人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

のすけちゃんのこと

2023-05-20 12:40:20 | 犬・猫関連
 うちに来てからずっと、私の子供でいてくれたのすけちゃんが、5月13日(土)に亡くなりました。13歳半でした。
 他の子に対しては私は「姉」という感じなのに、なぜだかのすに対してだけは一人称が「ママ」になって、のすがいなければ、妊娠や出産に違和感があって人間の子供は嫌いな私が、誰かの「ママ」になることはなかったと思います。


遺影の写真は、里親探しをしていた頃のものらしいのでまだ子犬のはずですが、もうちゃんと今の顔になっていますね。

 シロリンとの不仲が決定的になって以来、ずっと実家の私の部屋で、私が実家にいる間は一緒にいて、私が東京や仙台にいる間はずっと会いたいと思っていた子でした。
 東京に上京するときに、本当は連れていきたかった子なのですが、いろいろ難しくて、結局最期まで一緒に暮らすことはできませんでした。



 ずっと元気で、4月18日までは血液検査の結果も良好だったのですが(血液検査だと症状が出るまで分からないことも多いですが)、4月25日に急に調子が悪くなり、ご飯も食べないしじっとしていて様子がおかしいということで26日に往診の先生に診てもらったところ、脾臓に何かあり、おそらくそのどこかが裂けて体の中で出血しているとのことでした。また、いろいろな検査結果から、おそらく悪性のもので転移もありそうだということで、脾臓の癌は進行が早いから、治療は難しいものとなると言われました。

 でもまだ13歳半でしたし、それまで元気だった分あきらめきれないのと、たまたま連休前で(車の運転の出来る)弟が帰省するタイミングでもあったので、もし連れていけるだけの体力がのすにあるなら、父が生きていた頃はよく行っていた三木町の獣医さんにも診ていただくことにしました。往診の先生にほぼ毎日点滴と注射をしてもらったので、少し状態はよくなって、5月1日には恒例の河原散歩にも行き(連れていっていいのかな、と思っていたのですが、第一弾と第二弾に分けているうちの第一弾の子たちを連れていっている間行きたがって遠吠えするくらいだったので)、往診の先生に状態を診てもらったら連れていっても大丈夫、ということだったので、5月2日の朝一で受診しました。


 結果、そちらでは手術ができるということになり、5月6日に手術しました。腫瘍は摘出してみるまで悪性のものか良性のものか分からないのですが、脾臓の腫瘍は良性のものでも、破裂すると急に体調が悪化したり最悪突然死してしまうこともあるので、摘出する必要がある、逆に悪性だったら再発が早いので、摘出してもそんなに寿命は延びないのだそうです。
 手術した時点で、のすくんの体力はかなり落ちていたため、のすにとっては大手術になる、死んでしまう可能性も…と言われてすごく不安だったのですが、手術自体は成功しました。悪性でした、と言われましたが(病理検査の結果はまだでしたが、見た感じでもう悪性だったみたいです)。
 5月7日に母と私と弟で見に行った時には、少しすっきりした顔をしていましたし、8日に母と弟で(私は午前中の電車で仙台に戻ったため)見に行った時にはちょっとよくなった、と言っていました。


 本当は7日に退院させてもよかったらしいのですが、貧血があるのと、手術痕が痛々しいと母が言うので、私がのすが心配だからもう一度帰省すると言った日程に合わせて12日(金)に退院ということにしました。金曜日は私の授業はないので、朝一で帰ることができますので…。ところが10日(水)に腎臓の値が悪くなり(もう転移があったのかもしれないと)、12日に退院できないと言われたため、私は仙台から帰る足でそのまま病院に面会に行きました。お昼の2時くらいから夜6時半くらいまでずっと一緒にいて、その日は少し腎臓の値がよくなったというので、(その前日見てなかったので何とも言えませんが)ちょっとよさそうに見えました。
 また、往診の先生と相談してくれて、そのまま回復せず病院で亡くなってしまったら可哀想だというので、ちょっと数値がよくなったのをめどに明日か明後日に退院してもよい、と言われたため、13日に退院させることに決めました。
 でも13日のお昼前に迎えに行くと、今度は貧血が進みすぎてしまって(腎臓のほうをよくするためには24時間点滴しないといけないが、そうすると貧血は進む)、見た感じでももうぐったりしている感じでした。14時頃に家に着き、少し落ち着くまでとお部屋に入れて、ちょっとトイレに行ったら疲れてしまったみたいでばたっと倒れ、でも母が療養食を持ってきたら嫌がって逃げる元気はある感じ。療養食を食べさせると、ちょっと頑張って食べさせ過ぎたみたいで疲れてしまい、息が上がって(獣医さんに聞いてみたら落ち着くのを待つしかないと)、そのままそれが落ち着かずに、17時40分ごろ亡くなりました。
 のすが心配なので毎週末に帰省しようかと思っていたのですが、そんな必要もなく、呆気なく亡くなりました。

 1日は家でいっしょにいて、(上京の時間を変更して)月曜日の午前中に火葬することにしましたが、火葬するまでずっと可愛くて眠っているみたいで、本当に燃やしてしまうんだろうか?と思ってしまいました。看取れて火葬までお見送りできたのはよかったのですが、思っていたよりずっと早く、茫然としています。
 

 実家に置く用の骨壺のほかに、小さい携帯用のお骨入れにお骨を入れてもらったので(爪と犬歯くらいしか入りませんが…、本当はしっぽの骨も入れたかったのだけど、入らなかった。のすの可愛いしっぽ)、一緒に連れてきました。こんなかたちでしか連れてこられなかったのが、悲しいです。


 3月末から4月初めに帰省して、その後仙台に戻ってから4月中ずっと、憂鬱で不安で自分がここにいる意味あるのかな?、帰りたい、帰りたい…と思っていたのですが、もしかしたら自分でも意識していない何かで予感があったのかもしれません(のす、やたらよく眠るようになってたし、年をとったからだと思っていたけれど、今思えば癌の何かの影響だったのかも)。


 本当に可愛くて、可愛くて、ずっと、早くのすに会いたい、と思いながら生活してきたので、今何を思えばよいのか分かりません。会いたいと思ったら夢でも見るしかないのですが、夢にはまだ出てきてくれません。ありがとうという気持ちと、後半一緒に暮らせなくてごめんなさいという気持ちでいます。もっと一緒にいたかったね…

若いころののすけちゃん。表情がちょっと幼い。