時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

再読「真珠の耳飾りの少女」

2006年04月07日 | 書棚の片隅から



「17世紀のデルフトでは、生活に秩序があった。富める者も貧しい者も、カトリックもプロテスタントも、主人も召使いも、それぞれの場所をわきまえていた。」
Tracy Chevalier. Girl with a Pearl Earing, Limited Edition, 2005.

  この小説の著者トレイシー・シェヴァリエについては、このブログでも何度かとりあげたことがある。2000年に刊行された直後に読み、大変印象が深かった。その後、この作家のスタイルを確認したいと思って、 『貴婦人と一角獣』も読んでみた。

「お気に入り」リストに入った
シュヴァリエ
  ご存じの方も多いはずだが、オランダ17世紀の画家フェルメールを題材とした小説である。映画化もされた。なぜ、もう一度読むことになったのかというと、最近、ふとしたことで、この原作で「限定版」(Limited Edition with new material and illustrations)と銘打ったハードカヴァーを手にしたことによる。以前読んだのは同じ出版社ハーパー・コリンズ社のペーパーバック版であった。

  この「限定版」は大変表紙も美しい。そして、著者の「あとがき」や小説に出てくるフェルメールの作品、年譜、デルフトの地図なども掲載されていて、読者にとっては便利でもあり、大変魅力的な書籍に出来上がっている。それでもう一度、読んでみたくなった。

デルフトの記憶
  小説の舞台デルフトには10年ほど前、1995年に一度だけ訪れたことがある。実は、毎日愛用しているデルフト焼きのマグも、その時買い求めたものだ。静かな落ち着いた感じの町であった。当時はアムステルダムのティンバーゲン研究所のヴィジティング・フェローとして短期間受け入れてもらっていたこともあり、たまたま体験できたオランダの美術環境には、さまざまな関心を呼び起こされた。

  記録によると、フェルメールは1632年に生まれ、1675年に43歳で突然に世を去っている。このブログでも取り上げているロレーヌの画家ラ・トゥールよりは少し後の生まれだが、美術史上はほとんど同時代の画家といってよい。ラ・トゥールが「赤の画家」とすれば、フェルメールは「青の画家」である。

  この限定版で特に興味を惹かれたのは、ペーパーバックにはない著者「あとがき」Afterword である。それによると、この作品は1999年の刊行だが、シュバリエが小説とする発想を抱いたのは、97年11月であったとのことである。ある朝、自宅の壁に長らく掲げられていたフェルメールのこの作品のポスターを眺めていて、小説への発想が生まれた。19歳の時に購入し、その後16年近く見ていたと記されているから、まさに突如として気づいたようだ。

少女の表情が生んだ小説
  作品のプロットが展開するきっかけになったのは、やはりこの少女の表情らしい。それまでずっと眺めていて気づかなかった不思議な表情に突然閃いたものがあるようだ。世間を知らない少女のようでありながら、成熟した女性のようでもある。画家フェルメールはいかなる背景の下で、この少女をモデルとしたのだろうか。この点がシュヴァリエの発想の原点となる。

  シュヴァリエはデルフトにも行き、フェルメールの作品や生涯についても調査を行った。世界中に多数のファンがいるフェルメールだが、この画家もラ・トゥールに似て、その生涯がいかなるものであったか、あまり良く分からない。年譜によると、1653年には富裕な家の出自でカトリック教徒の妻を迎え、プロテスタントであった自分はカトリックに改宗したようだ。11人の子供が生まれた。当時のデルフトでは、市民のおよそ20%がカトリックであった。新教国オランダでは、この時期にプロテスタントが圧倒していたのだ。そして、画家は結婚した年に、画家のギルドGuild of St. Lukeに親方画家master painter として加入している。

  シュヴァリエは、この限定版のアイディアを大変喜んでいる。その最大の理由は、読者にフェルメールのファンが多いとはいえ、小説に出てくる作品のイメージを思い浮かべる人はそう多くないからだ。作家は「あとがき」に、この絵を言葉で説明するには「7500語を費やしても難しい」と記している。そのために、シュヴァリエは小説技法として、仕事中の事故で視力を失った少女の父親に、奉公先の画家や作品の説明をする形で、詳しい記述をしたと記している。最初から限定版のアイディアがあれば、良かったのにと思うのは素人考えだろうか。いずれにせよ、フェルメールの作品が挿入されたことで、大変リッチな一冊となった。フェルメールについては、世界的にも多数のすばらしい研究サイトがあるが、最小限必要な資料などが本書の中に含まれることになったのは、読者にとっては大変有り難い。

不思議なつながり
  さらに、興味があることが記されている。シュヴァリエはこの小説でフェルメールについての既成観念を創り出してしまうことを懸念したと述べている。しかし、この小説を書いてから1年くらいして、小説の方向として多分間違っていなかった(perhaps I was on the right track)という奇妙な形の確認ができたとの感想を記している。それは、最初主人公であるこの少女の名前をGriet(Margrietを短くしたもの、英語ではMargaret、日本語邦訳では「フリート」と表記されている)とした。短くて、はっきりしていて、すべてを尽くしており、彼女の名前として最適と思ったからだという。ところが、もっと学のある人がその後知らせてくれたことによると、この名前が彼女にふさわしいもっと良い理由があるという。それは、Margrietはラテン語で「真珠」を意味する 'margarita' に由来するからだとのことであった。


原著
Tracy Chevalier. Girl With a Pearl Earing. London: Harper Collins, 2000.
邦訳
トレイシー・シュヴァリエ、木下哲夫訳『真珠の耳飾の少女』白水社、2004年。

______.Girl With a Pearl Earing. Limited Edition with new material and illustrations. London: Harper Collins, 2005.

Homepage of Tracy Chevalier:
http://www.tchevalier.com/gwape/inspiration/index.html
 
References
  フェルメールはファンが多いだけに、世界中に多数の関連サイトがある。その中で、今回シュヴァリエが参考になったと記しているサイトを紹介しておこう。ちなみにこのサイトは質量ともにきわめて充実している:
http://www.essentialvermeer.com/index.htm

 

 

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