12月29日(水)
2日目(梅島~越谷)その4の続き
(10:32)
3日目のスタートは、越谷駅。
(10:41)
越谷市役所の前を通ったが、本来の道は、もう1本西側のようだ。
旧日光街道沿いには、塗師屋の古い建物があるというので探してみたが、見つけられなかった。
(10:51)
ともかくもう少し西の通りを歩いてみようと道を渡ると、長く黒い板塀が見えた。
(10:51)
えらい風流だな、と思いながら見上げると、塀の中にはマンションが建っていた。
なんか残念。
この大きな木は、有瀧家のタブノキ。
樹齢400年以上で、越谷市の天然記念物に指定されている。
(11:03)
元荒川にぶつかったら、川を渡らずに、川岸を右手に進んで行く。
人通りの少ない道だ。
しばらく進むと、右手に越ヶ谷御殿跡の碑が建っている。
慶長9年(1604)、徳川家康が御殿を建てた場所だ。
面積は約6町歩(約6ヘクタール)。
家康は、しばしば越ヶ谷御殿に宿泊し、鷹狩をしていたという。
二代将軍秀忠も、1ヵ月に渡って宿泊し、鷹狩をしたと言われている。
明暦の大火(1657年)で江戸城が全焼した際には、この越ヶ谷御殿を解体して江戸へ運び、江戸城を再建したと案内板に書いてある。
日本橋からここまで歩くだけでもこんなにくたびれるのに、解体した建物を運ぶなんて大変なことだ。
(11:05)
越ヶ谷御殿跡の先には、建長元年板碑がある。
秩父の緑泥片岩で造られたこの板碑には、建長元年(1249)銘の年号が刻まれている。
越谷市で発見された板碑のなかでは最古のもので、また、高さ155センチ、幅56センチという大きさは、最も大きいものであるのだそうだ。
(11:17)
道中見つけたアンディというお店。
看板には、「玩具」、「鉄道」、「ラジコン」、「プラホビー」と書いてある。
お店の外にある「カーレース」というゲーム。
かなりの年代物。
10円をはじいて落とさずに目的地まで持って行くことができると、商品があたるらしい。
「わさびのり太郎」と「うまい棒」を獲得!
なんだかすごく得した気分だ。
(11:27)
北越谷駅の前を通り、東武伊勢崎線の高架をくぐる。
(11:35)
すると再び元荒川があらわれる。
堤には、立派な桜の木が植えられている。
つづく
2日目(梅島~越谷)その4の続き
(10:32)
3日目のスタートは、越谷駅。
(10:41)
越谷市役所の前を通ったが、本来の道は、もう1本西側のようだ。
旧日光街道沿いには、塗師屋の古い建物があるというので探してみたが、見つけられなかった。
(10:51)
ともかくもう少し西の通りを歩いてみようと道を渡ると、長く黒い板塀が見えた。
(10:51)
えらい風流だな、と思いながら見上げると、塀の中にはマンションが建っていた。
なんか残念。
この大きな木は、有瀧家のタブノキ。
樹齢400年以上で、越谷市の天然記念物に指定されている。
(11:03)
元荒川にぶつかったら、川を渡らずに、川岸を右手に進んで行く。
人通りの少ない道だ。
しばらく進むと、右手に越ヶ谷御殿跡の碑が建っている。
慶長9年(1604)、徳川家康が御殿を建てた場所だ。
面積は約6町歩(約6ヘクタール)。
家康は、しばしば越ヶ谷御殿に宿泊し、鷹狩をしていたという。
二代将軍秀忠も、1ヵ月に渡って宿泊し、鷹狩をしたと言われている。
明暦の大火(1657年)で江戸城が全焼した際には、この越ヶ谷御殿を解体して江戸へ運び、江戸城を再建したと案内板に書いてある。
日本橋からここまで歩くだけでもこんなにくたびれるのに、解体した建物を運ぶなんて大変なことだ。
(11:05)
越ヶ谷御殿跡の先には、建長元年板碑がある。
秩父の緑泥片岩で造られたこの板碑には、建長元年(1249)銘の年号が刻まれている。
越谷市で発見された板碑のなかでは最古のもので、また、高さ155センチ、幅56センチという大きさは、最も大きいものであるのだそうだ。
(11:17)
道中見つけたアンディというお店。
看板には、「玩具」、「鉄道」、「ラジコン」、「プラホビー」と書いてある。
お店の外にある「カーレース」というゲーム。
かなりの年代物。
10円をはじいて落とさずに目的地まで持って行くことができると、商品があたるらしい。
「わさびのり太郎」と「うまい棒」を獲得!
なんだかすごく得した気分だ。
(11:27)
北越谷駅の前を通り、東武伊勢崎線の高架をくぐる。
(11:35)
すると再び元荒川があらわれる。
堤には、立派な桜の木が植えられている。
つづく