西川攻のブログ

西川攻が日本を斬る!!

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<61>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著 

2012-04-29 23:53:56 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

いくたびかの

落選暦、

不出馬暦の

前科を引きずりながら

 

 

 

    第九章 全青春を衆愚政治との対決に  ・9・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

             <61>

     --それでも私はなぜ出馬するのか--  西川攻著

 

 

 

     第九章 全青春を衆愚政治との対決に

 

 

 

9・いくたびかの落選暦、不出馬暦の前科を引きずりながら

 

 

 

 逃避行の旅にピリオドを打ち、起死回生の決意も新たに次期必勝に向けてスタ-トしたことによって心は急いでおりました。

 

 しかしどうしてもまだ選挙区に戻る気にはなれませんでした。

 

 それよりも、先ず、もう少し東京に留まり新たな戦略を練ることの必要を痛感しておりました。

 

 加えて、いまだ痛風が治らなかったため外見上、選挙民を始め地元の誰に対しても惨めな姿を晒すことは忍び難いとの理由もありました。

 

 それで結局、高校時代家出をしたときにお世話になったK君が埼玉に住んでいることを思い出し、暫らく彼のところで居候をすることに決め込みました。

 

 彼は私のお願いを快く受け入れてくれました。

 そしてここを軸に東京でお世話になった人との連絡や打ち合わせ、また出向いての面談の日々を重ね、活動は充実且つ順調に運ぶことができました。

 

 新たな決意に基づき腹を括っているせいか、前進する為の方法を考えたり,問題解決する以外は、一切眼中にありませんでした。

 

 過去の悶々としたものは何処かに吹き飛び、如何なる人物と折衝するにしても自信と勇気が既に甦ってきておりました。

 

 其の不屈さに共鳴したのかの如く、支援の浄財提供を先方から口にする人も少なくありませんでした。

 

 西川攻の波乱万丈の生きかたに興味を示して下さり、自分にとって今後の貴重となる指針的提言を伝授する方々もでてきました。

 

 "人生とは素晴らしいものである"ことの実感を、私はこの時期と人によって一番感銘深く抱くことができました。

 

 親の地盤をスンナリ引継ぎ、議席を確保するための実質的な試練を経験せずに政界に君臨している議員の数は、次第に多くなっきております。

 

 其の分、清新にして個性豊かな才能が政界に注ぎ込まれず遮断されている訳であります。

 

 労せずして安直で安易なものに寄りかかろうとする自己保身に汲々としている政治家やそれを支援する選挙民や後援会組織の弊害は,後世に対し罪甚大であることを認識したいものです。

 

 馴れ合いの中で哲学や燃える正義感は徐々に色あせてしまい、お互いに自己保身だけに右往左往している姿は、現在の与野党の現職の政治改革の根本を摩り替えている手法に如実に見られるに至っております。

 

 私はこのような現状に対しこそ怒りを以って本来の新旧交代(腐敗してる血と清新な血をチェンジ)実現に心血を注ぐべきと考えます。

 

 その為には、真の民主国民として私達が積極的に政治に参画し、既得権益死守の彼ら「卑怯者の血」を中央政界から放逐し、取って代わって真に国家国民のための「信念と使命感に満ちた血」の真価を国政の場で発揮させなければなりません。

 

 さらに今俎上に上がっている新党及び予備軍についてもは、どう見ても同根から派生しているに過ぎないものとの感を否定できません。」

 

 屋上屋を重ねるに過ぎないものであると断ぜざるを得ません。

 

 所詮、パフォマンス議員群の域を超えるものではないと思えて仕方がありません。

 

 中央政界の現状のあまりにもでたらめな矛盾と過ちに対し正面から切り込んで其の実態を白日の下に晒すことのできる

 政治道の先駆者の存在が必要となってきております。

 

 これを放置してメスを入れない限り、人間の弱点に内在し、増幅させている悪しき政治家の体質を滅却することはできないと同時に未来永劫にこの問題の解決は不可能と言えます。

 

 私はこのような視点から、全国民に政治家とはこれからどう考えどう行動すべきかを提起し、従来の官僚・世襲・金権候補と一線を画す、逞しい政治勢力を結集しなければならないと確信しております。

 

 次期代議士選に全てを賭けるとの悲壮な心組みと、世直しの大義を振りかざして勝負に挑むべく腹を括っておるわけであります。

 

 本物と偽者との決定的に違う戦いをしなければならない!

