釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

古田史学

2010-08-21 13:19:20 | 歴史
今朝は空気がひんやりしていたが、それでも、外で2時間ほど身体を動かすと薄らと汗がにじんで来た。最近はトンボもよく見かけるようになった。これまで我々が学校の教科書を通じて学んで来た日本の古代史とは全く異なる歴史観を厳密な史料批判と考古学的物証に基づいて展開されたのが高齢になる古田武彦氏である。1971年11月に「『邪馬台国』はなかった」で発表を開始し、1973年8月に「失われた九州王朝」を、1975年2月に「盗まれた神話」をそれぞれ世に問い、これら初期三部作によって古田史学の基本が打ち立てられた。これら三部作は今新たな知見も一部加味されて、復刻版が出版されている。学会が無視する中、アマチュアの歴史愛好家の間で支持を集め、着々と新知見を発表し続けておられる。古田武彦氏の基本姿勢は史書の原文を学会とは異なり、安易に改訂せず、原文に忠実に解釈することであり、発掘された遺跡に論拠を求めていることである。いずれもむしろ歴史の素人からすれば当然と思われる姿勢である。しかし、不思議なことに学会はその当然の姿勢を全く無視しているようだ。安易な原文改訂で、自分の都合のいい結論を導きだし、遺跡の出土物の分布等を平気で無視して議論を展開している。どこの学会にもありがちな派閥の存在が結果的に歴史を歪めてしまっているようだ。八十代半ばにもなるにもかかわらず非常に好奇心が強く、活動的な方だ。宗教の起源についても論及されることが多い。シュリーマンに倣い、神話が古代人の歴史の表現方法と考えておられる。そして歴史の多くが勝者の歴史であることも認識されている。

葛(くず)の花 葛根(かっこん)として解熱に使われ、葛粉からは葛餅が、つるからは葛布が作られる
秋の七草の一つ

栗の枝

2010-08-20 13:00:00 | 文化
お盆が過ぎて少し気温が下がったように思うが職場の昼休みに周辺を少し歩くとやはりまだ汗がにじんで来る。近くの薬師公園からはミンミンゼミの鳴き声に混じってメジロたちの声も聞こえて来た。釜石では今、夏の花である百日紅(さるすべり)と木槿(むくげ)が盛んに咲いている。お盆休みは家人もいないし、のんびり家で過ごしたが、一人だと食料の買いだめがかえって無駄が多くなることを学んだので、毎日近くのスーパーへ出かけた。その時、スーパーの入口にお盆用の品がいくつか並べられていた。その一つに栗の枝があった。レジでもそれを買った人が結構並んでいた。お盆に何故いがぐりの付いた栗の枝が必要なのか。栗の枝を買ったお年寄りに尋ねてみたが何故お盆に栗の枝を使うのかはよく分からないと言う。ネットで調べると岩手の独特の風習のようだ。盛岡にある県立博物館でも由来が分からないようだ。墓所や仏壇の前に作られた精霊棚のそばに栗の枝が置かれる。千葉県の佐倉市の一部では小正月のどんど焼きの際に栗の枝に餅を刺して焼いて食べるそうだ。岩手のお盆の際の栗の枝は職場の匠の方の一人にうかがうと「魔除け」として使っているというお話だった。いがぐりの「いが」が確かにイメージとして「魔」を寄せ付けないというのも納得できそうだ。自然が豊かな岩手には自生する栗の木も多く、それもあって、いがぐり付きの栗の枝が「魔除け」として使われるようになったのかも知れない。


白い木槿(むくげ)の花 花は芙蓉に似ているが葉は全く異なる

日本三霊山(名山)

