釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

天孫降臨と神武東侵の時期

2010-08-24 12:33:47 | 歴史
夕方になると立秋を過ぎてから徐々に日が短くなって来ているのが分かる。晴れていると宵の明星がだんだん早く現れるようになってきた。それにしてもほんとうに今年の東北の夏の暑さは異常だ。今日は内陸の一関では35度の予想で東京より高い。釜石でも33度になる。戦前の皇国史観に登場する神話の出来事は戦後の歴史教科書からは排除された。しかし、古事記や日本書紀に登場する神話と遺跡の発掘状況からこれらの神話は事実を含んでいると考えられたのが古田武彦氏である。氏によれば、天孫降臨は縄文の非金属時代の支配者から金属(青銅)を持つ支配者への交代であり、縄文稲作地帯の奪取であり、時期は菜畑遺跡、板付遺跡の水田の消滅時期にあたり、弥生前期末であり、新しい年代測定によればBC500年頃となる。この時期に壱岐・対馬の天族の統治者であるアマテラスが縄文の王者であった出雲から権力を奪取し、孫のニニギに命じて北部九州の稲作地帯を侵略させたのが天孫降臨とされる。また神武の東侵は銅鐸文明の消滅に一致し、神武は銅鐸の王者を滅ぼすことで山和を手中に収める。その時期はやはり新しい年代測定ではAD30年前後となる。当時の大阪湾の地形が現在と全く異なっていることも地質学者と考古学者の共同で制作された地図で明らかとなっていて、神話で記された侵略ルートがむしろその古地図に一致するようだ。東北で弥生前期末に水田ー砂沢遺跡(弘前市)が現れたのはまさに天孫降臨で追われた北部九州の統治者であった者が津軽へ渡ったとする「東日流外三郡誌」の記述に一致する。


薬師公園でまだ咲いていた紫陽花