人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

岡大に行って来ました!

2013-03-09 21:58:36 | 日記
 今日は、岡山大学で開催された、翻訳に関するシンポジウムに行って来ました。
 意外と交通費かかったな~。
 岡山は、父が以前入院していて通ったので、何だか懐かしい…、あの頃は博論も書いてたし、いろいろ大変でした。

 きちんとした格好をするのは久しぶり。こういう格好をしてると、人が親切にしてくれます。タクシーの運転手さんとか。会場受付の女の子に、帰るとき、えらい丁寧に「本日はどうもありがとうございました」って言われたし。質問したからかもしれないけど。でも、あんまりうまく質問できなかった。質問したときはいつも思うけど、でも、それにしても、私はもっとうまく質問できたはず…、って思います。いまの生活のなかで、人前でしゃべることないから、なまってるんだとおもう。

帰りの電車のなかで。ちょっと疲れてる。
 今日はかなり暖かかったので、ちょっと服装間違えたかなと思ったんですが、会場寒かったので、カーデとコートがあってよかったです。

疲れたので、レポはたぶん明日以降に書きます。
印象に残ったのは、スタッフらしき人が、結構多かったこと。岡大はちゃんと身動きの取れる、お金の回ってる大学なんだという印象。


ついでに化粧品を買った。
お粉は、前に母がひっくり返してしまって、殆どなかったため。気になっていた季節限定のアイテムは、もう売り切れていた様子。

私と犬の幸せ

2013-03-09 09:13:59 | 犬・猫関連
 私はいま、お人形の文学論なんてしようとしてるけど、実は子どもの頃、あんまりお人形(着せ替え人形)で遊ばなかったんですよね。ぬいぐるみばっかり。犬とか猫の、もふもふした、やわらかいの。
 人形遊びには、いろんな場面におけるありうべき感情の型を学習する、ロールプレイとしての機能があると指摘されますが、どうも人間の感情がピンとこず、犬のほうが共感可能に思えるのは、そのせいかもしれません。
 わんこかわいい。

 1、2年前、名古屋でひとり頑張っていた私が、結局実家に帰ることに決めたのも、ずっと頑張ってても一生犬一匹飼うことが出来ないのかな、と思ってしまったことが大きい。実家では、たくさんの犬と母が私の帰りを待っているというのに。ちょうどその頃、真っ白な猫がマンションの玄関に彷徨い込んできて、人に馴れていたのでどこかの迷い猫なんだろうと思ったんですが、数日のうちに管理人さんか大家さんが追い払ってしまって。その日のうちに警察に届けるとか、たぶん何とかしようはあったと思うんですが。犬ですらなく、人に馴れた猫一匹その時の自分にはどうすることも出来ないという事実をつきつけられたことが、立ち直れないくらいショックだった。まあ猫ちゃんは、もとのお家に帰ってるかもしれないですけどね。
 なんかね、犬を自分の子どもだと思い込むような普通じゃない感覚の人間には、幸せなんか望むべくもないのかな…って。私はただ、自分の子ども(わんこ)とつつがなく生活したいだけなのに。

 たぶんこれから、私がどこに行くことになっても、私の子どもわんこ

は連れて行くと思います。20kg超の太った犬だから、どうやって連れて行こうか考えただけで大変…。


子犬の頃(右)。左の子は貰われていった。
まるでぬいぐるみ。この頃は大人しくていい子だった。