大倉草紙

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【奈良】 葛城山

2009年08月21日 21時00分00秒 | 旅 - 奈良県
3月21日(土)
当日の行程:(近鉄・富田林駅…金剛バス千早線・富田林駅前~金剛登山口) → 【金剛山】【葛城山】

金剛山から葛城山へ。
水越峠を経由した。
金網のゲートを開くと、バスの停留所がある大きな舗装道路に出る。
道路の向こう側にも金網のゲートが見える。
葛城山の登り口が分からなかったので道を尋ねると、道路の向こう側にあるこのゲートを開けて登って行けばよいとのこと。


急な石段が続く。
石段はかなりの高さがあり、手を膝上にあてて、勢いをつけながら登る。
金剛山~葛城山と続けて登ったからであろうか、一歩足を進めるのも辛い。
もうダメだー登れない、と何度思ったことだろう。
へとへとで、写真を撮る元気もなかった。
登りはじめのこの1枚の次は、いきなり頂上付近の写真になる。


いきなり視界が開けて、山頂で寛ぐ人々の姿が見える。


この台の上からの風景はすばらしい。
ここに寝っ転がって、ボーっと一日を過ごしたら気持ちいいんだろうな。


葛城山頂
959.7メートル。


葛城天神社


社殿


葛城山上駅
帰りは、葛城山ロープウェイで。
ロープウェイを降りて、そこから近鉄御所駅まではバス。
御所の町も見てみようと思っていたが、駅前に着いたときには、とてもそんな元気はなく、やっとのことで家にたどり着いた。

【滋賀】 長浜鉄道スクエアと黒壁スクエア

2009年08月20日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

【長浜鉄道スクエア】

旧長浜駅舎は、明治15年(1882)に完成した。
現存する日本最古の駅舎なのだそうだ。
長浜~敦賀間の鉄道の敷設は、日本で3番目に古いのだという。


旧長浜駅のポイント
駅舎の前には、旧長浜駅29号分岐器ポイント部が置かれている。
これは、明治32年(1899)まで使われていたものなのだそうだ。

長浜鉄道スクエアは、「旧長浜駅舎」、「長浜鉄道文化館」、「北陸線電化記念館」の3つから成る。
「旧長浜駅舎」は、当時の様子が再現されていて、興味深かった。
「長浜鉄道文化館」では、館内を鉄道模型が走っていて、それを子どもたちが楽しそうに追いかけていた。
訪れた時には、ジョルジュ・ビゴー展も開かれていた。
パネルに印刷した複製ではあったが、教科書に載っているよく知られた風刺画から、初めて見る作品まで、かなりの数だ。
「北陸線電化記念館」には、D51形蒸気機関車と日本で唯一現存しているED70形の電気機関車がある。
実際に乗ってみることもできる。
もちろん、動くことはないが。


【黒壁スクエア】

北国街道


黒壁ガラス館
「札の辻」と呼ばれる北国街道と大手門通りとの交差点に、明治33年(1900)、国立第百三十銀行長浜支店が建てられた。
その壁の色から、「黒壁銀行」と呼ばれていたそうだ。
現在、その建物は、黒壁ガラス館になっている。
この辺りのガラスの小物屋さんを何軒かのぞいてみた。
桃の節句が過ぎた頃だったが、ガラスの雛人形を置いてあるお店が多い。
こんな飾り方もあるのか、と勉強になったけれど、帰宅後の我が家に何ら変化なし。

【滋賀】 竹生島 (宝厳寺・都久夫須麻神社) 

2009年08月19日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】


長浜港から琵琶湖汽船に乗って竹生島へ。
竹生島の周囲は約2キロメートル。
帰りの船が出るまでの約80分で、十分見て周ることができる。


竹生島港
港のそばにある土産物屋で、うどんを食べる。
冬場は日に2便しかない船に急いで乗ったので、昼食をとっていなかったのだ。

【宝厳寺】
宝厳寺は、神亀元年(724)に行基が開いたといわれる。


祈りの階段は165段。
のぼった先に、本堂(弁財天堂)がある。


本堂(弁財天堂)


五重石塔(重要文化財)
石材は、比叡山中から採掘される小松石。
五重石塔で重要文化財に指定されているのは、全国で7基しかないそうだ。


モチの木
樹齢約400年。
片桐且元が国宝観音堂の普請奉行として竹生島を訪れた際に手植えしたものと伝えられる。


三重塔


唐門(国宝)
豊臣秀吉の遺命で、秀頼が豊国廟から移築したもの。
この奥に観音堂がある。


舟廊下


舟廊下の天井
豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓が使われている。
この廊下の向こうに、都久夫須麻神社がある。


