時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

過ぎゆく日々への思い

2011年08月15日 | 絵のある部屋

  

Éduard Manet
The Boy with Soap Bubbles
1968/69
etching and aquatint on green paper
plate 25.2 x 21.4cm on sheet 40.2 x 25.7cm
Andrew W. Mellon Fund
1977.12.13



 酷熱の日射しが戻ってきた一日、暑さ逃れに美術館へ出かける。国立新美術館『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展;印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション』と題する展覧会だ。印象派の絵画は、とりわけ好きでも嫌いでもない。美術に関連する仕事に誘われた時もあり、かなりの数の作品に出会ってきた。ワシントン・ナショナル・ギャラリーも、ごひいきの美術館のひとつでもあった。この地に住む友人・知人を訪ねるたびに、ほぼかならず足を運んだ。その意味で、今回展示される作品には、すでにご対面済みのものが多かった。

 今回の展示のように特定の画家やスクールの企画展ではなく、適宜見つくろいましたという一般向けの展覧会は、好みではない。展示作品も玉石混淆で、見た後の印象も薄い。集客数などの不純な動機が見え隠れするからかもしれない。見たいと思う作品は来てくれず、いくつか好きな作品に対面できたなという程度になってしまう。それでも、酷暑の中で体力も消耗し、思考力も薄れるよりは、節電とやらでいつもほど爽やかではない会場で、作品を見ていた方がはるかにましだろうと思って出かけてしまう。

 この国立新美術館、建物だけは大きいが、なんとなく軽薄な感じがする。所蔵品が少なく、歴史が短いこともあって、大型興業施設という印象だ。今後の時間がどれだけ国立の名にふさわしい重みを増してくれるか。これまでに何度か来ているが、今のところごひいきの美術館になってはいない。 

 とはいっても、見慣れている17世紀絵画と比較すると、印象派の作品は、概して色彩が明るく爽やかな感じを受けるものが多く、最近のような陰鬱な日々には、息抜きになるような思いもする。
 
 印象派以後の絵画は、誤解を恐れずにいえば、額縁の中だけが勝負だ。画題、色彩、表現などが、見る人にどう受け入れられるかで評価が定まる。歴史やアトリビュート、来歴などは特に考えないでよい。見た感じがよいか悪いかが、作品の評価に大きく関わる。いってみれば見た目がすべてだ。

 今回もいくつかの名作があった。ほとんどはここで改めてとりあげるまでもない良く知られた作品である。ここで改めて、それらに言及することはしない。今回展示されている作品の中で、小品でほとんど人々の注意を集めていなかったが、なんとなく惹かれた作品が1,2あった。上掲のマネのエッチングがそのひとつだ。これは、同じ画家の同じ構図の油彩作品(グルベンキアン美術館、リスボン所蔵)を忠実に反転したエッチングだ。所蔵者も違うこともあり、今回、油彩(下掲)は展示されていない。画題は、少年がシャボン玉を吹いている。ただ、それだけのことといえば、その通りである。



Éduard Manet

A boy blowing bubbles
oil painting, canvas  100.5 x 81.4cm
c.1867
Museu Calouste Gulbenkian, Lisbon Portugal

  マネの死後の1890年にこの版画が出版されるまで、この作品の試し刷りも発見されず、マネがこの版画を制作した意図はあきらかではない。もしかすると、推測されるように、自身の油彩画に従って一連のエッチング集を出版したいというマネのもくろみがあったのかもしれない。この作品、マネが1867年4月初旬におそらくパリのラペルリエの売り立てで見た、1745年頃作のジャン=バティスト・シャルダンの《シャボン玉》(下掲)に発想を得たともいわれるが、あくまで後世の推測だ。印象も大分異なる。このシャルダンの作品にも、少し違ったいくつかのヴァージョンがある。


Jean Siméon Chardin (French, 1699–1779)
TitleSoap Bubbles
ca. 1733–34
Oil on canvas
24 x 24 7/8 in. (61 x 63.2 cm)
Metropolitan Museum of Art
Line Wentworth Fund, 1949


   シャボン玉の麦わらはそのはかなさから、ヴァニタス(人生のむなしさ)を寓意しているともいわれるが、 画家がそこまで意識していたかは分からない。見る者としては、純粋に構図や雰囲気の美しさにひかれる。ただ、作品を見ている間に、またごひいきのエル・グレコや ジョルジュ・ド・ラトゥールの「火種を吹く少年」のことが思い浮かんだ。はかなく消えそうになりそうな火だねを、吹いてなんとか保とうとしている少年たちの姿に、シャボン玉とつながるなにかを感じていた。不安が覆う時代の空気が連想を呼ぶのだろうか。


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