人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

ごんちゃん、頑張る。

2013-05-31 03:43:28 | 犬・猫関連
 ごんちゃんはだいぶうちにも馴れ、甘えたれになって来ました。ちゃんと朝夕にお散歩してます。人気のないときのほうが落ち着くらしく、夜中に庭で遊ぶ習慣ができたのはちょっとしんどいですが…。

 水曜日の夜に(前にも二回来た)里親さん候補が来たのですが、今度はそのお宅で飼っているわんこちゃん(ミニチュアダックス、11歳、♀)を連れて、相性を見る、とのことでした。大人しくて、無茶苦茶ちっこかった。3キロぐらいで、ミニチュアダックスにしてもかなり小さいらしいです。
 ごんちゃん、あんまり(純血種の)いい犬とは仲良く出来ないからどうかなあ、と思っていたのですが、わんこちゃんがいると格段にリラックスしてて、びっくり。みんなでお散歩にも行けました。この感じだと、ひょっとしたら大丈夫かも、という気がして来ました。なぜだかものすごくうちのごんちゃんを気に入ってくれている人たちなので、これで無理だったらたぶん、無理でしょうし。
 無理でもまあ、店(1階で自転車屋をやってます。ごんちゃんは今、店に置いてる)の従業員の人も、犬がいたほうがいいみたいなので、飼うことになってもいいかな、という感じです。いいも悪いも、残ってしまったら飼うしかないんですが。

 ごんちゃん昨日は、夜中庭に出すのが遅くなってしまったら、普段いるところのダンボールの上にうんちしてしまったらしく、一生懸命隠そうとして可哀想に、お鼻すりむいてしまいました。
 獣医さんは問題ないというけど、痛そうです…。




国立国会図書館採用試験「文学」平成22年独自問題について、その2。

2013-05-27 12:04:40 | 国語教育と文学
 つづきです。
 前の記事で書いたように、仮にⅠの終わりあたりから引用されていたとしたら、「内面」の「制度性」とは「言文一致」(の起源が忘却されること)です。ですが、設問には、具体的な作品事例に即して書け、とある。

 Ⅰのなかで分析されているのは、国木田独歩の『忘れえぬ人々』ですが、たぶんここで問われているのは、『日本近代文学の起源』を読んだことがあるか、ではない。かなり汎用性の高い理論ですので、どんな作品であれ、あてはめて考察することができるか、という能力が見られているように思います。ですから、何でも、卒論で扱う作品でも、あてはめて考えてみてください。こういう観点で「内面」の制度性に縛られている、という展開でもいいし、逆に、こういう観点から「内面」ではないと見られるが、それは研究者が「内面」の制度性に縛られているからだ、という展開でもいい。
 因みに国木田独歩と風景といえば、武蔵野の雑木林。道路計画のためになくなってしまうということで、最近小平市で住民投票が行われたことが想起されますね。解答に書くには難しいですが。

 論述の手順としては、引用文を200字程度で要約し、「内面」の制度制とは~と、ひとまず結論づけます。その上で自分が考察する対象について簡単に説明し、自分の意見を述べてください。

 私としては、こういう研究をやってたので、『源氏』のことを書くしかない!という感じですが。なかなかそこまでぴったりしたテーマのある人は少ないと思います。古典作品を対象とする場合、キーになるのは、かなの獲得(平安朝における一種の言文一致である)とか、風景の描かれ方。歌枕的なものと、柄谷の言う「描写」される対象、客観的な対象として見出された「風景」とがどう違うのかということ。それから近代的な遠近法との違い。などなど。
 近代文学を対象にしている場合は、そのまま当てはめて考察できると思います。
 ごくごく最近の、現代文学の場合は、また事情が違ってきてるかな。遠近法的な附置が変化してきてることに触れなきゃいけない。

 因みに、Ⅰのなかで漱石の文学論について取り上げられており、「風景画」についても言及されてますが、いま東京芸術大学大学美術館で、「夏目漱石の美術世界展」という特別展が開催されてますので、興味のある方は行って見てもいいと思います。
 

国立国会図書館採用試験「文学」平成22年独自問題について。

2013-05-26 14:51:17 | 国語教育と文学
 こんにちは。これから少し詳しく、論述問題を見ることにしていきます。
 新しいものから遡っていこうかと思ってたんですが、書きやすいものから。柄谷行人の『日本近代文学の起源』はむかし読んで、何度か論文書くときに引用したりもしたんで、これからいきますね。コンパクトにまとまった分かりやすい本だと思ってたんですが、読みなおしてみると、きれいに展開してて序論か結論部分をさくっと引用すればいい、みたいな本じゃなかったですね。

