時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

繁栄の日々は取り戻せるか:バイデン氏の故郷

2020年08月17日 | 回想のアメリカ

カマラ・ハリス上院議員を来るアメリカ大統領選における副大統領候補に選んだアメリカのジョー・バイデン(Joe Biden)民主党大統領候補が、8月9日ペンシルベニア州スクラントンの鉄鋼工場で演説をおこなった。「より良く立て直す」Build Back Better という経済政策の発表場所として選んだこの地は、バイデン氏の故郷であった。



スクラントンという場所
このスクラントンという地は、図らずも筆者が半世紀以上前、しばしば訪れたところだった。ニューヨーク州の北部に所在する大学院に在学していた筆者は、ニューヨーク市や友人の家があるニュージャージーへの往復には必ずこの場所を通過した。スクラントン、ビンガムトン、エルマイラ(マーク・トゥエインの墓地がある)などの地名は、グレイハウンドなど路線バスの経路でもあり、懐かしい響きがある。

スクラントンで生まれ育ったジョー・バイデン氏は、アイルランド系移民の子孫、宗教はローマ・カトリックの信徒である。J.F.ケネディ大統領の当選で、政治における宗教の壁の一角は崩れた。とりわけプロテスタントとカトリックを分け隔てていた壁は大統領の座への障害ではなくなった。

他方、バイデン氏は家庭については大変恵まれなかったようだ。バイデン氏の家庭は当初は裕福であったが、父親が事業に失敗して以後家計は窮迫し、最初の妻と子供を自動車事故で失うなど、家族の不幸も重なって苦難な日々を過ごした。しかし、政治家としては多大な努力を続けた。選挙区も州を越え隣接したデラウエア州に移転している。努力して民主党中道派を代表する上院議員として、7回の上院議員当選、36年の議員生活を送った。2009年1月にはオバマ大統領の副大統領を努めた。

炭鉱・鉄鋼の町
バイデン氏を育てたスクラントンには良質な瀝青炭の炭鉱があり、広大な露天掘りの炭鉱があった。エネルギー源を石炭火力に依存する鉄鋼業や縫製業で発展したこの地域の中核的な都市だった。しかし、1930年代頃から炭鉱や鉄鋼業の衰退に伴い、地域は衰退の道をたどった。筆者が最初に訪れた1960-70年代、町には活気がなく、寂れた感じは拭えなかった。廃坑になった炭田の規模には圧倒されたが、人影も少なかった。その後、ラスト・ベルトの一角として知られるようになった。しかし、地域再生は遅々として進まず、最近では政治的にも共和党のトランプ大統領が再生を約して圧勝した地域だった。しかし、トランプ氏の地域政策は功を奏していないようだ。

スクラントンは 一時期、新しい産業が生まれたこともあった。ライト・エイド 創業の地としても知られている。 1962年 に地元実業家アレックス・グラスがスクラントンのダウンタウンに開いた [ドラッグストアは成功し、やがて 東海岸最大のドラッグストアチェーンへと成長した。

しかし、こうした新たな産業が生まれた一方で、地域の主要産業の炭鉱などでは労働問題も起こっていた。この頃の炭鉱労働者は低賃金で長時間労働を強いられていた。ジョン・ミッチェルなどの労働運動家の活動により、炭鉱労働者の労働環境も改善された。 1930年には、スクラントンの人口は143,433人でピークに達し、 フィラデルフィア、 ピッツバーグに次ぐ州第3の都市になっていた。 第二次世界大戦で燃料需要が増大すると、スクラントンとその周辺ではいたるところで石炭の露天掘が行われ、供給を拡大させた。

N.B.
1955年に ハリケーン・ダイアンが引き起こした洪水は市の東部・南部に被害を及ぼし、死者80名を出した。 1959年には南西郊のピッツトンの近くにあったノックス炭鉱に サスケハナ川 の水が入り込み、坑内を冠水させる事故が起きた。死者12名を出したこの事故により、この地での石炭産業はほぼ終わりを告げた。石炭輸送量の減少とハリケーン・ダイアンによる被害で、既に破産寸前に陥っていたデラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道は 1960年 にエリー鉄道に合併され、スクラントンは鉄道交通のハブとしての地位も失った。炭鉱跡の 地盤沈下も大きな問題と化していた。そして、この地には放棄された炭鉱跡や露天掘り跡、そして大量の廃石だけが残された。 1970年代 にかけては、絹をはじめとする織物産業もスクラントンの地を去り、南部や合衆国外に流出した。



地域再生政策が大きな争点に
トランプ大統領は、選挙運動中にスクラントンなどを含むラストベルト地域の再生を公言してきたが、ほとんど目に見えた効果は上がっていない。アメリカでは概してある地域の衰退は、別の地域への人口(労働力移動)で解決を図るという形で対応してきた。典型的にはこのブログにも記したことのあるニューイングランドから南部への木綿工業の移動である。土地、労働力、電力など要素市場で優位な地域への産業移転であった。20世紀初めには、両者の地位は逆転していた。スクラントンで生まれたバイデン氏がどれだけの政策を打ち出せるか、注目していきたい。




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