人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

日本文学協会第69回大会に参加してきました!

2014-11-18 11:24:01 | 学会レポ
こんにちは。
この土日に日本文学協会第69回大会に参加してきました。

ラウンドテーブルでは発表もしました。→趣旨など

私の発表は、ちょっとまあいろいろあって準備不足でひどかったのですが、この発表をしたことでひとつ覚悟は決まったかなあ、と思っています。
私が引用した岡山茂さんの大学論(『ハムレットの大学』)における「処女」は比喩で、単なる比喩からもうちょっと実体的に…と言って持って行ったのですが、大学の「自律性」を「処女」という比喩で語るときの論理があるので、そこの論理とか構造を使うことができたかもしれない…と思ってます。私の「処女」はまったくの比喩でもまったくの実体でもないので。
世代が上の女性の研究者の方で、(女性の)研究者は結婚や出産をすると白い目で見られたみたいな不満を語られる方、結構いらっしゃるんですが、(もちろん結婚や出産をしたい人はするべきだ、と思いますが)私は正直羨ましいんですよね。34にもなってまだ間に合うだの、結婚したほうが幸せだの言われなきゃいけないの、ほんとにいらいらします。結婚したほうが幸せだったらとっくの昔にしてるよ、ちょっといい加減にしてほしいわ、男は嫌いだと何度言ったらわかるんだよ、みたいな…。研究してる人のこと、結婚も出産もしない異形の(かぐや姫みたいな…(笑))存在として見てくれたらどんなに楽だろう、と思う。あるいは、いまはどんな仕事でも感情労働的な面が強くなっていて、自分でお金稼ぐにも、就活するにも何でこんな毎日おっさんに媚び売らにゃならんのだ…みたいな。そういう怒りのこもった言葉です。
全然詰められなくて、なかなか苦しい発表だったんですが、でもやってよかったです
(私が企画者だったので、参加者の皆さん、いっしょに発表してくださった本橋さん、奥村さんには申し訳ないですが)。
私はこれまで小説とか物語とか、フィクションの世界のものばかりを研究してきて、そういうものを読む能力にはたけていると思うのですが、破綻してでもアクチュアルななまもの、を扱ってゆくんだ、という覚悟はできたような気がします。

まったく予定はないので単なる決意表明ですが、次は動物愛護と生殖のはなしで発表します。わんこの世話しに実家に帰ってきて、今も里親探しの活動手伝っている自分が、研究を続けている意味をちゃんと考えたい。さしあたっては笙野頼子とからめて考えたいです。

二日目午後のシンポジウムはいつもは「文学研究の部」として開催されるんですが、今回は国語教育・文学研究合同、でした。
石原千秋のネームバリューのおかげか、ものすごい参加者が多かった。
私はいつも日文協の国語教育部会の人たちの言ってることって意味不明なんですが、石原千秋が華麗に嫌味を繰り出していることだけはよく分かった。そしていつも意味不明な国語教育部会の人たちが、(途中までは)極めてまっとうな常識的なことを言っているのだ、ということが分かって良かったです。(質問者の)高木(信)さんじゃないけど、ジャーゴン多すぎ。
そうそう、須貝さんが「日本語は自他未分の言語」とか仰ってたのだけど、あれってどうなのかしら??日本語学とか日本語教育の方に詳しく聞きたいのだけど、日文協、日本語学や日本語教育の方はいないのよね。

今回は日曜の午前中からラウンドテーブルだったので土曜日も泊まり、日曜日も懇親会に参加したので泊まったのですが、二泊もするとすっかり犬恋しくなってしまうので我ながら情けないです。
帰ってきてのすけちゃんの顔見たらほっとした。
…そして帰ってきたら子犬ちゃんが一匹増えてた(別の人が保護して、里親探しだけ手伝ってた子犬ちゃんのうちまだ貰い手の見つかっていない一匹を連れてってもいい?、と言われてたの、とうとう連れてきたらしい)。
2カ月くらいのはずなんだけど…前からうちにいた子(3カ月くらい)より大きいぞ…うぅむ。

告知:日本文学協会第69回大会ラウンドテーブルで発表します。

2014-11-15 07:27:03 | 研究・発表・イベント等情報
おはようございます。
11月16日(日)11時から、日本文学協会第69回大会(於:学習院大学)のラウンドテーブルにて発表します。

「処女なる時空―大学・教養・文学」というテーマで、『源氏物語』研究者の本橋裕美さん、科学史・比較文学の奥村大介さんといっしょに発表します。

【ラウンドテーブル趣旨】
現在、大学における人文学は危機的な状況にある。博士学位取得者は就職難にあり、学生の就職率が低い学問分野は軽視される。このような状況の中、大学において文学を研究することにはどのような意義があるだろうか。大学論において、大学の「自律性」を処女性と結びつける発想があることに注目したい。もちろん比喩だが、これをもう少し実体的にとらえてみたい。近代には良妻賢母教育の準備段階として性愛を禁じられる「少女」が、文学を志向し一生独身で過ごすこともあれば、古代・中世においては、宮廷のような男女関係を基軸とした空間だけではなく、斎宮や斎院を中心とした文化圏が形成されることもある。
「処女」なる時空から、大学における文学研究の意味を考えてみたい。

西原は大学論と少女論を結びつけ、本橋さんは後期物語と史実上の斎宮、奥村さんは石井桃子をとりあげます。

ラウンドテーブルは今回初めての試みで、いくつか並行して行われる形式です。他にもいろいろ興味深いラウンドテーブルがありますので、ぜひおいで下さい。
どれだけ参加者がいるか読めないので、ドキドキです。


今日、上京しなきゃいけないのに、まだレジュメができてないよぉ!!