。
そして死の淵を幾たびか見てしまいました。
医療関係者を含め多くの周囲は、私が今、尚、存命してること自体不可思議であるとの思いを抱いてることは、どうも事実のようです。
とりわけ一昨年2月、13時間余の大腸・肝再発癌同時摘出手術の麻酔からさめた直後、集中治療室で2時間、今まで経験したことが無い難儀感は極限に達しました。
身動きは無論、声も発する事ができないまま”もうどうでもいい!殺してくれ!”と一切の発音すら出来ないまま心で絶叫し続けざるをえませんでした。
既に体力は限界点に達していたものと思われます。
振返って見れば、
「30歳代で代議士<40代で新党結成<50代で総理大臣」は国政を志す若者なら等しく抱く夢です、私も当初、この限りではありませんでした。
事実、衆院選初出馬(旧新潟第3区)時34歳、それ以降も、同選挙区においては私より若い候補者で出馬する青年は最後まで現われませんでした。
然し平成8年から小選挙区比例代表並立制執行に伴って我が故郷柏崎市が最大の票田となったゆえ、新、新潟2区に選挙区を変えて出馬しました。
更なる年月の経過は何時しか私が常に逆に最年長となっていたことに”はた!”と気付きました。
初出馬とは違った焦りも感じ始めました。
結局、満を持しての勝算ある戦いの渦中に病魔侵襲が発覚。
死寸前の大変な事態であるとの理由で、緊急・強制入院させられる憂き目に遭いました。
其の後の様は上記既述の通リです。
しかし、画くの如き闘病中にあっても、いつも頭をよぎったのは
”之まで地を這(は)いずりながらも青春の全てを賭して政治の啓蒙活動に挺身してきたことは一体なんだったのか!”
”このまま死んだら単なる犬死にに過ぎない!”
”やらなければならないことがまだ山の如くある!”
”絶対死ぬわけにはいかない、やるべき大事がある、之からが勝負だ!”
等、などの熱き思いが、現在、闘病前のそれとは、全く比較にならないほどの使命感の高まりとなって脳裏を席巻するに至りました。
躍動する己の確かな心組み構築に専心すべきと自らを奮い立たせ、怒濤(どとう)如く激しく追いたててきました。
謂わば、不屈の魂の囁きとも云うべきものが、将(まさ)に、澎湃(ほうはい)として募って参りました、
”闘いはこれからだ!
茲まで来たら焦る必要は一切無い
そもそも国家100年の大計を成し遂げんと着手した筈だ
要は、➀「超大器晩成に徹し、
いつしか機をみて一気に執る!」
北条早雲の如く・・・”と。
加えて、➁「不可能を可能とする男としての範を垂れる!」を実践しなければとの思いも込みあがってきました。
しかして、以上 ➀ ➁ が
新年を迎えての
私の決意と心組み、
と致す事と相成った訳であります。
西川攻(さいかわおさむ)でした。
平成27年正月20日
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