宝厳寺の御朱印


【都久夫須麻神社】

本殿(国宝)
「都久夫須麻」と書いて、「つくぶすま」と読む。
竹生島の古名だといわれる。
明治時代、神仏分離の前までは、宝厳寺と一体だった。
本殿は、伏見城の遺構と伝わる。


竜神拝所
本殿と向かい合わせに竜神拝所が建っている。


拝所には、阿吽の竜が祀られている。
かなりリアル。
蛇は苦手なので、爪の先で一瞬触れるのがやっと。


拝所からは、鳥居が見える。
私はやらなかったけれど、この鳥居に向かってかわらけを投げるのだそうだ。


都久夫須麻神社の御朱印

帰りの船には、うどんを食べた土産物屋の人たちも乗っていた。
竹生島は、無人島。
お寺や神社の方も、土産物屋さんも、島まで船で通っているのだそうだ。
帰りの船は最終便。
人数確認をしている様子はなかったけれど、島に取り残されちゃった人はいないのだろうか?

【滋賀】 小谷城戦国歴史資料館と浅井歴史民俗資料館

2009年08月18日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

【小谷城戦国歴史資料館】

小谷城戦国歴史資料館は、小谷城のある小谷山の麓にある。
小さな二つの展示室には、小谷城や浅井氏に関する資料が並んでいる。


【浅井歴史民俗資料館】

浅井歴史民俗資料館は、郷土学習館、七りん館、鍛冶部屋、糸姫の館の四つの建物から成る。


郷土学習館には、浅井氏に関する資料や、小谷城の模型などが展示されている。
小谷城の脇門がそのまま館内に置かれていて驚いた。


七りん館は、江戸後期に建てられた庄屋の家を移築再現したもの。


七りん館内部


鍛冶部屋


糸姫の館
この辺りは、座繰生糸の産地。
邦楽器原糸に使われるのだそうだ。
人形が妙になまなましく、館にひとりで入ると怖いくらいだ。

【京都】 池田屋

2009年08月17日 21時00分00秒 | 
8月16日(日)
昨年の8月16日の五山の送り火の日には、賀茂川堤防で「大文字」と「船形」を見た。
今年は別の場所で見る予定だったのだが、残念ながら、訳あって見ることができなかった。
けれど、せっかく京都にいるのだから、どこかへ寄って行こう。
そこで思い浮かんだのが、池田屋騒動跡。
今年7月に、130年ぶりに池田屋が復活したというニュースを聞いてから、訪れてみようと思っていた場所だ。


池田屋復活、といっても居酒屋だが。


お店の前に建つ「池田屋騒動之址」の碑




これはお品書き

店内を撮影してもよいとのことだったので、あちこち撮ってみた。

「池田屋階段落ち」の大階段


壁には、映画のポスターが貼られている。


2階


こちらも2階の一角。
帳場になっている。

「幕末コース」という名の宴会メニューはあるが、他は、池田屋を意識した特別な料理がある訳ではなく、ごくごく普通の居酒屋。
もっと違った形で遺して欲しいと思うが、居酒屋になる前はパチンコ屋だったというから、それよりはいいかな。

【滋賀】 渡岸寺観音堂(向源寺)

2009年08月16日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

【渡岸寺観音堂(向源寺)】

聖武天皇の天平8年(736)、疱瘡による死者が相次ぎ、天皇は僧・泰澄に除災の祈祷を命じた。
泰澄は十一面観音を彫み、祈祷したという。
以来、この十一面観音像は敬仰され、延暦20年(801)には、最澄によって七堂伽藍が建立された。


御尊像埋伏地
「元亀元年(一五七〇年)浅井・朝倉氏と織田信長が姉川で戦った時、近隣の堂宇民家はことごとく兵火によって焼き払われた。
 とくに天台寺院は信長の敵視するところとなり焼き討ちを受けることが多かった。当寺は一向宗に転宗していたが兵燹に罹り焼かれようとするとき住僧巧圓は門信徒とともに命がけで観音像をはじめ多くの仏像をこの地に埋めて災禍を逃れたと伝えられる。  渡岸寺観音堂」(案内板より)


渡岸寺観音堂


慈雲閣
十一面観音堂はこちらに納められている。
肉感的な観音様だ。


渡岸寺観音堂の御朱印


【高月町立観音の里歴史民俗資料館】

すぐ近くには、高月町立観音の里歴史民俗資料館がある。
高月町のある湖北地方は、観音像が多いのだそうだ。
館内には、観音像に関する展示のほか、北近江雨森村(現・高月市雨森)に生まれ、対馬藩に仕えて日朝外交に貢献した儒者・雨森芳洲にまつわる展示もあった。