 

 今が其のときなのです。 

 

 

 

 

平成24年4月29日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 


☆小説 「孤高」 -闘うは、われ、ひとりなり- 「9」 西川攻著

2012-04-28 22:14:22 | ☆ 小説「孤高」

    「一気に執れ!」

西川攻(さいかわおさむ)の小説

      「孤高」⑨

 --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 

 

   一気に執れ!」

 

 

 「退院直後なのに、少し張り切りすぎたみたいですね」と主治医は、無茶は禁物の旨、裕樹に忠告した。

 

 確かに体が疲れやすく、立っておれないほどつらい日々が多くなっていた。

 

 その後、何度か入退院と通院をくりかえしている内に、年が明け、早くも季節は、春となっていた。

 

 そして、新たに肺癌の疑いありと診断された。

 

 「脳や、骨にまだ転移してない」ので、呼吸器だけに、すぐに手術しなければならないこととなった。

 

 結局、右肺の3分の1が切除された。

 

 問題なのは、その間に、先送りせざるを得なかった肝臓癌が、当初、小さいのが1つであったのが大きくなって、更に3つに殖えていた。

 

 癌のマ-カ-も異常に大きな数値を示していた。

 

 このままだと

余命3ヶ月と診断された。

 

 爾来。

 抗がん剤治療が開始されたものの、其のひどい副作用により、政治活動ができない絶望的な月日がどんどん過ぎ去っていることが、無念に思え、何よりも其の事が一番つらく裕樹の心を悩ませていた。

 

 当初の大手術後の生還のときに爆発した使命的野心の下に書き綴った自書「総理に向けての5ヵ年プラン」を実行できるのは自分をおいて他はなし、の確信をこんな状況の中にあっても益々強めていた。

 

 「私が総理にならなければ、この日本は絶対変わらない!」

 

 「しかし意気込みや思いだけでは何も始まらない、進まない。」

 

 「時間がない、急がなければ・・・。」

 

 種種考えた末、彼が出した結論は、

 

  「一気に執れ!」

 

之しかない。

 

 其の刻から西園寺裕樹の

 

 野望達成に向けての

 

鬼気迫る、驚くべき

 

大胆不敵な戦略が

 

開始されることとなる。

 

 

 

 闘病編が終わり、いよいよ

   5月からは"躍動編”に入ります。

 

  次回は、 「より深く、より静かに」 です。

 

  

 

 

平成24年4月28日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

                    

 


☆小説 「孤高」 -闘うは、われ、ひとりなり- 「8」 西川攻著

2012-04-27 23:53:45 | ☆ 小説「孤高」

「こうやって死んでゆくのか」

       西川攻(さいかわおさむ)の小説

 

               「孤高」 ⑧ 

 

              --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 

 

 「こうやって死んでゆくのか」

 

 

 「こんなに美味いものがあったのか!」裕樹は、味噌汁をすすりながら、術後三日目に初めて出された久方振りの朝食を摂っていた。

 

 2ヶ月ぶりに点滴治療に依存しない食事がスタ-トした故、無理も無いが、心底から生きていると言う事は素晴らしいと、いささか大袈裟すぎるほど、いたく感動した。

 

 病室が相部屋であるため食事をうまそうに食べたり、其の時のうまさを論じ合っていた、食欲旺盛な患者を尻目に、一口も、一滴も食することが長期間できなかったことは、まさに彼にとっては「動物的、生物的艱難辛苦」の一語に尽きるものであった。

 

 その後、病院にていろいろな事があったにせよ、兎にも角にも4ヶ月ぶりに退院することができた。

 

 大手術後と合併症の危険、既に転移した肝臓癌に留まらず他の臓器にさらに転移の恐れと不安もあるため、それに呼応して通院の必要頻度も並ではなかった。

 

 従って、後援会事務所を起居の本拠地とせざるを得なかった。

 

 これで漸く癌治療の通院、再入退院に対応すると共に、その間、体調の許す範内内で政治活動も最大限できる最良の策であると裕樹は決断した。

 

 それにつけても、パウチと腎ろう二つの人工肛門の管理、始末、点検に要する時間の浪費と心労は、想像を絶する過酷を極めたものであった。

 

 まして寝たきり起きたりのみの人でも大変なのに、裕樹の日常活動は起きて正装して外で動き回り、訪問し人と折衝し、更に説得しなければならない、心身繁忙の日々そのものであった。

 

 全身癌だらけの病んでいるの人間としては、将に常軌を逸した行為と云う他なく、いわば気違い沙汰そのものであった。

 

 しかし、彼は、「急がなければ、時間が無い・・・。」との一念でこれを克服し、一ヶ月間はフルに動き廻り選挙区内の従来の支援者の主だったところを一巡し終わった。

 

 それから数日後の夜、ついに死の恐怖が凄まじい勢いで侵襲してきた。

 

 冷や汗が流れ全身ガタガタ震えが、止まらず薬を飲むことも、動く事もできず、更には、呼吸困難に陥ってきた。

 

 息苦しくなり必死で、震える手を咽喉に当て「ウウッ!ウウッ!・・・。」と息が止まるのを阻止するため一晩中,死との格闘を展開した。

 

 途中、「もう駄目かも知れない、人間はこうやって死んでゆくのか」としみじみと観念し、死を覚悟した。

しかし、死ななかった、彼は生き抜いた。

 身を以って正常な意識ある中で直接死と対面、対話して生き抜いた。

地獄も天国も見た貴重なこの日の体験がこれからの裕樹にとって、とてつもない強力な武器となる事を、其のときは当然のことながら彼は、知る由も無かった。

 

 

次回投稿は4月28日、「一気に執れ!」です。

 

 

 

平成24年4月27日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 


☆小説 「孤高」 -闘うは、われ、ひとりなり- 「7」 ”躍動編”予告 西川攻著

2012-04-26 23:53:12 | ☆ 小説「孤高」

=緊急予告=

 

西川攻(さいかわおさむ)の

    小説「孤高」

 --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 

いよいよ、「躍動編」執筆開始!       