 設問は、
「次の文章は、柄谷行人『日本近代文学の起源』の一部です。これを読んで、内面の「制度性」とは何であるのか、説明しなさい。具体的な作品事例に即して述べるのが望ましい。」(600字~800字)
というもの。
 短い文章ではなくて、一冊の本なのでどの辺から引用されたのかよく分かりませんが、「制度」という言葉が多用されるのは、「Ⅰ風景の発見」「Ⅱ内面の発見」あたりでしょうか。もちろん、「Ⅲ告白という制度」でも、「制度」について触れられています。内容を順に見てゆきましょう。

 まず目次をあげておきましょうか。
 Ⅰ 風景の発見
 Ⅱ 内面の発見
 Ⅲ 告白という制度
 Ⅳ 病という意味
 Ⅴ 児童の発見
 Ⅵ 構成力について

 Ⅰでは、「言文一致」という「近代的な制度」が「忘却」されることによって、「風景/内面」が客観的に描写される対象として見出される過程が考察されます。夏目漱石の文学論、ポール・ヴァレリー、国木田独歩の『忘れえぬ人々』などが取り上げられます。終わりあたりに

 だが、独歩が二葉亭のような苦痛を感じなかったということは、彼にとって「言文一致」が近代的な制度であることが忘却されていたということである。そこでは、すでに「内面」そのものの制度性・歴史性が忘れさられている。(50頁)

とあるので、ここが引用されてたら、解答は「言文一致」(の制度や歴史が忘れ去られること)になりますね。

 Ⅱでは、言文一致運動によって文字が音声を表現する「透明」を獲得した過程が考察されます。俎上にあげられるのはエクリチュール。漢字のように、概念が先立ってあるものではなく、音声を表現する文字を獲得してはじめて、表現すべき内面が発見され、表現すべき透明な文体ができあがることが考察されます。

 Ⅲでは、「告白という形式」が「告白さるべき内面」を作り出してきたことを、『蒲団』を取り上げて考察します。「制度」という言葉が出てくるのは、末尾。「「文学史」はたんに書きかえられるだけでは足りない。「文学」、すなわち制度としてたえず自らを再生産する「文学」の歴史性がみきわめられねばならないのである」(126頁)。天皇制やキリスト教について触れられ、「国家」の成立といわばセットになって「内面」が見出されてきたことを主張します。

 Ⅳで取り上げられるのは結核、Ⅴで取り上げるのは児童。アナール学派的な文化史の成果をほどよく取り込んでいる。Ⅳでは「病原体」が発見され、「一つの「原因」を確定しようとする思想」が「結核」を「原罪」のようなもの(142~143頁)にし、神学的枠組みを発生させること、Ⅴでは、児童が教育されるべき対象として見出される過程を考察します。

 Ⅵで取り上げられるのは、鴎外と坪内逍遥の「没理想論争」と、芥川と谷崎の「「話」のない小説」論争。「前者が「文学」を制度的に確立しようとするものだとすれば、後者はそれに対する不可避的なリアクション」(242頁)と位置づけます。

つづく

*引用は講談社現代文庫、1988年による。

ごんちゃん、散歩に行く。

2013-05-24 21:52:37 | 犬・猫関連
 ごんちゃんはうちの犬のことは信用しているらしく、庭に出すときに一緒にしてやると、とたんに生き生きとします。しっぽたてて、遊ぼう!って感じになる。うちの犬の方は、あんまり遊ばないんだけど。

上から二番目にいるのがごんちゃん。

 こんな感じだったら、うちの犬と一緒だったらいけるかもと思って、今日はちょっと試しに、お散歩に連れて行ってみました。一番扱いやすいテリちゃんと一緒に。テリちゃんはこういうとき何かと役に立ちますね。そしたら意外と調子よく歩いてって、私も母もあんまりちゃんと散歩させるつもりでもなかったので逆にびっくりしました。200メートルくらいかな、しか歩いてはないんだけど。テリちゃんがいなくても、ちゃんと散歩させられるようだといいんですが。

夜中にお庭に出したのですが…、

2013-05-23 15:41:16 | 犬・猫関連
 最近、ふだん庭にいる犬(喧嘩しやすい性格のため、いっしょにするのが怖い)が夜中に玄関に入ってきているので、ごんちゃんのほうをお庭に出したのですが、そしたらそのまま庭から戻らなくなってしまいました。仕方なく、普段庭にいる犬のほうを、店舗のほうに入れ…。

 ごんちゃんは相変わらず、かたまってます。