2010-08-19 12:48:37 | 歴史
今朝はさすがにお盆を過ぎたせいか、空気がひんやりしてきた。数日前までは朝の一仕事を終えると汗びっしょりになっていた。天気予報を見ると今日、明日は少し気温が低めだがまたその先1週間は30度の気温が続くようだ。縄文時代に出雲を中心に八島国を支配した大国主はまだ八島国の支配下になかった越の国(北陸地方)へ遠征し、美しい才女である奴奈河姫(ぬなかわひめ)を娶った。出雲建国時には越の国は翡翠によって独立国として栄えていた。その越の国には白山と立山があり、この二つの山は富士山とともに日本三名山とか三霊山と言われる。それぞれの山の祭神は菊理媛(くくりひめ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、木花咲耶姫となっているが、立山の場合は早くから立山修験と呼ばれる山岳信仰の場となっており、神仏混淆の度合いが強い。恐らく縄文期には女神がいたはずだが、後世に伊弉諾尊が合祀されたものと思われる。富士山の木花咲耶姫も白山の菊理媛よりは後に祀られたものだろう。白山の菊理媛は『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書に一度だけ出てくるだけであり、それだけに、アマテラスー大和の系列とは異なる神であること、越の国の古い神であることなどを考えさせられる。記紀に載らない神々こそ古の「まつろわぬ神々」であった可能性が強い。そして東北にはそうした縄文に繋がると思われる「~和気」「~別」と名乗る記紀に載らない神々が多くいる。


ソルボンヌ 東洋系百合の交配で作られた山百合に似た大型の百合

男性介護者

2010-08-18 12:35:15 | 文化
1998年から2009年の12年間で介護が原因と考えられる殺人や心中は、454件、昨年には46件発生しているそうだ。そして、その加害者の約7割が男性介護者だったと言う。現在日本では100万人余りの男性が、伴侶や親の介護を行っている。全介護者の3人に1人は男性で、その割合は今後ますます増加して行く。介護者になった中高年の男性はもともと家事についていなかった人がほとんどのため、いざ介護に当たってみると分からないことばかりで、相談相手もいないことから、孤立し、ストレスを溜めやすいと言う。さらに、男性は社会での仕事と同様の姿勢で人に頼らず、自力で懸命に取り組み、やはり、仕事と同様にその「結果」を求めようとするようだ。しかし、高齢者を対象とする介護は高齢であるがために思わしい「結果」は得られず、かえって、悪化すらして行く。そこに精神的ないら立ちが生まれ、虐待や心中、殺人へと繋がって行くようだ。男性は社会で真面目に取り組めば少なくとも一定の成果が上げられることを身に付けてやってきた。介護でも同じやり方にどうしてもこだわってしまい、そのため、思わしい成果がでない介護に対して「切れてしまう」。介護は社会での仕事とは全く異なる世界だ。男性が介護者となった時、何らかの第三者的な援助がなければ、介護者・被介護者ともに不幸を招く可能性が今後も続く可能性があるように思われる。


野萱草 (のかんぞう)幻想

三河と陸奥の神々

2010-08-17 12:52:51 | 歴史
日中の暑さはさほど変わらないが、さすがに夜間は少し気温が下がり、虫の音が気持ちよく響くようになった。釜石へ引っ越す前は愛知県岡崎市に住み、豊橋市の職場に通勤していた。この岡崎市も豊橋市も三河地方と呼ばれ、隣接する尾張、遠江(とおとうみー現在の静岡県西部)、信濃に囲まれ、岡崎市に流れる矢作川(やはぎがわ)がかって御川(みかわ)と呼ばれたことから三河になったと言う。三河は織田信長や徳川家康にちなんだ史跡が多く、岡崎市に住んでいた頃はそちらに関心が向いていた。しかし、釜石へ来て、東北の神々を調べていると不思議なことに、東北の神々が三河でも祀られていることを知った。アラハバキ神にしても瀬織津姫にしても尾張、遠江、信濃を抜かして三河に祀られている。8世紀初頭に持統上皇が三河行幸を行っているが、その目的が謎とされており、一説には、三河で古来より祀られていた瀬織津姫等の縄文からと思われる神々を抹殺するためのものであったとされる。と言うのも、そもそも伊勢神宮の祭神を無理矢理、天照大神としたのが持統天皇だとされるからである。歴代天皇で伊勢神宮へ直接詣でた天皇は持統天皇が初めてで、以後明治天皇までは誰も詣でていないと言う。明治維新の時にそれまでの伊勢神道と出雲神道の争いに決着をつける形で新たに国家神道が形成されたと言う。要するに神々も時の権力の都合で取捨選択されて来たと言うことのなのだろう。