 ”闘病編”は、平成23年10月から、ブログにて既に、月一で

好評、投稿配信

 には見えます。

     明日の日本が、世界が。」

    --西川攻--         

        不可能を可能にする男

  ☆小説「孤高」

--闘うは、われ、ひとりなり--

           西川攻著

 

        ~ ~ ~

 

    ”躍動編”(予告)

      

 刻一刻と、自らの最期が近づく中。

 主人公、

西園寺裕樹の

鬼気迫る壮絶な魂が、

世界を巻き込んで、

人類史上初の

”理の政冶旋風”

嵐を惹起。

 

 之が突破口となり、

 露国内に於いても

見識層を軸とした

返還論が

燎原の火の如く

再燃。

 

 其の広がりと

高まる国際世論に

抗しきれず、

  ついに

ロシア政府は

北方領土返還へ・・・。

  ~~~~~

 

 「無能政治家国家日本丸」の

沈没を防ぐ方途をさぐり、

依然として、いたずらに

 「政治ごっこに踊らされる」

マスコミと

国民の

 ”衆愚性が及ぼす、

情けない日本の現状”に

警鐘を乱打!

 

 逞しい

日本建設に向けての

明日を考える為の、

 ”日本が、国民が、

国難の今を、解く必読の書。”

  

 

 

平成24年4月26日

西川攻(さいかわおさむ)でした。  


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<60>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-04-25 22:24:21 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

私を育てようという立派な人を裏切ることはできない

 

 

第九章 全青春を衆愚政治との対決に           ・8・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

            <60>

--それでも私はなぜ出馬するのか--  西川攻著

 

 

 

 

   第九章 全青春を衆愚政治との対決に

 

 

8・私を育てようとする立派な人を裏切ることはできない

 

 

 翌朝なぜか秩父を出て飯能にいました。

 あても無い将に、さまよって、たどりついただけでした。

 昼間から酒を飲んでいました。

 また飲まずにはおれない複雑なむなしさがこみあがってきておりました。

 飯能のあるビジネスホテルに滞在して二日目の夕方、手首と足に痛みを感じました。

 町の薬局にて湿布と痛み止めの薬を買い求め応急措置をしましたが、ますます痛みが激しくなりました。

 手首と足が赤くなり熱く止めどなくズキンズキンと脈を打つ様な痛みが突き刺してきました。

 悶々とした心にむちを打つ如く一睡も眠ることなく一晩中「痛い痛い!ウッ!、ウッ!」と痛さを耐えんがための叫びっぱなしの一夜が明けました。

 然し依然として痛みはひどく、最も恐れていた、足で歩くことができなくなる最悪の事態になりました。

 暫らくぶりの通風の発作が起きてしまった訳です。

 しかし昨晩必死に痛みに耐えがんばることに精一杯戦ったわけであり、こんなに我慢強い自分が何で簡単に死を考えたのか、いずれにしろ真剣さが欠如していたのではないかとの考えが、走馬灯の如く頭の中を駆け巡りました。

 いわば通風が死に向かっていた心を救い、明日への燃える新たな決意を駆り立てることになったとは、将に奇異なことという他ありませんでした。

 いずれにしても、今、尚数は少ないが私に対して激励や後援をし続けんとする信念と哲学をもった立派な人を裏切ることは最も人道に反することあります。

 それらの人びとに必ず勝利して報いなければならないとの誓いを固く心に刻みました。

 とりあえず通風との闘いが当面の課題となりました。

 朝、這うようにしてタクシ-に乗り込み、ある私立の大学病院に着きました。

 自分の力で歩けないので、看護婦が車椅子を用意してきました。

 それによってかろうじて診察を受けましたが、痛みは激しさを増し、全く歩ける状態には戻りませんでした。

 帰りは近くのホテルまでタクシ-に乗り、ホテルの人数人の力を借りてようやく部屋にたどりつく事ができました。

 かなりの重症であり、いつまで滞在せざるを得ないか、全く見当がつきませんでした。

 しかし今度は次期衆院選に向けての熱き思いがっ先行し、武者震いすら感じ気が焦り、早く行動に着手したい意欲が盛り上がってきました。

 『必ず勝たなければ!』と心が勇み気持ちが痛みよりも昨晩とは逆転していました。

 結局其のホテルには一週間ほど通院をかねて滞在してしまいました。

 歩けな無かったのだから仕方が無いものの随分無駄な時間と金を費やしたものとの反省を少し感じました。

 しかし二度とできない貴重な体験だった事ではありました。

 

 

 

 

平成24年4月25日

西川攻(さいかわおさむ)でした。