大倉草紙

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【京都】 蓮光寺 (長曽我部盛親の墓)

2009年08月23日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
4月18日(土)
当日の行程:(阪急・河原町駅) → (祇園甲部歌舞練場〔「都をどり」当日券購入〕) → 【蓮光寺】【河井寛次郎記念館】【都をどり(祇園甲部歌舞練場)】 → (京阪・祇園四条駅~天満橋駅) → 【大川さくらクルーズ】


蓮光寺は、知恩院を本山とする浄土宗のお寺。
長曽我部盛親のお墓があるというので、行ってみた。


本堂には、本尊・阿弥陀如来が祀られているそうだ。
「負別如来」とも呼ばれるこの像は、快慶の作と伝えられる。
東国の僧の求めに応じてこの像を彫った快慶は、その出来ばえの尊さに自ら護持したいと思い、僧の後を追いかけたという。
僧に追いつき箱を開くと、仏像が二体に分かれていたという伝説が残っている。
もう一体の仏像は、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されているそうだ。


駒止地蔵尊
駒止地蔵尊は、弘法大師作と伝えられる。
かつては六条河原の刑場に祀られていて、鴨川の氾濫で埋もれてしまっていたそうだ。
保元3年(1158)にその辺りを通った平清盛の馬が急に動かなくなったので、そこを掘ってみると、この地蔵尊が出てきたという。
また、盗賊に襲われた篤信者の身代わりに首を切られたという伝説もあり、そのため、「首切り地蔵」とも呼ばれる。


長曽我部盛親の墓
長曽我部盛親が、京洛の地で大岩祐夢と号して寺子屋を開いていたときに、このお寺の住職・蓮光上人と親交があったのだという。
元和元年(1615)、盛親が大坂夏の陣に敗れ六条河原で斬首されると、蓮光上人は京都所司代・板倉勝重に願い出て、首級をこの墓地に葬ったのだそうだ。