日本で開催される西洋美術展の実態を見ていると、選択される画家や時代がかなり偏在していると思う。時代では印象派以降がきわめて多い。画家の名前が知られ、分かりやすいこともあるが、またかと思うこともしばしばだ。オランダ絵画というと、いつもフェルメールを借りてくる。レンブラントより見た人が多いのでは。企画もマンネリ化している。最近もわざわざ時間を割いて出かけたが、失望した展示がいくつかあった。集客を第一とする企画とそれによって創り出された日本人の好みが相乗効果をもって影響していることはいうまでもない。近年は多少変化の兆しもあるが、これまでの国内研究者の専門化の弊害もかなり影響していると思う。
こうした傾向に多少反発(?)して、日本ではあまり知られていない画家や忘れられた作品に、少々関心を持ってきた。 そのひとりが、ジャック・ベランジェJacques de Bellangeだ。17世紀最後のマニエリストといわれる銅版画家である。日本では美術史の専門家でも知る人は少ない。少し旧聞になるがその企画展が2008年から2009年にかけて、あのヴィック・シュル・セイユのMusée departemental Georges de Latour とナンシーのMusée Lorrainで開催された。
ベランジェは、もしかしたら、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールがその工房で画業修業をした可能性もある、この時代(17世紀初め)の大画家のひとりだ。ロレーヌ公の画家でもあり、当時はヨーロッパでも著名な画家・銅版画家だった。しかし、時代の変化とともに、ラ・トゥールと同様に急速に忘れられていった。
そして20世紀に入って、少しずつ注目を集め、再評価されるようになった。油彩画家でもあったが、作品はほとんど失われ、わずかに残る銅版画が今日に継承されているにすぎない。フランスでも小規模な企画展が2001年レンヌ、2004年パリで開催されている程度だ。しかし、その作品を見た人は、その絶妙な美しさに魅了される。どこの国の人を描いたのかと思われる不思議な衣装と容貌の人々。トルコなどイスラム系らしい人々の姿も描かれている。実際にモデルがいたのか、判然としない不思議な姿をした人々。宮廷人と思われる美しい貴婦人たちの不自然なほどに膨らんだ衣装。現実と空想がどの程度まで混じり合っているのか、興味は一段と深まる。
Jacques Bellange. L'Annonciation. Eau-forte rehaussé au burin
335 x 314 num au trait carré
Nancy, Musée Lorrain.
2008年から2009年にかけて、開催された企画展カタログ*では、ラ・トゥールが『辻音楽師の喧嘩』の着想を得たと思われる、あのちょっと驚く光景が表紙になっている。ラ・トゥール研究の大御所でもあるピエール・ローザンベールが紹介を書いている。
企画展のタイトルが「ジャック・ベランジェ:線の魔術」と題されているように、この画家の版画の線は絶妙に美しい。今日の目で見ると、エキセントリックとも思える作品もあり、決して万人向きの版画ではない。好き嫌いはかなりあるだろう。しかし、17世紀初め、当時(contemporary)のヨーロッパの人々が、どこに魅力を感じたのか、時代を遡って考えることが必要だ。ラ・トゥールと同時代の銅版画家ジャック・カロにつながるところでもある。ベランジェについては、なにしろ、ラ・トゥール以上に作品も史料も残っていないので、謎が多い画家だ。ある年彗星のように現れ、また消えていった。その有り様はラ・トゥールと似たところもある。新たなカタログでもこれまでの情報に付け加えられるところは少ないが、年譜の整理、充実などがなされている。なによりも、忘れられていた画家のひとりが新たな観点から見直され、そのあるべき場所に落ち着きつつあることが大変喜ばしい。
* Sandrine Herman. Jacques de Bellange: la magie du trait. Musée départemental Georges de Latour, Conseil Général de la Moselle.