大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【大阪】 大坂の陣ゆかりの地⑰ 志紀長吉神社・真田幸村休憩所跡

2009年06月24日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月1日(日)
当日の行程:(車) → 【博労淵】 → 【野田城跡】 → 【木邨長門守重成表忠碑】 → 【備前島】 → 【大長寺】 → 【若宮八幡大神宮】 → 【鴫野古戦場跡】【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】 → 【本町橋】 → 【三光神社】 → 【真田丸跡あたり】 → 【史蹟岡山又御勝山】 → 【増福寺】【安居神社】【一心寺】【四天王寺】【今宮戎神社】【志紀長吉神社】 → 【真田幸村休憩所跡】【全興寺】【大念佛寺】【杭全神社】【安藤正次墓所】 → 【樋ノ尻口地蔵】 

【志紀長吉神社】

志紀長吉神社は古事記・日本書紀に載る延喜式内社で、大阪市平野区に鎮座する。
創立年代は不詳。
大坂夏の陣のとき、真田幸村が立ち寄ったと伝わる。
『中河内郡誌』には次の記述があると神社の由緒書に記されていたので、孫引きだた引用する。
「伊達政宗との大阪夏の陣の時大阪城より退去命令が下され天王寺・茶臼山に退くことになったが、この途中幸村、戦勝を日蔭明神(注)に祈願せし時、神社の馬場にて休息せりと伝う。この時麻地六文銭紋章の旗及び刀剣を当社へ寄進せり」
(注)志紀長吉神社のこと


六文銭軍旗を見ることはできなかったが、その写真が掲げられていた。
幸村の刀剣は、終戦後没収されて残っていないそうだ。


拝殿


志紀長吉神社の御朱印


【真田幸村休憩所跡】

真田幸村休憩所跡の碑の入口
真田幸村休憩所跡の碑は、志紀長吉神社参道大鳥居の近くに建っている。


碑の表には、「真田幸村休憩所」とある。
「真田幸村休憩所跡由緒
かつての戦国の武将真田幸村(一五六七~一六一五)大坂夏の陣のおり南河内誉田方面において東軍伊達政宗軍と一戦を交えた後古市街道を経て大坂城へ帰城途中この地にて休息し志紀長吉神社へ戦勝の祈願すると共に軍刀一振りと六紋銭の軍旗を奉納した後一六一五年六月(元和元年)大坂落城の前日天王寺茶臼山にて東軍松平忠直軍と奮戦の末壮烈な戦死を遂げた、時に幸村四十八才の終焉であった、乱世の世に生まれ天下の智将としてその名を馳せ武士道の精神を体現した幸村その意味では戦国時代最後の武将であったとも言える、ここに幸村を偲び謹んで由緒の一端を記すものである。
 戦国の幸村偲ぶ 露の朝
平成十五年六月吉日
   長原歴史保存委員会」


碑の裏側には、「御神徳を讃え奉りて幸村 家が思う心の内の霧晴れて神の利益に任せこそすれ」とある。