2月1日(日)
当日の行程:(車) → 【博労淵】 → 【野田城跡】 → 【木邨長門守重成表忠碑】 → 【備前島】 → 【大長寺】 → 【若宮八幡大神宮】 → 【鴫野古戦場跡】 → 【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】 → 【本町橋】 → 【三光神社】 → 【真田丸跡あたり】 → 【史蹟岡山又御勝山】 → 【増福寺】 → 【安居神社】 → 【一心寺】 → 【四天王寺】 → 【今宮戎神社】 → 【志紀長吉神社】 → 【真田幸村休憩所跡】 → 【全興寺】 → 【大念佛寺】 → 【杭全神社】 → 【安藤正次墓所】 → 【樋ノ尻口地蔵】
【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】
秀頼・淀殿ら自刃の地
「慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。」
(案内板より)
淀君並殉死者三十二名忠霊塔
32名の名前も記されている。
【本町橋】
本町橋は、大坂城の西の玄関口。
ここで、本町橋の夜襲戦があった。
【三光神社】
三光神社は、大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園内に鎮座する。
創立は、仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と伝わる。
真田の抜穴
真田の抜穴の中は、こんなふうになっている。
真田幸村公之像
真田の抜穴のそばには、「真田幸村公之像」が建っている。
写真の左奥に見えるのが、真田の抜穴。
拝殿
三光神社の御朱印
【真田丸跡あたり】
真田丸の場所については諸説ある。
上に挙げた真田の抜穴がある宰相山もそのひとつ。
そのほか、次の場所も考えられるそうだ。
明星高校(大阪市天王寺区餌差町)の周辺
真田山公園(大阪市天王寺区真田山町)の周辺
【史蹟岡山又御勝山】
徳川方の本陣が置かれた御勝山は、勝山古墳にある。
勝山古墳は前方後円墳と推定されているが、本陣が置かれたために墳形が破壊され、現在は、後円部が残っているだけだ。
前方部は、御勝山公園になっている。
公園から、道路を挟んで向こう側に後円部がある。
後円部。
碑が建っているが、これは大坂の陣に関係するものではなく、「大阪府立農学校址」の碑。
すぐ近くに、「史蹟岡山又御勝山」の碑もある。
が、ごみ収集場所になっている。
【増福寺】
増福寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある。
ここには、薄田隼人正兼相の墓が建っている。
薄田隼人正兼相の6代目の孫・薄田兼実が、文化11年(1814)、200回忌の供養に建立したそうだ。
薄田隼人正兼相のお墓は、羽曳野市誉田にもある。
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【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】
秀頼・淀殿ら自刃の地
「慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。」
(案内板より)
淀君並殉死者三十二名忠霊塔
32名の名前も記されている。
【本町橋】
本町橋は、大坂城の西の玄関口。
ここで、本町橋の夜襲戦があった。
【三光神社】
三光神社は、大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園内に鎮座する。
創立は、仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と伝わる。
真田の抜穴
真田の抜穴の中は、こんなふうになっている。
真田幸村公之像
真田の抜穴のそばには、「真田幸村公之像」が建っている。
写真の左奥に見えるのが、真田の抜穴。
拝殿
三光神社の御朱印
【真田丸跡あたり】
真田丸の場所については諸説ある。
上に挙げた真田の抜穴がある宰相山もそのひとつ。
そのほか、次の場所も考えられるそうだ。
明星高校(大阪市天王寺区餌差町)の周辺
真田山公園(大阪市天王寺区真田山町)の周辺
【史蹟岡山又御勝山】
徳川方の本陣が置かれた御勝山は、勝山古墳にある。
勝山古墳は前方後円墳と推定されているが、本陣が置かれたために墳形が破壊され、現在は、後円部が残っているだけだ。
前方部は、御勝山公園になっている。
公園から、道路を挟んで向こう側に後円部がある。
後円部。
碑が建っているが、これは大坂の陣に関係するものではなく、「大阪府立農学校址」の碑。
すぐ近くに、「史蹟岡山又御勝山」の碑もある。
が、ごみ収集場所になっている。
【増福寺】
増福寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある。
ここには、薄田隼人正兼相の墓が建っている。
薄田隼人正兼相の6代目の孫・薄田兼実が、文化11年(1814)、200回忌の供養に建立したそうだ。
薄田隼人正兼相のお墓は、羽曳野市誉田にもある。