大倉草紙

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【滋賀】 渡岸寺観音堂(向源寺)

2009年08月16日 21時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
3月8日(日)
当日の行程:(車) → 【賤ヶ岳】【黒田家舊縁之地】【渡岸寺観音堂(向源寺)】 → 【高月町立観音の里歴史民俗資料館】【小谷城戦国歴史資料館】 → 【浅井歴史民俗資料館】【竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)】【長浜盆梅展(慶雲館)】【長浜鉄道スクエア】 → 【黒壁スクエア】

【渡岸寺観音堂(向源寺)】

聖武天皇の天平8年(736)、疱瘡による死者が相次ぎ、天皇は僧・泰澄に除災の祈祷を命じた。
泰澄は十一面観音を彫み、祈祷したという。
以来、この十一面観音像は敬仰され、延暦20年(801)には、最澄によって七堂伽藍が建立された。


御尊像埋伏地
「元亀元年(一五七〇年)浅井・朝倉氏と織田信長が姉川で戦った時、近隣の堂宇民家はことごとく兵火によって焼き払われた。
 とくに天台寺院は信長の敵視するところとなり焼き討ちを受けることが多かった。当寺は一向宗に転宗していたが兵燹に罹り焼かれようとするとき住僧巧圓は門信徒とともに命がけで観音像をはじめ多くの仏像をこの地に埋めて災禍を逃れたと伝えられる。  渡岸寺観音堂」(案内板より)


渡岸寺観音堂


慈雲閣
十一面観音堂はこちらに納められている。
肉感的な観音様だ。


渡岸寺観音堂の御朱印


【高月町立観音の里歴史民俗資料館】

すぐ近くには、高月町立観音の里歴史民俗資料館がある。
高月町のある湖北地方は、観音像が多いのだそうだ。
館内には、観音像に関する展示のほか、北近江雨森村(現・高月市雨森)に生まれ、対馬藩に仕えて日朝外交に貢献した儒者・雨森芳洲にまつわる展示もあった。

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