人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

仕事と研究

2013-03-05 20:45:20 | 仕事と研究

今日もママお仕事なんだ…。

 最近良く思うのが、何で就職するときに、それまでの経歴とか、自分のやりたいこととかと関係ないといけないんだろう、ということ。仕事というのはお金をもらうためにするものだと思うのですが、何か間違ってるんでしょうか?お金を貰うためじゃなくて、自分のやりたいことをしないといけないというんだったら、そんなことをしても食べてゆけない、とか言うのは金輪際やめていただきたい。

 こういう風潮には、日本的企業の、仕事と実存を一体化させるような、仕事が人生じゃないといけないようなあり方が影響しているように思います。最近でこそ、「やりがい搾取」という用語も出来てきましたが、そもそもが日本の企業がやりがい搾取。

 私たちにとって困ったことには、研究職がない上に、研究職以外の職に就こうとしても、上で書いたような理由ではねられてしまうという。仕事は仕事でしょ、研究とは別…、なんて思っている人材はやりがい搾取的にアウトなのですよ。つまり、研究なんてするなって言うこと…?

 研究職に就かなくても、研究さえ続けていれば研究者だと思うのですよ。確かに現状の日本では、それなりの研究環境を確保することは難しい。研究するための時間的・精神的余裕を確保でき、なおかつ充分食べてゆける仕事というのも非現実的です。でもほんらいは、私たち研究したい人だけじゃなく、ボランティアなり趣味なり、社会活動なり、おのおの自分の倫理観で、義務とするところをするだけの余裕がないといけないと思うんですけどね。

追記―少女論について

2013-03-05 02:52:28 | 少女
今読み返してみたら、説明不足で意味不明なところ、ありますね。

少女の定義
一点目、良妻賢母を育てるための準備期間であり、純潔規範と愛情規範という矛盾した規範を与えられたこと。
二点目、女子も学問を身につけるべきとされたこと。
三点目、少女たちがいつまでも少女のままでいようとすること。
のあとに、

「結婚して子どもを産むということは学問の有無と関係なく、中間層の女性にとって当然なすべき役割」であるため、「学問をする理由としてはあまりにも脆弱」である。そのため
  子どもを産み育てる母としての生き方と、学問を身につける「少女」としての生き方に断絶が生じるこ  とになる。結果、「少女時代」の先の時代はなくなり、「少女時代」はそれのみで完結するような特別   な時代として意味付けられることになった
(今田絵里香「「少女」の誕生―少女雑誌以前」『教育学研究』二〇〇四年六月→『「少女」の社会史』二〇〇七年、勁草書房)
ことが指摘される。

が入ります。
だから
しかしながら考えてみれば、日本において文学、あるいは学問の価値がいまだかつて認められたことがあっただろうか。
と続く。