2月15日(日)
当日の行程:(車) → 【恭仁京跡(山城国分寺跡)】 → 【陶器神社】 → 【信楽古陶館】 → 【紫香楽宮跡】 → 【水口岡山城跡】 → 【安土城郭資料館】 → 【セミナリヨ跡】 → 【安土城考古博物館】 → 【安土城天主信長の館】 → 【観音正寺】 → 【観音寺城跡】 → 【龍潭寺】 → 【佐和山城跡】 → 【清涼寺】 → 【井伊神社】 → 【小谷城跡】
安土をうろうろする。
安土といえば、この人。
安土駅前に建っている「織田信長公像」。
右の写真は「織田桜」。
安土城跡と見寺を訪れたときの記録はこちら。
【安土城郭資料館】
20分の1の大きさで再現された安土城がある。
安土城の模型は電動式で、パカッと二つに割れて、城の内部を見ることができる。
城の後方にかすかに写っているのは、「安土・南蛮図屏風陶板壁画」。
安土城5階の八角天井は、こんな感じだったようだ。
資料館の外には、相撲やぐらがある。
安土町は、近代相撲発祥の地なのだそうだ。
近くには―といっても見える距離ではないけれど―、郷土館(旧伊庭家住宅)がある。
ヴォーリズが設計したものだ。
「旧伊庭家住宅(安土町指定文化財)
大正二年、建築家ヴォーリズ氏の設計による洋風の木造住宅。
主体部と玄関からなり、主体部の外観はハーフティンバーと呼ばれる化粧梁で細分化された意匠の外壁に傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せて煙突を備えた西洋建築と、入母屋造りで妻入桟瓦(つまいりさんがわら)葺きの和風玄関とで構成されている。
内部は、一階が和風を基調としており、畳敷きの座敷は書院風の造り、付け書院や縁側にしつらえた地袋など斬新な意匠でおさめられている。
食堂、廊下、階段ホール等では洋風の構造ながら小丸太、竹、ナグリ等、数寄屋の材料を積極的に使用し、随所に和風建築の手法を取り入れている。
二階は全体的に洋風を基調としてはいるが、建具や天井に和風を取り入れているのが特徴である。 安土町教育委員会」
【セミナリヨ跡】
天正9年(1581)に、イタリア人宣教師・オルガンチノが創建した日本最初のキリシタン神学校の跡。
安土城炎上の際に、焼失したという。
現在は、セミナリヨ史跡公園になっている。
公園の奥には、「安土セミナリヨと三木パウロ」の碑が建っている。
三木パウロは、安土セミナリヨ第一期生。
慶長元年(1597)、サン・フェリペ事件に連座して捉えられる。
同年、豊臣秀吉の命令により長崎で十字架に磔にされた(二十六聖人殉教事件)。
【安土城考古博物館】
弥生時代から古墳時代の出土品や、織田信長と安土城に関する史料が展示されている。
企画展として、信楽焼の展示があった。
今日はよく信楽焼を目にするなあ。
【安土城天主信長の館】
安土城天主信長の館は、安土城考古博物館の隣にある。
天正7年(1579)、織田信長が築いた安土城は、世界で最初の木造高層建築といわれ、その高さは46メートルにも及んだという。
安土城天主信長の館に展示されている安土城の復元模型は、平成4年(1992)、スペイン・セビリア万国博覧会の日本館に出展されたもの。
最上部分の5階と6階部分が原寸大で復元されている。
5階黄金の間
6階
織田信長の肖像画
この肖像画は、宣教師が描いたもので、信長に最も似ているといわれている。
肖像画は山形県天童市の三宝寺に納められていて、安土城天主信長の館にあるものはその写真である。
当日の行程:(車) → 【恭仁京跡(山城国分寺跡)】 → 【陶器神社】 → 【信楽古陶館】 → 【紫香楽宮跡】 → 【水口岡山城跡】 → 【安土城郭資料館】 → 【セミナリヨ跡】 → 【安土城考古博物館】 → 【安土城天主信長の館】 → 【観音正寺】 → 【観音寺城跡】 → 【龍潭寺】 → 【佐和山城跡】 → 【清涼寺】 → 【井伊神社】 → 【小谷城跡】
安土をうろうろする。
安土といえば、この人。
安土駅前に建っている「織田信長公像」。
右の写真は「織田桜」。
安土城跡と見寺を訪れたときの記録はこちら。
【安土城郭資料館】
20分の1の大きさで再現された安土城がある。
安土城の模型は電動式で、パカッと二つに割れて、城の内部を見ることができる。
城の後方にかすかに写っているのは、「安土・南蛮図屏風陶板壁画」。
安土城5階の八角天井は、こんな感じだったようだ。
資料館の外には、相撲やぐらがある。
安土町は、近代相撲発祥の地なのだそうだ。
近くには―といっても見える距離ではないけれど―、郷土館(旧伊庭家住宅)がある。
ヴォーリズが設計したものだ。
「旧伊庭家住宅(安土町指定文化財)
大正二年、建築家ヴォーリズ氏の設計による洋風の木造住宅。
主体部と玄関からなり、主体部の外観はハーフティンバーと呼ばれる化粧梁で細分化された意匠の外壁に傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せて煙突を備えた西洋建築と、入母屋造りで妻入桟瓦(つまいりさんがわら)葺きの和風玄関とで構成されている。
内部は、一階が和風を基調としており、畳敷きの座敷は書院風の造り、付け書院や縁側にしつらえた地袋など斬新な意匠でおさめられている。
食堂、廊下、階段ホール等では洋風の構造ながら小丸太、竹、ナグリ等、数寄屋の材料を積極的に使用し、随所に和風建築の手法を取り入れている。
二階は全体的に洋風を基調としてはいるが、建具や天井に和風を取り入れているのが特徴である。 安土町教育委員会」
【セミナリヨ跡】
天正9年(1581)に、イタリア人宣教師・オルガンチノが創建した日本最初のキリシタン神学校の跡。
安土城炎上の際に、焼失したという。
現在は、セミナリヨ史跡公園になっている。
公園の奥には、「安土セミナリヨと三木パウロ」の碑が建っている。
三木パウロは、安土セミナリヨ第一期生。
慶長元年(1597)、サン・フェリペ事件に連座して捉えられる。
同年、豊臣秀吉の命令により長崎で十字架に磔にされた(二十六聖人殉教事件)。
【安土城考古博物館】
弥生時代から古墳時代の出土品や、織田信長と安土城に関する史料が展示されている。
企画展として、信楽焼の展示があった。
今日はよく信楽焼を目にするなあ。
【安土城天主信長の館】
安土城天主信長の館は、安土城考古博物館の隣にある。
天正7年(1579)、織田信長が築いた安土城は、世界で最初の木造高層建築といわれ、その高さは46メートルにも及んだという。
安土城天主信長の館に展示されている安土城の復元模型は、平成4年(1992)、スペイン・セビリア万国博覧会の日本館に出展されたもの。
最上部分の5階と6階部分が原寸大で復元されている。
5階黄金の間
6階
織田信長の肖像画
この肖像画は、宣教師が描いたもので、信長に最も似ているといわれている。
肖像画は山形県天童市の三宝寺に納められていて、安土城天主信長の館にあるものはその写真である。