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【日光街道】 1日目(日本橋~梅島) その1

2011年02月01日 21時00分00秒 | 街道をあるく
年末年始は、日光街道を歩いた。
かかった日数は11日。
距離は36里(143キロメートル)。
1日平均13キロ程度なのだが、道中、面白そうな場所を見つけては寄り道したり、ガイドブックにある名所巡りをしたり、そんな風だから、もっと歩いてはいると思う。

1日目:日本橋~梅島(27,321歩)
2日目:梅島~越谷(29,184歩)
3日目:越谷~北春日部(31,900歩)
4日目:北春日部~南栗橋(29,786歩)
5日目:南栗橋~古河(33,253歩)
6日目:古河~小山(37,386歩)
7日目:小山~石橋(34,622歩)
8日目:石橋~宇都宮(34,109歩)
9日目:宇都宮~大沢(40,044歩)
10日目:大沢~上今市(26,952歩)
11日目:上今市~鉢石(日光)(33,691歩)

帰りは電車。
次に歩くときには、前回歩いた場所まで電車で移動した。
6日目は小山に、9日目は宇都宮近郊に、10日目は今市に宿泊。
その他の日は日帰り。

では、初日の日本橋から。

12月25日(土)


(09:17)
出発は、ここ日本橋


(この写真の撮影は、2008年8月9日)
橋柱の橋名盤の文字は徳川慶喜による。


(09:20)
橋を渡ると、日本橋三越本店


(09:23)
右手に延びる「按針通り」には「三浦按針屋敷跡」の碑が建っている。
「史蹟 三浦按針屋敷跡
 ウイリアム・アダムスは西暦1564年イギリスのケント州に生れ、慶長5年(1600)渡来、徳川家康に迎えられて江戸に入り、この地に屋敷を給せられた。造船・砲術・地理・數學等に業績をあげ、ついて家康・秀忠の外交特に通商の顧問となり、日英貿易等に貢献し、元和6年(1620)4月24日平戸に歿した。
 日本名三浦按針は相模國三浦逸見に領地を有し、またもと航海長であったことに由来し、この地も昭和初年まで安針町と呼ばれた。」(碑文より)


前方にスカイツリーが見えた!
実物を見るのは初めて。


(09:38)
少し脇道に入るが、小伝馬町の十思公園へ。
ここは、伝馬町牢屋敷があったところ。
安政の大獄(1858~1859)で捕えられた吉田松陰も収容されていた。


(09:41)
公園内には、「吉田松陰終焉の地」の碑も建っている。


(09:42)
石町(こくちょう)時の鐘
現在の時の鐘は、宝永8年(1711)に改鋳されたもの。
明治時代まで撞かれていたそうだ。
十思公園と道を挟んで向かいには、江戸伝馬町処刑場があった。
処刑は四つ刻(午前10時頃)に行われたが、処刑がある日には鐘を撞くのを遅らせたことから、「情けの鐘」「慈悲の鐘」とも呼ばれるのだとか。


(09:43)
大安楽寺


(09:43)
大安楽寺は、江戸伝馬町処刑場跡である。


(09:55)
しばらく行くと、問屋街に出る。
えらく奇抜な服が並んでいるが、どこへ着て出かけるのだろう?


(10:01)
浅草橋


(10:01)
浅草橋の船宿


(10:01)
浅草橋の屋形船

つづく





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