釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

投資家の行き過ぎた放蕩

2009-05-31 07:09:10 | 経済
英国の産業革命により一気に資本主義経済が花開き、生産中心の産業が世界中に広まった。生産技術の革新が行われ、精度の高い高品質な製品を造ることが競われた。しかしやがて有り余った資本は生産に投資する以上に効率のよい投資を模索するようになる。そこで登場するのが金融商品と呼ばれる大賭博である。株式も既に賭博の性質を持っていたが株式以後に開発された金融商品はさらに賭博性を強めている。学問的には金融工学などというもっともらしい名前が付いているが要は如何に巧みな賭博の仕掛けを作るかということだ。何故賭博なのか。生産物を介在しないである経済現象に対してお金を賭けているというのが実体だからだ。当然賭けであるから賭けに負ける人も出て来る。昨日記したCDSは簡単に言うとある企業が倒産するかしないかに賭けると言うよく考えると非常に不謹慎な内容の賭けを第三者である投資銀行が中心に創り出し、それを投資家が買って賭けて儲けを期待するということだ。こんな冷静に考えれば子供騙しのような賭けの総額が62兆ドルにも上るのだ。現在のように米国の経済危機が進行すれば倒産企業は続出する。当然CDSへの支払い請求が殺到する。最悪な場合はその62兆ドルの支払いが発生する。米国の1年間のGDP(国内総生産)の4倍を超える額なのだ。米国政府も民間金融機関もとても対応出来る額ではない。そもそもの始まりが金が金を産むという虚構の上で成り立ったゲームであった。ハーバートやエール、コロンビアと言った超一流大学のビジネススクールと呼ばれる大学院を卒業してMBAという資格を取得した超エリートたちの開発した商品がこれなのだ。猿でも分かる仕掛けにわざわざ数式を使って理屈付けをしてもっともらしく見せたに過ぎない商品だ。商品と言えるならば。投資家の行き過ぎた放蕩と言ってもいい内容だ。その瓦解はどう考えてもいずれ時間の問題だ。来るべきものが来る。ただその巨大な煽りは当然日本へも必ずやって来る。


ニセアカシアの花 日本名は針槐(はりえんじゅ) 釜石の周囲の山々で今咲き誇っている
  この道はいつか來た道、ああ、さうだよ、あかしやの花が咲いてる。 北原白秋