大倉草紙

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【滋賀】 佐和山城跡とその周辺

2009年08月06日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
2月15日(日)
当日の行程:(車) → 【恭仁京跡(山城国分寺跡)】【陶器神社】 → 【信楽古陶館】 → 【紫香楽宮跡】【水口岡山城跡】【安土城郭資料館】 → 【セミナリヨ跡】 → 【安土城考古博物館】 → 【安土城天主信長の館】【観音正寺】【観音寺城跡】【龍潭寺】 → 【佐和山城跡】 → 【清涼寺】 → 【井伊神社】【小谷城跡】

【龍潭寺】

龍潭寺は、天平5年(734)、行基によって井伊家出身地の遠州・井伊谷に開かれた。
現在の龍潭寺は、そのお寺を初代藩主直政が移築したもの。


石田三成の像


山門


鐘楼


大洞観音堂


龍潭寺の御朱印


【佐和山城跡】
「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われた佐和山城へ、わくわくしながら向かう。


佐和山城跡へは、御住職の許可を得て、龍潭寺の奥から入った。
写真のような墓地の間の道を抜けて行く。


本丸跡がある山頂までは232メートル。
ここは、登り始めてすぐの分岐点。
本丸跡は右手に進む。


塩硝櫓跡入口


本丸跡


佐和山城本丸跡の碑


本丸跡からの風景


遠くにぼんやりと彦根城が見える。


【清涼寺】

清涼寺は、佐和山城跡の西麓にある井伊家の菩提寺。
島左近の屋敷がここにあった。


写真のタブの木は、島左近がここに住んでいた頃からあるという。
島左近も、この木を見ていたんだなあ、と感慨深い。


【井伊神社】

天保13年(1842)、井伊直亮の創立による。
井伊家の始祖が祀られている。


境内は、手入れされているとは言い難い。
社殿には覆いがあったが、工事中なのか?


「木村長門守ゆかりの血染めのすすき
 慶長二年(一六一五)大阪夏の陣に、徳川軍先鋒を命ぜられた井伊直孝は、二代藩主直勝に代って五月六日払暁大阪城を遥かに望む玉串川(現大和川)の若江堤に陣をすすめた。
 早朝からの合戦に多くの兵を失った豊臣方の名将、木村長門守重成(槍の名手)は、若干二四歳の若武者であったが、大阪城もこれまでと、直孝の本陣に最後の突撃を敢行した。
 この時、彦根藩士安藤長三郎は、重成の首級を挙げたが、香を焚くきしめた兜をつけた姿に、敵将ながらその死を悼み、若江堤に繁るすすきに包んで持ち帰り、安藤家の菩提寺宗安寺に手厚く葬り、すすきは佐和山神社(井伊家祖霊社)の社前に『重成血染めのすすき』として植えられた。その後同神社は井伊神社に合祀されたので、縁りの宗安寺に移植されたが、今度株分けを受けて再び井伊神社に昔日の面影を偲ぶこととなった。
 平成十年三月  たちばな会 記」(案内板より)

2月だったのですすきは枯れていたのは残念。