西川攻のブログ

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☆小説 「孤高」 -闘うは、われ、ひとりなり- 「11」 西川攻著

2012-06-30 22:28:33 | ☆ 小説「孤高」

生きているとは、

    素晴らしいことだ!」

 

 西川攻(さいかわおさむ)の小説

      「孤高」⑪

  --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 ~躍動編スタ-ト~

 

 

 

 

     西川攻(さいかわおさむ)の小説

           「孤高」⑫

      ---闘うは、われ、ひとりなり---

 

 

 

「生きているとは、

    素晴らしいことだ!」

 

 

 

 2度目の肝癌に対するラジオ波焼灼治療が開始されていた。

 今回はCTを使ってのそれであったが、局部麻酔であるが故、其の痛みと熱さは裕樹の我慢の限界をはるかに超えていた。

 治療を終了せんとする刻にすかさず

「完全に焼き尽くしたのですか、確実な結果を出してください!」

 脂汗を流して必死に耐え、絶叫に近い声を振り絞り、担当医師に質問した。

 この言葉に医師とスタッフが4,5分程度、裕樹の耳目を離れた所でなにやら話し合っていた気配を尻目に

[こんな地獄の拷問もどき経験はもう再びしたくない、この場で決着をつけ最後にしたい」

 との一念であった。

 大丈夫との趣旨の返答が担当医からあり裕樹は一抹の疑念を残しつつ治療の終了を了承した。

 

 退院して数週間して漸く画像を見ながら主治医からの説明があり、完全に焼き尽くす迄に到っておらず肝癌細胞が残留し更に転移していた。

 「またしても・・・。なんということだ、担当医に対しては敢えて治療中にあれほど、完璧焼灼顛末の有無を執拗に詰問したのに・・・。」

 

 いずれにしても今後の癌手術及び治療に対して、自分の体は既に悲鳴をあげておりもうこれ以上次つぎに負担をかけることや傷つけることは、ご勘弁願いたいと思った。

 

 大腸がんの10時間に及ぶ大手術、膀胱全摘出、腎ろう、パウチ、人工肛門,肺がんにより右肺3分1切除、ポウト埋め込み手術,抗がん剤点滴による血管の損傷、更に体中に切り刻まれた手術の傷跡。

 

 「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」の言葉(孔子)がある、その意味するは、

 わが体は両手・両足から毛髪・皮膚の未々に至るまで、全て父母から頂戴したものである。それを大切に護って言われも無くいたみ傷つけないようにする。それが孝行の始めなのだ。

 

 裕樹は,何にもまして、寧ろ己自身の体を使命的野心達成のためとは申せ今日まで自分が余りにも酷使し、負担を強いてきた事を猛省していた。

 「脱落せず、うらぎらず、常に一体となって頑張り抜いて来た己の身体を少しはいたわり、愛しみを以って対応しなければ・・。」と思った。

 

 今後は、体調を見ながら抗がん剤治療をやるしか道は無かった。     それはとりもなおさず、単なる延命治療だけが残ったことを意味するに過ぎなかった。

「このまま死んだら犬死にだ!」

 其の中にあっても起死回生の天下取り戦略に向けての構築策をめぐらせるべく裕樹は必死だった。

 

 志の高さと使命的野心は決して萎えることは無かった。

加えて、死ぬ前にやるべく事柄が、実践の手順が走馬灯の如く裕樹の頭をよぎった。

 

 其の日から数週間後、突然主治医から最後のICGテストを行うので検査入院するようにと告げられた。

 この頃から裕樹の及ばない何か大きな力が見え隠れするように思えてならなかった。

 「今までと明らかに違う、確かに何かが介在してきている」

 「摘出手術はやらない方向で主治医と話は決着済みだった筈だが・・・。更に、強引さを最も嫌う主治医なのに,なぜ?」

 

 入院検査の結果、なんと肝臓癌摘出手術可能の結論がでた。

 

 3年前に一命を救ってくれた主治医の真面目さと医療に対する一途な姿勢に裕樹は崇敬の念を次第に強めるに至っていた。

 従って、折角の摘出手術チャンスを断るわけにはいく筈も無かった。

 「先生に命を預けた以上、指示どうりに従います。」

 数日後主治医から手術の日程が示された時、「直前になってもう1度ICGテストはやってくれるんですよね」と訊ねたところ「もうやりません」とのことであった。 

 其の日から1ヶ月弱、裕樹は恐怖と不安に苛まれ何も手につかない事態に陥ってしまっていた。

 

 そして外来の診察のたびに

角を矯めて牛を殺す愚は絶対避けてください」と

念仏の如く訴え続けた。

 

 手術日が近づいた頃、外来の外科婦長からの電話でICGテストをもう一度やることになりましたので一日入院日を早めて下さいとのことであった。

 

 これで一安心はしたものの、逆に検査の要、不要がコロコロ変わる対応振りに不安と恐怖が増幅することとなった。

 挙句の果ては、本来ありえない穿った見方ではあるものの余りにもうるさい患者なので医療訴訟発生前の始末が外科検討会の暗黙の了承の下に為されているのではないかといった被害妄想の心理状態に陥っていた。

 

「今回ばかりは生きて帰ること出来ないかもしれない・・・。」と裕樹は入院への出発前の数分間不安と恐怖が交錯、しばし、事務所に佇んでいた。

 

 

 時、同じくして其の頃。

 東京赤坂のとあるホテル一室に医師会の重鎮であり、医学会の最大の権威者、滝川剛造その人の姿があった。

 外科学会の特別講師として米国ニュヨ-クから招かれ久しぶりに帰国していた。

 そして学会役員十数人をまえにしてなにやらひとり言を呟きながらきわめて上機嫌であった。

 

 「無能政治家国家日本丸か・・・。成る程、まさしく日本の現状は其の通りだ!」

 

 「ところで、君たちは、

西園寺裕樹(さいおんじひろき)と言う

物を知っているかね?!」

 

 

 

 

  次回7月は

 「彼が、総理にならない限り、日本は変わらない 」です。

 

 

 

 

 

平成24年6月30日

西川攻(さいかわおさむ)でした。