白花の夾竹桃(きょうちくとう) インド原産で江戸時代に中国経由で日本へ入ったと言われる

お盆に神のことを考える

2010-08-16 12:34:39 | 文化
天気予報を見るとこの先1週間はまだ連日予想最高気温が30度以上になっている。これほど長く30度の気温が続く夏と言うのは釜石としては初めてではないのだろうか。梅雨明けの先月20日頃からだからもう一月近くになる。私の実家は神道だが私自身は恐らく無神論者に近いと思っている。神はいないと断言はできないが、かといって、いるとも、信じるまでには至らない。日本の縄文時代は1万4千年前から始まり、縄文の神々は自然の神たちで、複数存在している。西洋でもかっては多神教が存在したがキリスト教により、様々な手段で駆逐され、多くの神々が滅びて行った。もともと人類が登場し、長い間地球上の歴史では神は存在せず、やっと1万4千年前頃に自然の中に神の概念を発見することで神が誕生したのだろう。それは洋の東西とは関係ないことだろう。日本の神の概念には「禊」や「祓い」があるがキリスト教にもそれに対応するように「許し」があり、信仰の重要な概念になっている。その意味では神にとって人は地球上どこででも「罪人」であることが前提になっているということなのだろう。しかし、それにしてもこれほど神々がいるにもかかわらず常に地球上に争いがあるのは何故なのだろう。


凌霄花(のうぜんかずら)幻想

久方のワイダの映画

2010-08-15 12:32:55 | 歴史
お盆でどこへ出かけても人が多く出ているだろうと思うと余計に出かける気がしなくなる。三連休を家で過ごすのに、普段読めていない本を読むだけでなく、以前からそのうち見てみようと思っていたポーランドの84歳になるアンジェイ・ワイダ監督の最新作「カティンの森」を見てみた。学生時代に同監督の「灰とダイヤモンド」を見て印象に残った監督だ。1939年9月ポーランドは西からはドイツ軍により、東からは旧ソ連軍により侵攻され、両国に降伏し、ポーランド軍の兵士や将校は捕虜となり、ソ連軍に連行された捕虜は収容所に送られたが、その収容所の一つで捕虜の虐殺が行われた。ワイダ監督自身の父親もポーランド軍の大尉としてソ連軍の捕虜となり、虐殺されている。戦争の終結していない1943年2月にドイツ軍により「カティンの森」でのソ連軍によるポーランド人捕虜の虐殺が調査され発覚された。その後も赤十字などが調査に参加し、4,243体までは確認されたが、戦後はポーランド自体が共産主義体制になったため、ソ連に遠慮して正式な調査は行われていない。25万人もの行方不明者がいたと言うが消息が不明のままだという。どこの国の軍隊も常に残虐性を秘めており、その残虐性の犠牲者はまた常に無力になっている人たちばかりだ。人は善人でもなく、悪人でもない。状況が人をそうさせる。残虐な兵士も善き父親なのだ。


甲子川の土手に咲くコスモス

天族と神話

2010-08-14 12:18:08 | 歴史
四国、愛媛の生まれなので子どもの頃から瀬戸内海に浮かぶ大三島の名前はよく耳にしていた。先祖はしかもその大三島周辺部の水軍に属していたというから、尚のこと、関心があった。大三島には大山祇神が祀られており、この大山祇神は日本の国を生み出した伊邪那岐神・伊邪那美神の子であり、伊邪那岐神が黄泉の国へ行った伊邪那美神と会った後に伊邪那岐神の目や鼻から生まれた三貴子、天照大神・月讀命・須佐之男命たちの兄に当たる。そして大山祇神には4人の娘がいて上から磐長姫神、木花開耶姫(富士山の祭神)、木花知流姫神、神大市姫神となる。天孫降臨で登場する天照大神の孫の邇邇芸命は次女の木花開耶姫が気に入り、結婚する。出雲の国を天照大神の命を受けた邇邇芸命に譲ることになる大国主命は須佐之男命の子とか須佐之男命の六世の孫とされる。この日本の神話を見ると国を最初に生み出した伊邪那岐神・伊邪那美神の正規の子どもは大山祇神であり、天照大神は後付けで伊邪那岐神の子としたように思える。縄文の世界で伊邪那岐神・伊邪那美神が敬われ、その子である大山祇神が中心であったところへ、天族の天照大神が侵入し、縄文世界を覆し、しかし、正当性を主張するために、伊邪那岐神の目から生まれたり、大山祇神の次女を妻とする必要があったのではないか。日本の在来の神々へ新参の武力を背景とした神々が強制融合したのが記紀に記された神話であるように思われる。


