大倉草紙

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【大阪】 杭全神社

2009年06月29日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月1日(日)
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平安初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂の子・野麿がこの地を荘園として賜り、居を構えた。
野麿の子・当道が、貞観4年(862年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが杭全神社のはじまりといわれる。
杭全と書いて「くまた」と読む。


杭全神社には、日本で唯一の連歌所が残っている。
室町時代から神社の重要行事として催されていた連歌会は、明治になって一旦廃れたが、昭和62年(1987)に百年ぶり復活した。
現在では、毎月一回連歌会が開かれている。


樟社
参道の標柱の横にあるクスノキ。
樹齢1000年だとか。

 
狛犬
狛犬の足には、紐が結ばれている。
これは「走人足止め祈願」の紐なのだそうだ。
狛犬の足に結んで願をかけた紐を持ち帰り、家出人の履物に結んでおくと、居なくなった人が家に戻ってくるという。


拝殿


訪れたのは節分の頃だったので、拝殿の前には「豆入」が置かれていた。


中門
中門の向こうに本殿(重要文化財)がある。
本殿は、向かって左手から第一殿、第二殿、第三殿と並ぶ。


杭全神社の御朱印