大倉草紙

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【福井】 金ヶ崎城跡

2009年03月16日 20時00分00秒 | 旅 - 福井県
3月7日(土)
当日の行程:(車) → 【金崎宮】【金ヶ崎城跡】【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】【氣比神宮】【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】【氣比の松原】【常宮神社(朝鮮鐘)】【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊) 


金崎宮の境内地の大部分が金ヶ崎城の旧跡である。
金崎宮の摂社・絹掛神社の脇の道を登る。
案内板もあり、道も整備されている。
一周約25分と書いてあったが、そんなにはかからなかったような気がする。


尊良親王御陵墓見込地
落城時の親王自刃の地ではないかといわれている。
江戸時代末期には、このあたりから経塚が発見され、石室から銅製の経筒、円鏡、椀が出土している。


金崎古戦場の碑


月見御殿跡
金ヶ崎城の本丸跡といわれる。
月見御殿という名の通り、ここで月見をしていたのだそうだ。
ここからは、敦賀湾が一望できる。
風が強い。
いつもそうなのか、それとも今日の風が特別に強いのか分からないが、こういう風を受けると、日本海に来たなあーとしみじみ感じる。


三の木戸跡
南北朝時代の三の木戸跡で、近くから清水が湧き出ていたそうだ。


焼米石出土地
金ヶ崎城の兵糧庫があった場所で、織田・朝倉の攻防戦で焼けた米が後に出土したそうだ。


二の木戸跡
南北朝時代の二の木戸跡で、この付近で激戦があったと伝わる。


一の木戸跡
南北朝時代の一の木戸跡。
戦国時代には、朝倉氏もこの木戸を利用したといわれる。