時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

スポーツは政治不安のバロメーター?

2008年09月22日 | 回想のアメリカ

  




  スポーツに人気が集まるのは、国民が政治に失望し、関心を失っていることのバロメーターではないかと、半ば本気で考えてしまう。北京五輪まではと、国内のさまざまな不満を抑圧してきた中国政府も、いまや環境、食品問題を始めとして、国内外の不満・不信の高まりに防戦一方だ。為政者が国民の批判をそらすために、スポーツを政治的に利用した例は枚挙にいとまがない。

  こうした関係が明白ではないにしても、政治や社会が不安定で、激動しているにもかかわらず、さまざまなスポーツが人気を集め、活発に興隆していた時代もある。人々が生活の苦しさ、鬱積した不満などを、ささやかな楽しみにまぎらわしていたともいえる。 アメリカの大リーグの草創期がそのひとつだ。国民的英雄となったベーブルースが活躍していた時期、1910年代、大恐慌前の時代である。

  この時代のひとつのモニュメンタルな事件を扱った歴史小説*を読んだ。 1919年、ボストン市警の警官たちが、劣悪な労働条件、低賃金に耐えかねて、組合を組織し、AFL(American Federation of Labor、アメリカ労働総同盟)に加盟し、ストライキに突入する事件を主題としている。アメリカ労働運動史上、よく知られた出来事だが、しばらく忘れていた。

  この年、ボストン市民の安全を守る警官が、突如として一斉争議に入った。きっかけは、当時のボストン市警本部長エドウィン・カーティスが、警官の組合がAFLからの指示で活動するようになると思いこみ、命令を聞かない警部を解雇したことから、警官たちはストへ突入する。市側の対応もできていなかったため、市民生活は大混乱となり、暴動、略奪などが横行し、恐怖が溢れた不穏な状況を生み出した。

  当時のマサチュセッツ州知事カルヴァン・クーリッジは、「誰にも、どこに於いても、いついかなるときも、公の安全に対するストライキの権利はない」と、AFLのサミュエル・ゴンパースに電報を送った#と伝えられ、一躍大衆的人気を集め、1923年、アメリカ合衆国大統領となった。ストを行った警部たちは解雇され、アメリカ労働運動史上、公益性を持つ分野で働く労働者にとっては最初の弔鐘となった。

  20世紀初頭から大恐慌突入までの時期は、アメリカ国民ばかりでなく、世界にかなりよく知られている、きわめてドラマティックな時代であった。今回のアメリカ発の金融危機は、グリーンスパン前FRB委員長が「1世紀に一回あるかないかの危機」と評したと言われるが、この大恐慌を念頭に置いていることはいうまでもない。

  金融関係者ならずとも誰もが思い浮かべる世界的大恐慌、1929年10月の「暗黒の金曜日」に始まり、第二次大戦突入にいたる恐慌前後の時期は、波瀾万丈、手に汗握るような時代であった。

  恐慌前のアメリカ、ふたつの世界大戦に挟まれた時期が興味深い。とりわけ、労働運動の分野で歴史に残る労働災害事件、労使対立の激化が見られた。1911年ニューヨークで、トライアングル・ファイア事件、1912年にはタイタニックが処女航海の途上で沈没、1918年、第一次世界大戦終結、1919年には第3インターナショナル(コミンテルン)が成立、ロシアではボルシェヴィキ政権の成功が、アメリカの政治家たちを不安にさせていた。1919年にはボストンで米国産業アルコール社の糖蜜タンク爆発、市警スト勃発、禁酒法が施行された。社会的不安が鬱屈、醸成されていたようだ。


  さて、この小説にはアメリカの国民的英雄ベーブルースが、いわば舞台回しのような役割を担って登場してくる。大リーグの野球というものが、当時どの程度のものであったのかを知ることもでき、大変興味深い。偶然とはいえ、本日でニューヨークのヤンキースタディアムは、老朽化に抗しがたく、86年の歴史を閉じる。球場は閉鎖されるため、最後の記念試合(ヤンキーズ対オリオールズ)が行われている。ちなみに、この球場での第一号ホームランは、ベーブルースが打った。

  この時代に起きたさまざまな出来事は、後に振り返ってみると小説以上に面白い。アメリカが生き生きと躍動していた時代であった。日本では、その題名も分かりにくく人気も盛り上がりを欠いたが、ニュー・ディール期を扱った映画「クレイドル・ウイル・ロック」とも通じるところがある。他方、デニス・ルヘインの手になる本書は歴史小説ではあるが、この映画と同様に多くの実在した人物が登場してくる。草創期アメリカ資本主義の息吹きを感じるには、格好な読み物かもしれない(この時代の輪郭を抑えていないと、読みにくく、抵抗を感じる読者もいるかもしれない)。

  ボストン市警ストが警官側の敗北に終わった後、人気が出て共和党政権で副大統領であったカルヴァン・クーリッジが、突然のハーディング大統領の死去で大統領職務代行者としての宣誓をした家は、電気、電話もなかったという。当時と比較して、今日まで確かに生活条件は大幅に改善・向上したとはいえ、人間社会として進歩しているのか、考え込んでしまう。少なくとも、この時代、人々は真正面から現実に対し真剣に生きていた。その行動は今からみれば粗野、粗暴に感じられる点も多いが、少なくも今日の世相に見るような「正気でない」時代ではなかった。

  次に起こることはなにか。アメリカ資本主義の生成期に立ち戻り、時代の先を考える材料を与えてくれる興味深い一冊だ。




#
 "There is no right to strike against the public safety by anyone, anywhere, any time.
 " 
 Telegram from Governor Calvin Coolidge to Samuel Gompers September 15, 1919.  


References

Russell, francis. A City in Terror: The 1919 Boston Police Strike. New York: Viking, 1975.
この事件の全容を知ることができる格好な一冊。

Fogelson, Robert M. ed. The Boston Police Strike: Two Reports. New York: Arno, 1971.

Harrison, Leonard V. Police Administration in Boston. Cambridge, M.A.: Harvard University Press, 1934.

 Dennis Lehane. The Given Day. 2008
.(デニス・ルヘイン、加賀山卓朗訳『運命の日』上、下、早川書房、2008年)
なお、この作品は現在、映画化が進行中。

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