アメリカ芙蓉 草芙蓉とも言い、日本芙蓉より花が大きい

猛暑と寒波

2010-08-13 12:50:48 | 自然
今日は13日の金曜日でお盆に入った。今朝の道路はがら空きだ。残念ながら職場は休みではない。日本では猛暑が続き、釜石のような東北でもこれまでにない夏の猛暑に見舞われている。こう暑いとすぐに例の地球温暖化の話が持ち出されやすいが、地球温暖化については即断できないところが大いにある。しかし、何か気象上の異常がないか調べてみた。エルニーニョ現象と言うのは以前聞いたことがあった。赤道付近の太平洋の海水温度が平年より上昇する現象を指すようだ。これに対して、ラニーニャ現象というものがあって、エルニーニョ現象とは逆に平年より同海域の水温が下がる現象を指し、まさに、現在、このラニーニャ現象が赤道付近太平洋で起きているそうで、日本の裏側に当たる地域では猛寒波に襲われ、死者が出ている。パラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどでは雪や強風で航空ダイヤが乱れ、アルゼンチンでは低体温や、暖房の不完全燃焼により、死者が続出し、南部では氷点下15度にまで達していると言う。牛などの動物も被害が出ているようだ。日本の気象庁はこのラニーニャ現象と現在の日本の猛暑との関係は不明と発表している。日本だけ見ているとまさに地球温暖化と考えたいところだが、地球規模で見ると一方に大寒波があり、必ずしも全体として温暖化しているとは言い切れないようだ。現在のところエルニーニョ現象やラニーニャ現象が何故起こるのかよく分かっていないそうだ。それにしても釜石の猛暑はいつまで続くのだろう。


百日紅(さるすべり) 樹皮がなく、幹の表面が滑らかで猿も滑るという意味から付いた名。長く咲く

歴史と稲作の伝播

2010-08-12 12:45:41 | 歴史
天気予報を見ると今年の釜石はお盆が明けても30度の気温が続くようだ。ほんとうにこの夏は異常気象と言える。おかげで一日に何回かは汗びっしょりになる。屋外作業が毎日あるためだ。昨年、国立歴史民俗博物館が発表した稲作関連記事によると、C14年代測定によって、稲作の伝来が500年遡ることになった。考古学会ではこの発表をにわかには受け入れられないようだが。そして、国内での稲作の伝播経路についても、北部九州から四国へ伝わり、瀬戸内海、近畿へ、そこから二つのルートに分かれ、一つは中部へ、一つは北陸、東北の青森へ、そして、なんと、青森から三陸沿岸を南下して関東へ入っている。中部ルートから関東へは断絶しているのだ。本州以南では従って関東が一番遅く稲作が伝わっている。唐津市の菜畑遺跡、糸島市の曲り田遺跡などの縄文晩期水田が広がった地域をー紀元前1000年頃ー天孫降臨により、天照大神の孫、邇邇芸命(ににぎのみこと)が制圧し、福岡市の板付遺跡に見るような新技法による稲作が展開され、九州を南下すると同時に、四国を傘下に治め、それぞれに稲作が伝わる。実際、四国、愛媛の風早国(松山北条地域)、越智国(今治地域)には天孫族との繋がりを示す伝承が多く残されている。以前も記したように、この天孫降臨によって排除された人たちが東北の津軽へ落ち延びた可能性が強い。そこで統一部族であるアラハバキ族が生まれるが、瀬織津姫はアラハバキ姫とも言われると言う。


薮萱草(やぶかんぞう) JR釜石線沿線にはたくさん咲いている