【滋賀】 黒田家舊縁之地

2009年08月15日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

賤ヶ岳に登った後、黒田官兵衛の祖先の墓がこの辺りにあったはずだと思い出し、「黒田」という地名をたよりに探してみる。
黒田集会所(伊香郡木之本町黒田)に、黒田氏始祖・源宗清の墓があった。
備前邑久(おく)郡福岡村に移り住むまでの約200年間、6代にわたって、この地に住んでいたのだという。


右側に見えるのが源宗清の墓。

「筑前・福岡五十二萬石・黒田藩の始祖は、当地の御廟に祀られている佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)公であり、この地・近江国伊香郡(木之本町)黒田村に住み、湖北の荘園の領主として、黒田判官と称した。(以下略)」(案内板より)

【滋賀】 賤ケ岳

2009年08月14日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】 【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

前日は、尾上温泉にある宿に泊まる。
部屋に付いている露天風呂の目の前には、琵琶湖が広がっている。
お食事もおいしく、ゆっくりと贅沢な時間を過ごすことができた。
翌日は朝から賤ヶ岳へ。


賤ヶ岳登山道入口


リフトもあるが、営業は4月から。
標高は421メートルなので、歩いて登っても30分強で山頂に着く。
リフトの営業がない時期は訪れる人も少ないのか、道中、誰にも出会わなかった。


賤ヶ岳合戦々没者霊地


山頂には、「史跡賤ヶ岳」の碑が建っている。


武将の像

「賤ヶ岳合戦図」があり、風景と見比べながらあれこれ想像をめぐらす。
秀吉は、大垣から木之本までの約50キロ余りの道のりを、約5時間で駆けつけたというのだから、すごいものだ。


羽衣伝説で有名な余呉湖


琵琶湖
小さく、竹生島も見える。

【福井】 永平寺

2009年08月13日 21時00分00秒 | 旅 - 福井県
3月7日(土)
当日の行程:(車) → 【金崎宮】【金ヶ崎城跡】【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】【氣比神宮】【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】【氣比の松原】【常宮神社(朝鮮鐘)】【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊) 


永平寺は、寛元2年(1244)、道元禅師によって開かれた。
曹洞宗の大本山。
回廊で結ばれた伽藍を、順路に沿って参拝するようになっている。


仏殿
永平寺の本尊・釈迦牟尼仏が祀られている。


僧堂
修行僧の根本道場。


承陽殿
道元禅師の御真廟。
「承陽」の額は、明治天皇から道元禅師へおくられたものだという。


法堂


大庫院
仏膳、修行僧、来賓の食事を用意する場所。


山門


鐘楼


浴室


報恩塔
写経が納められている。


大数珠
祠堂殿にある大数珠は、長さ15メートル、重さ200キロもあるそうだ。


永平寺の御朱印

【福井】 一乗谷朝倉氏遺跡

2009年08月12日 21時00分00秒 | 旅 - 福井県
3月7日(土)
当日の行程:(車) → 【金崎宮】【金ヶ崎城跡】【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】【氣比神宮】【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】【氣比の松原】【常宮神社(朝鮮鐘)】【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊) 


一乗谷朝倉氏遺跡を訪れる。
朝倉氏は、文明3年(1471)から天正元年(1573)まで、一乗谷を領国支配の拠点としていた。


一乗谷朝倉氏遺跡資料館
まずは、こちらに寄ってから。


下城戸跡
幅約80メートルと谷の最も狭まったところに設けられた城口。


朝倉景鏡(かげあきら)館跡
景鏡は、朝倉氏最後の城主義景の従兄弟。
朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司を務めていたという。


諏訪館跡庭園
諏訪館は、義景の夫人小少将の屋敷跡と伝えられる。


初代朝倉孝景墓(英林塚)


初代朝倉孝景の墓石


唐門
豊臣秀吉によって再建されたもの。


朝倉義景館跡


朝倉義景墓


湯殿跡庭園は、一乗谷で一番古い庭園。


南陽寺跡
3代城主貞景が娘のために再興した尼寺。


瓜割清水
朝倉氏の御膳水に供したといわれている。
現在も、生活用水として利用されているそうだ。


復原町並


一乗谷城があった山を望む。
城跡まで登ってみたかったのだが、前日までの雨のため、立ち入り禁止になっていて戻ってきた。
復原町並の受付の方に尋ねると、他にも城跡まで登るルートがあるとのことだったが、夕刻が迫っているのに加え、雨後であることと熊が出るということで、止めたほうがいいとご忠告いただいた。
残念だけれど断念し、山に登らなかった分だけ時間ができたので、永平寺へ向かうことにする。