10月3日(日)
(東京都渋谷区東4-4-9)
「もとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常盤松と呼ばれた樹齢約四百年、枝ぶりのみごとな松がありました。その松は源義朝の妾、常盤が植えたという伝説があり、また一説には世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるといいますが、はっきりしたことはわかりません。
この近くにはかつて渋谷城があり、渋谷一族の金王丸は義朝、頼朝二代に仕えた臣ですから、常盤御前が植えたという伝説が生まれたのでしょう。
この碑は御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったことがあり、そのときに島津藩士によってたてられました。当時常盤松の代価壱千両といわれたほどの名木で、このあたりの地名であった常盤松町の起源となりました。
東京都渋谷区教育委員会」(案内板より)
(東京都渋谷区東4-4-9)
「もとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常盤松と呼ばれた樹齢約四百年、枝ぶりのみごとな松がありました。その松は源義朝の妾、常盤が植えたという伝説があり、また一説には世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるといいますが、はっきりしたことはわかりません。
この近くにはかつて渋谷城があり、渋谷一族の金王丸は義朝、頼朝二代に仕えた臣ですから、常盤御前が植えたという伝説が生まれたのでしょう。
この碑は御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったことがあり、そのときに島津藩士によってたてられました。当時常盤松の代価壱千両といわれたほどの名木で、このあたりの地名であった常盤松町の起源となりました。
東京都渋谷区教育委員会」(案内板より)