時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

火を吹いて酷暑を忘れる

2010年07月28日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋


 気象情報が記録的猛暑かと予報するある一日、かねて予定していながらなかなか機会に恵まれなかった『カポディモンテ美術館展:ナポリ・宮廷と美』(国立西洋美術館)に出かける。この美術館自体は一度訪れたことがあるのだが、その華麗さには感銘したが、さほど強く印象に残る作品には出会わなかった。まだ若い頃で関心の在処も今と異なり、他に見たい所が多数あったことに加えて、南国の気候が影響して少し集中力を欠いていたのかもしれない。その注意力不足の一端を図らずも今回発見した。



エル・グレコ 『燃え木でロウソクを灯す少年』
Domenikos Theotokopoulos El Greco.
Ragazzo che accende und candela con un tizzone (El soplón)
1570-72, oil on canvas , 60.5 x 50.5cm Q192



 今回の美術展で、展示されているこの小品を見た時、即座に思い出したのが、下に掲げるラ・トゥールの「火を吹く少年(坊や)」と題する作品だ。この「火を吹く少年」のテーマが当時のバセロ家の好みで、ルーベンス、テルブルッヘンなども同種の作品を制作していることは知っていた。大きな宗教画などの大作は購入できないまでも、裕福な個人が家族の心のゆとりと豊かさを求めて制作を依頼したのだろう。特に、宗教上の理由があるとは思えない。少年が暗闇の中で、手で風を避けながらランプの火を吹いておこしているだけの光景だ。しかし、目を細め、口をつぼめて無心に火を吹いている表情がなんともほほえましい。わずかな光に映し出された衣服の陰影も美しい。ラ・トゥールの作品らしく、闇と人物の調和が絶妙だ。居間にでも一枚架けられていたなら、さぞかし心も和むことだろう。

 このラ・トゥールに帰属する作品は、1960年、セムル Semurで個人の所蔵品の中から発見され、19世紀末までその家が所有していたが、1968年にラ・トゥールという画家を歴史の闇から救い出した、あの
ヘルマン・フォス Hermann Voss が、ラ・トゥールの真作と鑑定。その年ブランヴィル家(Pierre & Kathleen Branville)が取得し、同年のオランジェリー展にも出品された。筆者はここで初めて、この坊やに対面したことになる。

  他方、上掲のエル・グレコの作品、現地で見た記憶はどうもない。改めて来歴を見てみると、画家の確定を含めて、かなりの変遷をしたようだ。ローマのファルネーゼ家のお抱え画家ジュリオ・クローヴィオに帰属されていたが、その後、フランス軍の略奪、ローマの美術市場での発見された後、ホントホルストの作品ともされた。確かに、ホントホルストとしてもおかしくない。ヴェネツイア派のヤーコポ・パッサーノに帰属されたこともあったようだ。

  その後、1852年になってエル・グレコの作として帰属された。エル・グレコは1570-72年頃に、ローマのフアルネーゼ宮に滞在しており、その当時の作品とみられる。

  このエル・グレコの作品は、下掲のラ・トゥール作品よりも光の効果が多用されている。燃え木の光が少年の容貌、衣服の細部を微妙な影を伴って映し出す情景は、なんとも美しい。宗教的含意などは感じられないが、光の持つ効果が最大限に試みられている。



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『ランプの火を吹く坊や』
Georges de La Tour. Le Souffleur a la Lampe.
A Boy Blowing on a Charcoal Stock
Musée des Bealux-Arts, Dijon (Granville Bequest)
Oil on Cambus 61 x 51 cm, Signed [Or. 16]

 同じテーマを扱いながら、エル・グレコの作品も、ラ・トゥールの作品もそれぞれの画家の画風の差異が明瞭に感じられて、甲乙つけがたい。この二枚の作品の文化史的関連について、管理人はひとつの仮説を持っているのだが、長い話になるので今回は省略する。いずれにせよ、酷暑を避けて、暑さしのぎに出かけた美術館で、火を対象として描いた作品を眺めていたが、暑さなどすっかり忘れていた。格別の銷夏法だった。

コメント (2)
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